最終話
樽型のジョッキがテーブルの上に二つ置かれた。
泡がこぼれる寸前まで注がれたビール。クレアが思っていたよりも量は多かった。
果たしてこれを全部飲み干すことができるのだろうか、と不安になり始める。
「では乾杯しましょう」
ジョッキを手にしたアメリアが言う。
「……ああ。そうだな」
左手でジョッキを持ち上げると、なかなかの重さがあることに気づいた。片手だけでは腕がプルプルと振るえるほどであった。
生まれて初めてのビールだ。もし美味しくなかったら、全部飲むのは苦痛だろう。不味くて吐いてしまう恐れもある。最悪の場合、酒が原因で命を落とすこともあり得るので、まさに命がけの挑戦だといえる。クレアは急性アルコール中毒で大学生が死亡するニュースを思い出した。
「ではでは。クレアさん、今日もお疲れ様でした。乾杯!」
カツン、とジョッキ同士をぶつけ合う。
その直後にアメリアはググっとビールを喉へ流し込んだ。
「ぷはぁっ~! やっぱり仕事終わりのビールは最高です!」
口元に白髭を生やしたアメリアが唸る。
彼女は心の底からビールの美味さを感じているようであった。
対するクレアはジョッキに口を付けようともしない。
この期に及んで、未だに心の準備ができていなかった。
「そ、そうか。そんなに美味いのか。それはよかったな、アメリアよ」
「声が震えていますよ、クレア様。やはり無理しない方が……」
ノーラが小声で言う。
大量のビールを前にして怖気づいていることがバレているらしい。
だが、自分はいずれこの世界を支配する存在だ。たった一杯のビールごときで手を焼くわけにはいかないのである。
とうとうクレアは覚悟を決めた。
「ははは! このくらい軽く飲み干してやるのだ!」
両手でジョッキを持ち、ぐびぐびとビールを飲む。
麦の香りが鼻を突き抜ける。また、その後から遅れて苦味がやって来るのを感じた。
舌が捻じれるような感覚に襲われる。はっきり言って美味しくない。
「ごへぇっっっ!」
クレアは勢い良くビールを吐き出した。
テーブルの上がビチャビチャになってしまった。
「クレアさん?!」
驚くアメリア。
「だから忠告したのですよ」
ノーラはクレアの背中をさすりながら言った。
「おいおい、大丈夫かよ。うちのビール、そんなに不味かったか?」
ガウスが気まずそうな顔をする。
「そういうわけでは……ない、ぞ? 勢い余ってむせてしまっただけだ。この店のビールは美味い。今まで飲んだ中でも一番だ」
涙目になりつつも、強がりを見せる。
ビールの苦味にビックリしたなどとは恥ずかしくて言えない。
とはいえ、もう二度と飲みたくないというのが正直な気持ちだった。
アメリアはどうして、こんな変な味がするものを美味しそうに飲むことができるのか。それが謎で仕方がなかった。
「あー、とても素晴らしいビールだな。これはなかなかお目にかかれないだろう。よし、そうだ。ノーラよ、せっかくだからお前も飲むといい。今日は特別だ。残りは全部お前にくれてやろう。うむ、全部だ。遠慮はいらん。しっかり味わいたまえ」
まだ半分以上ビールが残っているジョッキをノーラに押し付ける。
こんな苦いものをたくさん飲めるわけがない。もう無理だった。
「ありがとうございます、クレア様。頂戴いたします」
ノーラはジョッキを受け取ると、コクコクと上品に飲み始めた。
息継ぎをすることなく、そのまま最後まで飲み切ってしまうのだった。
「ごちそうさまでした。とても美味でございますね」
彼女は顔色一つ変えることなく、いつものように爽やかな微笑みを浮かべている。
やはり魔人はどんなものを飲んでも平気であるらしい。
「えっと……。ノーラさんは普段からお酒を飲まれるんですか?」
平気な顔でビールを一気飲みしたメイドの姿に戸惑う様子のアメリアが尋ねる。
「いいえ。私はメイドでございますから」
ノーラは笑顔を崩さなかった。
「うむ。たまには飲んでみてはどうかと思い、今日は特別に許可したのだ」
クレアは胸を張って言う。
ここは威張るところでも何でもないのだが……。
本作品は今回を持って打ち切りとさせていただきます。
大変申し訳ございません。
クレアとノーラをメインとした物語をリメイクという形で、いずれ投稿したいと考えております。その際は何卒よろしくお願いいたします。




