50:希望の芽
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「実に素晴らしい案ですな」
「ああ、それがいい。浮浪者を野放しにするのではなく、一か所にまとめて徹底的に管理する。こうすることで市民の安全も守られるでしょう」
「さすがは伯爵。私も賛成だ」
ケルンの意見に肯定的な声が飛び交う。
なぜ誰もおかしいと思わないのか。クレアはそれが不可解だった。
ここにいる議員たちは皆、上流階級の人間ばかりだ。裕福な暮らしを送っている彼らには、貧しい者の気持ちなど理解できないのだろう。
金持ちは貧乏人を同じ人間だと思っていない。きっと別の生き物として捉えているのだ。だから、自分たちの都合で貧民を拘束し、コントロールすることが効率的で正しいと考えており、その異常性に気づくことができない。
かつてのクレアもそうだった。自分は庶民とは違う。自分は彼らよりも遥かに優れた存在であり、崇められるべきだと思っていた。一般人や使用人に向って、「私と同じ空気を吸えるだけでもありがたいと思え」などと吐き捨てたこともあった。
ところが、富を失った途端、自分には何の力もないことを思い知った。無力で無知で無能であることを認めざるを得なくなった。
クレアは「金持ちの娘」という特権を振りかざして生きてきた。それができなくなると、今まで見下していた人間よりも自分が劣っていたことに気づかされたのだった。
もし、この世から経済という概念が消失し、石器時代のような社会に逆戻りしたならば、労働者階級の上で胡坐をかいている貴族や役人たちは果たして生き残ることができるだろうか。
貴族、平民そして貧民。これらの勢力関係が何かの拍子で一気に変わることがある。
それはつまり、革命である。
明日、この帝国で革命が起きないという確証はどこにもないのだ。
底辺だと馬鹿にしていた者たちに牙を剥かれる時が来るかもしれない。そういった危機感を抱かずに生きているから、ここの貴族たちは身勝手なことしか言えないのである。
その一方、地獄を味わったクレアは、転落の恐怖を知っていた。
彼女は屋敷を手放し、母親と二人で狭いボロアパートに住まうことになった過去がある。
転校先ではいじめと暴力を受けた。愚民呼ばわりしていた人間に彼女は腕力でねじ伏せられたのだ。
自らの地位が保障され続けるという考えは今すぐ捨てねばならない。貧民たちを雑に扱えば、いつか復讐されるかもしれないということを覚えておくべきだ。
――ま、こいつらに言っても聞く耳を持たないだろうな。
冷めた目で議員たちを眺めるクレア。
いつの間にか、議論は貧乏人への偏見や差別に満ちた悪口大会のようなものへと移り変わっているのだった。
一人の議員が言う。
「地方からの移住を制限すべきだ。帝都へ出てくる者は、どいつもこいつも礼儀や作法をしらない田舎者ばかり。そういう人間がこの街で揉め事や騒ぎを起こしている。厄介ごとを持ち込む人間は外へ締め出すしかない」
別の議員はこう言った。
彼は製糸工場の経営者だった。
「私の工場では頻繁に機械の部品が紛失するのですが、どうやら従業員が盗んでいたようです。調べると彼は地方から出稼ぎでやって来ていた者でした。盗んだ部品を売って儲けを得ていたみたいです。やはり貧乏人は根性が腐っておりますな」
さらに他の議員も個人的な感想を述べる。
「最近は夜の外出を控えております。路上で浮浪者に襲撃される事件が増えていますからね。真面目に働かず、他人から金品を奪って生活するなんて、けしからんですよ」
どれも彼らにとっては許しがたい事実なのだろうが、それとこれとは話が別だ。
確かに罪を犯した者は裁きを受ける必要がある。どんな事情があったとしても、盗みや人殺しを容認することはできない。犯罪は犯罪だ。
問題はすべての貧困者が犯罪者予備軍として扱われ、不当な差別を受ける可能性があるということだ。
「社会の平和と安全のため」という名目で、社会から隔離された彼らは何を思うだろうか。
もしケルンの案が実現し、貧民が施設に収容されることになれば、彼らは自由を失い、縛られた生活を送ることになる。
収容者たちはこんな馬鹿げた仕組みを生み出した社会を恨むに違いない。
怒りと不満を募らせた彼らが一斉に蜂起することになれば、帝都は更なる混乱に陥るだろう。これでは本末転倒だ。
「議長。我々はケルン殿の案を推します。貧民を管理するための条例をただちに成立させるべきです」
「あと、彼らを収容する施設も必要ですな」
「近く審議を行いましょう」
議員たちが訴える。
それを聞いたブランケンハイムは頷いた。
「うむ。では一度検討を……」
「待ってください!」
議長の言葉を遮る声が会議室に響く。
陰鬱で淀んだ場の空気を切り裂くような声だった。
「あの、えっと……。そ、それはちょっとどうかと思います。いくら何でもおかしいのではないでしょうか」
アメリアだった。
彼女はさっきまでずっと沈黙を貫いていたのだが、ここへ来てとうとう耐えることができなくなったらしい。
「アメリア君。いきなりどうしたのだね?」
「いつも大人しい君が議論中に大声を上げるなんて、らしくないじゃないか」
「この案の何が変だというんだい?」
苦笑しながらアメリアをなじる議員たち。
小娘が何か言っている。ちょっとした反抗みたいなものか。たまには議員らしく反論意見を述べてみただけに違いない。議員たちはその程度にしか思っていないだろう。
だが、彼女には明確な意思があるようだ。
「だって、何も悪いことをしていないのに、捕まるのでしょう? それって冤罪じゃないですか」
「いずれ犯罪に手を染める者たちだ。冤罪ではなくなる」
「……さ、最初からそう決めつけるのは間違っています! 貧乏でも努力している人はたくさんいます。私も昔は貧乏でした。生活は苦しかった。でも、人からお金や物を盗もうと思ったことは一度もありません」
目が虚ろで声は震えているが、懸命に主張するアメリア。
その姿を目にしたクレアは小さな笑みを浮かべる。
そして、こう思った。
まだこの議会は完全には腐っていない。
希望の芽は残されている。
やっと声を上げる者が現れた。
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