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トスを上げる人、その思い出 スポーツの秋に寄せて(後編)

作者: 池畑瑠七

前編より、続きます。

 スポーツの話から少し離れるが、父から教わった様々なノウハウや教えは、思い返すと結構多岐にわたっていたなあと思う。車の免許を取ることになった時も、父のスパルタ指導があった。


 仮免取るまでは、山麓に広がる演習場へ連日連れていかれ「運転交代!やってみろ!」

 父の叱咤を受けながら砂利の広場や酷い凸凹だらけの戦車道を、基本操作練習に走らされた。

 (※当時はまだ厳しい制限もなくて、隊員だった父の同伴だったから演習の無い日は場内に入れた。現在は無許可侵入は禁止!)


 仮免が取れると公道が走れる(※熟練運転者同乗で)ので、練習は空いている市内一般道や周遊道になった。全然身体が覚え込んでないペダルやレバー操作とハンドリング、イマイチ把握出来てない車両感覚、小さい身体に合わず視界の悪い運転席。極度の緊張で逆に集中が保てず、終始あたふたオロオロである。


 冷や汗かきかき、やっとの思いで周遊道終点にある広い駐車場にこぎ着けると、雄大な景色を眺める余裕もなく車庫入れやギヤチェンジの練習。帰路は急勾配の下りで、これもまた不慣れな仮免ドライバーにはヒヤヒヤの連続であった。


 それでも指導の甲斐あってどうにか本免許が取得できると、兄の時と同様に今度は1000キロ走破するまでは父の同乗指導を受ける、という実車訓練が課された。達成までは一人ドライブはお預けである。

 四方囲む近隣の険しい山道という山道を延々、叱りとばされながら毎日何十キロも走行した。おかげで近場の景色のいい場所とアプローチルートは大体把握でき、今となっても何かと助かってもいる 笑。


 1000キロ最後の仕上げは高速道路教習で、片道200キロを折り返し総計400キロ…というロングドライブだった。途中のサービスエリアで、同行した兄と3人で海を見ながら食べたソフトクリームの美味しかったことと、晴れ渡った青い夏空に海の上悠々と泳ぐ白いカモメたちの姿…今もハッキリと思い出せる。



 運転のノウハウや安全運転の心構えも、そんな風にして父という鬼教官から伝授された。ただ伝授はされたけれども、じゃあよほど得意かというと…?ドライブは大好きなんだけども運転が上手いのかと訊かれたら全くそうと言い切れない…のが、なんとも苦しい所ではある 笑。


 今思うと、メカに弱い反応鈍い緊張しいで飲み込みも悪い、4拍子揃ったみたいなヘッポコ初心者の私の運転指導は、リアルに危険が伴う訳だし責任も重く、骨が折れ相当に根気がいったことだろう。大変だったろうな、よく父は辛抱強く付き合ってくれたなあと思う。

 大好きな音楽聴きながらの運転が今心から楽しいと思えているのは、この時の愛情溢るるスパルタ指導のお陰にほかならないのだ。未だ感謝の思いは止む事無しである。



 さらに話が膨らむが、若い頃から大のクルマ好きだった父のマイカーエピソードは数限りなくある。運転指導の話を書いていてふと思い出したのは、故郷に暮らす目の悪い高齢の義母(私にとり母方の祖母)に纏わる出来事だ。


 彼女を、まだ目が見え歩けるうちに一度 娘と孫の暮らすここへと連れてきて、雄大な日本一の山をみせてあげたい。その義母を乗せるため、と言って、気に入ってた新車をとっとと手放し当時まだ珍しかった大型の4駆RV車に、ぱっと乗り換えてしまったことがあった。(退職金は大分目減りしてしまったことだろう。)

 ある日帰省したら、狭い庭いっぱいに濃紺の大きなその車がドーン!と置いてあって大層面食らった覚えがある。


「ええっ、前の車が良かったのに!…私でも運転しやすかったのに。これじゃ私運転できないよ…」が第一印象だったのだが話を聴いたらそういう事だというので、少ない父の手取りと自身のフルタイムワークでどうにかこうにか家計をやりくりし続けて来た母と、「あーお父さんらしいな…」と一緒に苦笑い、だった。


 ここまで振り返りながら今になって、気づいた。この頃の父は、宣告された自らの病気の静かな進行を自覚していただろうという事に。

 故にいま出来ることを、いまのうちに。やれることはすべて金も時間も惜しまずやり尽くしたい。伝えられる大事なものは全て、伝えておきたい…。そんな想いが少なからずあったのでは、と思い至った。


