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65 当然、鍛える




「……」

「まだ、走れますか?」

「お母様、私は平気ですよ」


 悠人がフルマラソンを走るということになり、当然エリナにお世話になっている。前は、走りきるであったが、今回はタイムを狙っている。


 当然、前よりもハードになった。


「ろろろろろろろっ」

「えっ! ちょっと、大丈夫ですか!?」

「そういえば、貴女今日初めてでしたね? 大丈夫です、いつものことですから」

「えっ、でも! エリナ様!?」

「よしっ、いけるぞエリナ」

「はい、ではいきましょう」

「えっ、えっ!?」


 悠人は唐突にズボンのポケットからポリ袋を出し、それに吐いた。そして、口を濯ぎ何事もなかったかのようにトレーニングに戻る。それを近くで見ていたエリナは止めもせずトレーニングを続ける。新人で今日初めての出勤の橘家専属の女医は、訳も分からず、右往左往している。


「懐かしいわね〜、私も初めはあんな感じのリアクションしてた」

「てか悠人君、吐き慣れてノーモーションで吐くようになったわよね」

「そもそも吐いていることに動揺しなくなった私達が怖い」


「慣れって怖いわね」と、トレーニングを見守っている医療班。

 最初、医療班の誰もが生のイケメンを合法的に見続けられることに喜びと興奮があった。しかし、スポ根アニメを見ているような彼の血の滲むような努力の軌跡。

 参加したいと思えない過剰ともいえるトレーニング。

 そして何より、嘔吐している彼を見てそんな感情を抱ける程変態ではなかった。


 因みに、吐いたそれはちゃんと適切に破棄されている。


「しかし、エリナ様も変わりましたよね。これも恋というやつですかね?」

「日常的にあまり笑顔を晒さないのに、今は嬉しそうに走ってますよね。同世代の子供のように」

「まぁ、エリナ様もトレーニングに付き合ってくれる相手も欲しそうでしたしね。昔は哀愁漂ってましたし、ずっと1人でするつもりなのかと思ってましたが、今は安心安心」

「素で話せるお友達もできたようで何よりです」

「「「分かるわ〜」」」


 医療班は緩くフットワークの軽い職場のようです。しかし、腕は確かなので安心して下さい。



(私の事をなんだと思っているんですか?)



 まぁ、当の本人に全て聞かれていたが。




「ゆーとさま、ちょうしはどう?」

「悠人様、私も差し入れに来ましたわ!」

「付き添いと便乗です」


 トレーニングの終わり頃に、山崎家全員が差し入れの為に橘家へ。


「栞は邪魔だから帰りなさい」

「あらあら感じが悪い。そんなに不機嫌な顔ではシワが増えますよ?」

「ふふふ、お気になさらずに。貴女よりは肌年齢も脳年齢も若いので」

「「ふふふふふふ」」


 相変わらず会わせると口喧嘩をするエリナと栞を「またやってるよ」と全員が一瞥して放っておく。この2人の関係はもうこの先ずっと変わらないのだろうと諦めている。


 そんなことよりも、挨拶がわりに夜々と花香の2人は悠人を抱きしめようとする。それを分かっている悠人だが、露骨に距離を取り始める。

 理由は単純で汗をかいているからあまり近寄られたくないだけ。


「汗かいてるから」

「むー」

「では、まずシャワーを浴びてきて下さい!」


 何やら理不尽なことを言われているがまだ最後のクールダウンのランニングが残っているので断る。断られたことに不満を露わにしている夜々の頭を撫でてご機嫌を取る。花香は同年代なので、撫でない。


 夜々は相変わらず手つきは優しく温かい。それで心地のいい撫でかたをするので、思わず目を細めてしまう。今はこれで我慢していよう、そう思った。


「なら仕方ない」

「ありがと」

「悠人様、差別です!」

「区別ですわ」

「区別だな」

「酷いですわ」


 不満を垂れ流しにする花香。

 マリアもまぁ言えば撫でてもらえるし、別に不満はない。けれど、何気ない時にも撫でてもらえると、ものすごく嬉しいなぁ〜程度。だが、悠人を馬乗りしたことがあるくせに何を文句言っているのだろうと思っている。


「じゃ、少し走るから」

「ん」

「エリナ……は、今は忙しそうだしいいか。マリア」

「はい、ではお二人とも後で」

「それでいくつ走るおつもりで?」

「「15Km」」

「……」

「? がんばれ」


 クールダウンとは何だったんでしたっけ?と疑問に思う花香であった。

 因みに、夜々はどのくらいか分からないので首を傾げている。


「それで、悠人さんの仕込みはどうなんですか?」

「ええ、いい感じですよ。ずっと前は、4時間もかかりませんでしたし、今なら3時間以内は余裕でしょう」

「はぁ〜、やり過ぎよ」

「そうね。でも、悠人には足りないでしょうね」

「……はい?」

「悠人は何のために鍛えていると思ってるの?」

「確か女性に負けず劣らずの身体能力が欲しい……あっ」

「しかも、常に私とマリアが側にいてのトレーニング。じゃあ、その悠人にとって最大の壁となる人物は?」


 自分とマリア。


 いつからだったか。


 いや、トレーニングをした時からだっただろうか。


 悠人が自分達をライバル視していることに。


 超えるべき相手と認定されていることに。


「悠人にとってフルマラソンの記録更新よりも、私達に勝つことが大事なのかもしれません」


 地位と金と権力なら私達とくっつけば直ぐに手に入る。名誉はもうグラウザーの中身として間接的に手に入れている。


 普通ならそこで満足して終わってもいいだろう。


 だが、男は我儘だった。


 そんなことよりも私達に勝つことが大事だと。


 私の出した目標タイムは、3時間以内。しかし、悠人と同じ歳の際、エリナの走った記録は、2時間16分21秒。

 運がいいのか、悪いのかそれをうっかり誰かが伝えてしまった。


 確実に自分の記録を目標にするだろう。



 彼は負けず嫌いで、諦めが悪いのだから。



「あぁ、マリア許しておくんなんし!」

「金属ドリルじゃありません! カスタードコロネでもありません!悠人様、この髪は縦ロールですっ!」

「マリアが言ったんじゃねえか、もうちょい砕けた感じでって!」

「悪口は許容できません!」

「俺も悪かったよ」

「悠人様!」

「俺が、俺が悪かった!」


 そんな彼はマリアを怒らせて、追いかけられていた。



 ……。



 今はあんなことしているけれど、楽しみなのは変わらない2人だった。 



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