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取り引き

 私はメイド服を着用して、髪もきっちりと結って家の掃除をしていた。顔には瓶底眼鏡。少しでも私だとバレないように。

 

 グレイという使用人がいるといえど、彼がどんなに優秀でも、一人ではとてもこの家の用事全てを賄えない。だからこうして少しでも役に立てればと、自分にできる事をしているのだ。グレイにはやめろと言われているけど。

 しかしなぜメイド服に眼鏡なのか。

 答えは簡単。いつもの服で、仮にも伯爵家の娘が掃除をするだなんて、誰かに見られたら恥ずかしいなんてものじゃない。もちろん買い物時も使用人仕様の服である。

 つまりは私のささやかな見栄なのだ。ここで暮らすからには、私はメイドと伯爵家の娘という一人二役を演じきってみせよう。


 しかし、正直言って家事には自信が無い。一応今の家に移るまでに、生家にわずかに残されていた料理のレシピブックやらは持ってきたし、メイドが掃除をしていた様子だって幼い頃から見ていた。しかし、それらを今まで全て他人任せだったか弱き乙女が、それだけでどうして家事なんぞできると言えようか。いや、言えない。


 と、その時玄関の呼び鈴が鳴った。なんだろう? 郵便の配達かな?

 私は掃除用具を廊下の隅に置くと、玄関のドアを開ける。

 すると、立っていたのは見覚えのある金髪碧眼の男性。上品なコートに身を包んでいるが、左肩に特徴的なドラゴンのエンブレムが縫い付けられているのがわかる。それは紛れもなく竜騎士の証。

 来客はなんとルーウェン様だったのだ。


「ひっ、ルーウェン様!?」


 私の上ずった声に、ルーウェン様は眉をひそめた。


「……どうして俺の名を知っている? まさか、お前がこのあいだの女か?」

「そ、それは……その、ルーウェン様には竜騎士としての知名度がありますから。存じていて当然です。こ、このあいだというのは、何のことかわかりませんけれど」


 お、落ち着け! 今の私はメイド! 眼鏡だってしている。完璧な変装だ! 落ち着いてメイドらしく振舞うのだ。


「そそそ、それで、ど、どういったご用件でしょう?」

「この家には女が他にもいるのか?」

「は、はい。お嬢様がおられますが」

「それならばその令嬢にお会いしたいのだが」

「か、かしこまりました。少々お待ちください」


 どうやら目の前のメイドが、その相手本人だとは気づいていないみたいだ。安堵のため息を漏らす。

 しかし約束も無く急に訪れるとは、中々に失礼な人だな。


 私は急いで紅茶とささやかなお菓子を用意して、応接間とも呼び難い古ぼけた部屋へとルーウェン様を案内する。


「お嬢様はすぐにいらっしゃいますから、どうぞこちらでお待ちください」


 言い置いてから急いで自室に戻ると、数少ないドレスから一番気に入っているものを選んで身につける。

 メガネを外して、薄緑色の瞳が露わになった後、栗色の髪を解いて急いでブラッシングすれば、鏡の中には貴族仕様の私がいた。



「お待たせいたしました、ルーウェン様。先日のレースの日以来ですね。本日はなんのご用件でしょうか?」


 応接間に入って挨拶するなり、ルーウェン様がソファーから立ち上がった。


「……あのノートを返してもらいたい」

「はて、ノートと言いますと?」

「とぼけるな。俺の昔の日記帳だ」

「もしかして、このノートの事でしょうか?」


 私はとぼけたふりをして、日記帳を取り出すとページをめくる。


「【ああ、ドラゴン。なんて素晴らしい生き物なんだ。ここに俺の渾身の思いを綴ろう。


 薄靄の中に浮かび上がる美しい肢体。月が見えなくともあなたには全てが見えるのだろう。俺の心もその鋭い瞳で見透かしてほしい。どれだけあなたのことを思っているのかわかるだろう。できる事ならばあなたの隣で眠りたい。それは叶わぬ夢だろうか】」