 父は、家庭では頑強な大黒柱だったがそれ以外のコミュニティでは常に「縁の下の力持ち」だった。

 職場から工作物の仕事を毎日のように自宅に持ち帰ってくる。そうして趣味で取りそろえた各種本格工具類を駆使しては、隊で皆が使うアイテムや大道類具を工夫凝らして手作りするのだった。頼まれて引き受けたものもあれば、自発的にやっていたものも。多分後者が大半だったのではと思う。

 ゆえに材料費が出るとか給料が上乗せされるとかは勿論ないのだが、それでもいつも何かしら、寸暇を惜しんで楽しそうに作っていた。


 職場や地域内・親族や知人友人たちの間でも誰の前でも、まったく姿勢の変わらない人だった。

 地区役員の仕事、山菜採りの指導、祭りの出店の準備(山菜天ぷらとか、手作りおもちゃとか…)、記録撮影係、山野草のレクチャー、身の上相談や支援などなど……仕事と家庭と沢山ある趣味の傍ら、絶えず精力的に動き回っていた。


 いつどんな時も父は、受けたパスを誠実に繋ぎ静かに、誰かに、トスを上げ続けていた。趣味やポリシーに於いては人一倍頑固で譲らないものがあったが、同時に「誰かの役に立つ」ことを何時も自然体で構えず、やっていた。自分が表裏どちらに立つ、とかにはなんの拘りも興味もなくて、ただ当たり前に常に、そうだった。



 わたしは幸いにして父から引き継げたものもあるけれど、全然及ばない所が余りに沢山あって、そういうものを直接 孫へ次の世代へ、手渡しで伝えてほしかった。

 けれどもあまりに早過ぎた別れで間に合わなかった、叶わなかった。


 その想いも手伝って、子育て中はいつも父や母が私ら兄妹にしてくれたことと全く同じことを、なぞるように、していた気がする。

「こうやって遊んでくれたな」

「こんなこと言ってたな」

「こんな風に教えてくれたな」と常に思い出しながら子供達と向き合っていた。

 家族や仲間の写真を撮りまくり、一緒に音楽や映画や芸術に触れ、モノづくりやスポーツを楽しみ、キャンプ等アウトドアを日常にし、そして1000キロ運転もやっぱり、やった。


 しかし「山の仙人」と呼ばれたほど山を愛した父の、豊かな知識やサバイバル術を私はまるきり引き継げなかった、という事に、強い心残りも絶えずあった。

 もっともっと沢山教えて貰ってたら良かった…魚の骨が喉の奥に刺さったまんま、チクチクと痛み続けた。


 どうにかして子供達にそれらを少しでも伝えたい、自然のなかで学ばせて貰えたらとの願いから、子供達と一緒に野外活動を主とする青少年活動団体に加入してみる道を選んだ。


 入ってみると、その有りようは門扉を叩いた当初イメージしていたものとは少し違っていた。単に楽しい野外体験を提供したりアウトドア技能や知識などを習得させることが目的ではなかったのだ。それは手段にすぎなかった。


「野外を教場とし、体験を通して学ぶ。年齢も個性も多様な仲間との活動で社会性やひとの役に立つ技能知識を身に着け、平等・人権・友愛・奉仕・環境を学びながら健やかな心身を涵養し、世界平和を築き広める、その一員として生きる人を育成する」

 こういった理念のもと、幼年から大人まで生涯をカバーする一貫した教育システムによって長年にわたり平和教育活動を世界各国で推進してきた、骨太な青少年育成組織であることを知った。


 そうだったのか、つまり楽しい野外遊びや奉仕を手段に子供らの逞しい成長を助くるだけでなく、大人も学び続けられるんだ いつからでも遅くはないんだ、という事に一層、魅力を感じた。



 掲げる理念に強く共鳴した自分自身も、子供と一緒に参加するうちに大人として活動を支えるリーダー側へと足を踏み入れて行った。しかし表に立って子供達の教育にあたるには技能も知識も経験も度胸も(笑)全く足りていない…。

 様々な経験や研修等を経るほどに、リーダーや保護者も含め全体を支える裏方仕事にやはり自分の適性があるという思いを強め、そちらの面で非常に遣り甲斐を感じて特に励んだ。


 そこでの活動は20年ほど続いた。

 志を同じくする仲間達と切磋琢磨しながらプログラム管理や組織の運営に携わり、 表に立つ時には色んな世代の色んな子供達と真剣勝負、全力で遊び学びあう日々だった。

 単身赴任の父親と触れ合う時間が満足に取れない我が子達にとって、一緒に遊べる・体験と成長を共有できる・多くの仲間や先輩たちの目とサポートがある、というのも非常にありがたく心強かった。


 ただ長男次男で、この頃の思い出を語らせると大分温度差がある。次男は良かった事しかない、みたいな楽しい想い出がいっぱいだが、4個上でグレーゾーンの生き辛さに悩む長男にとっては、学校との両立に楽しいばかりじゃない・意に添わぬ部分も実は少なくなかったのだった。


 必死に毎日をこなす中で、一番大事な我が子が抱え込んだ痛みの深さにあの頃気付いてあげられなかった、それを思うと強く胸が痛むというのは、今もある。

 未来へと歩む彼にとってより良き道とは何か、現在も進行形で手探りは続いている。



 振り返るとそんな風に、しんどい事や己の至らなさにグサグサと胸刺されるような思い出も多々だ。家庭と仕事と活動の三足の草鞋で、今にも千切れそうな鼻緒のまんま全速力で走り回るような慌ただしさだった。

 けれども、それでも痛みも苦労も喜びもそれらすべて含めて、本当に多くの貴重なボールを受け取らせて貰えた、実り多い豊かな月日だったな…と感謝の思いが溢れる。

 家庭事情で今は活動から離れたが、そこでの様々な経験は非常に意義深いものだった。確固たる礎と柱となって今の自分自身も家庭も、きっと成人した子供達それぞれも揺るぎなく支えてくれているって事は、疑う余地はないと思っている。



 想えばそういう経験が出来たのも、父の遺志を継ぎたい想いからの縁だった。

 セッター役の父から届いたボールは、巡り巡って時間も空間も越えて、私という媒体を通して孫(我が子達)や、私に関わってくれた多くの方々へ脈々と繋がっているんだなと思う。


 父が母が上げてくれたトスは今も生きて、誰かを輝かしてると信じている。

 私は父親に似て…というか父を手本にしてきた故だろう、セッター役が向いてるようだなと常々感じる。スパイクを打つ人へ より良いトスを上げることに、大きな喜びがある。


 いろんな打球が来るから、いつも上手くレシーブしたりパスを出すってのはなかなかに難しい。ボコボコに打ち込まれ凹んだり、拾いそびれたり、上げたつもりがダメダメダメの残念レシーブになっちゃったり……ヘマした数など数えきれない。

 敢えて受けずスルーも必要なら、上げるとみせて…自らスパイクを打つ!なんて場合もまあ、たまにはある  笑。


 中でも、信じて見守る・任せる事、これが何より難しい。けど無くてはならない大切な判断だと痛感する。 「それでよかった」と笑えるのが大分時が経ってから、という事も多いし、正解そのものが無いときだって珍しくはない。



 私の出したパスは、大切な人へと真っ直ぐ届いてるだろうか。届くだろうか。

 上げたトスは、ちゃんと役に立っただろうか、役立ってくれるだろうか…。

 逡巡そして試行錯誤は、いまだ片時も途絶える事が無い。



 それでも。観察と判断を出来る限り冷静に、正確に。手元に届いた打球の本質・状況を見極め、疎かにせず受取り。返す時には受け取る相手を思い、独り善がりでない球を。

 今ここでの最善な一打とは何?どうすれば打てる?…例え結果的に失敗しちゃったとしても、そういう事をちゃんと考え結果にも恐れず向き合えるようでありたい。


 人づきあいが得手でなく沢山の人と上手に付き合うみたいな事は、昔とあまり変わらず今も苦手な分野だ。それだからこそ尚更大切に想う人たちには、自らも含めてより輝くような、心からの笑顔が増えるようなボールを届けたい。

 みんなが私へと出してくれたボールを大切に繋げて、受け止めてくれた相手にとってより良いものとなる一打が迷わず出せるように。コツコツ研磨を怠らずに居たい。


 

   思えば、本当に沢山の沢山の人たちから様々なパスやトスを、貰い続けて来た。

  厳しい一打、難しい一球、痛い一撃もあったけれど多くは、あたたかいパス、貴いトスだった。

  大好きな歌の一節がいつも、心をよぎる。

 「花、あなたがくれたのは花、花」(花に嵐/米津玄師氏作)

  どの花も、糧となって種を産む。


 強い信念と愛情のトスを根気強く溢れる程与えてくれ「限りある命と時間を大事に使え、楽しめ、学べ、良く生きよ」と教えてくれた両親や沢山の先達たちへ。

 こんな私の へなちょこなパスを理解し許し愛して受け続け、寄り添い、ボールの行ったり来たりを大切にしてきてくれた家族や、仲間や、大切な友へ。


 心からありがとうと、どうかこれからも宜しく!!との思いで、いっぱいである。



前後編に渡る長い思い出話を最後までお読み下さり、誠にありがとうございました! m(_ _)m

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