「やめろ! それ以上はやめろ!」


 ルーウェン様が頭を抱える。どうやらこの日記は本当に彼のものだったようだ。

 見た目とのギャップが凄まじい。この一見王子様じみた男性がこんな日記を書くとは。


「で、女。一体何が目的なんだ! 金銭か!?」


 うわあ、女呼ばわり。せめて「あなた」とか「君」とかあると思うんだけれど。

 ルーウェン様の態度にちょっと引きつつも、私は断言する。


「それはこれからのお話次第ですわ。どうぞソファーに腰掛けておくつろぎください」


 本音を言えばお金は欲しいけど。

 でも、本当の目的はそれではない。私はルーウェン様の向かい側に腰掛けると、その瞳を見つめる。


「……実は、私の婚約者になってほしいのです」

「は?」


 ルーウェン様がぽかんと口を開く。


「あ、正確には婚約者の振りをしてほしいということなのですが……」

「なんで、俺がそんなこと……」

「実は嫌いな人に何度も求婚されて困っているのです」


 私が従兄弟の事を話すと、ルーウェン様は腕組みする。


「まあ、確かに苦手な異性に付きまとわれるのは苦痛でもあるな。俺も最近は見合いの話が増えて辟易している。俺は時間が許す限りクーウェルと共に過ごしていたいのに」


 おお、意外にも同情してくれた。理由はちょっと理解できないが。

 よし、あとはもう一押し。


「それに、お恥ずかしい話、伯爵の爵位を賜っているとはいえ、ご覧の通り、我が家は困窮しています。それなのに、わざわざパーティーの招待状を送ってくる方もいるんですよ。私にはドレスを新調するお金だって無いのに。これは嫌がらせ以外のなにものでもありません! だから私、その人達の鼻を明かしてやりたいんです。私の婚約者は国一番の竜騎士だって」

「よせ、国一番はおおげさだ。せめて二番だな」


 反応するところそこ? しかも自信満々。握手会では猫を被ってたのかも。


「しかし、くだらない理由だな。女の考えは理解できない」


 私もあなたのドラゴンに対する愛は理解しかねる。


「くだらないと言われても構いません。このままだとわが伯爵家はお取り潰しになってしまうかもしれません。その前にせめて最後の一花を咲かせたいのです」


 ルーウェン様は興味ないように「ふうん」と呟いた。


「それで女、お前の婚約者のふりをすれば、その日記帳は返してくれるのか?」

「……善処します」

「はあ? 話が違うぞ」

「さっき言ったじゃないですか。我が家にはドレスを新調するお金もないって。だからその……恥ずかしながらそのあたりの援助もしていただけると助かるなーと」

「流石に図々しいぞ」


 うう、やっぱり……。

 他に何かいい方法はないかなあ……。

 と、そこである考えが浮かんだ。この人は熱狂的なドラゴン好きだ。それならば……。


「あの、ルーウェン様。ここに来る前に我が家について調べました?」

「そんなことはしていない。ここは以前に俺が住んでいた家だからな。場所だって家賃だってわかっている」


 日記帳の存在は忘れていたのにね。


「それではルーウェン様は私の名前をご存じないということでしょうか?」

「ああ、興味もない。早くノートを返してくれ。そうすれば婚約者のふりくらいはしてやる」

「失礼いたしました。改めて名乗らせていただきます。私はヒルデガルト・ペンドラゴンと申します。どうぞお気軽にヒルダと呼んでくださ――」


 と、次の瞬間、ルーウェン様が立ち上がると、決して綺麗とはいえない絨毯の上に勢いよく土下座した。

 な、なに? なにごと?


「ペンドラゴン嬢!」

「は、はい」

「ぜひ俺……いや、私と結婚して頂けませんか!?」

「……はい?」


 


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