39:隕石
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雲一つない秋晴れの空が広がる平日の昼下がり。元気に遊び回る子供たちの声が響き渡る公園の片隅で、口元に髭を生やした坊主頭の男が、ベンチに座ってうな垂れている。
右手に缶ビールを握りしめたその中年男は、アルコール混じりのため息を何度も吐きながら、今にも泣き出しそうな顔で足元に群がる蟻たちの行進を眺めていた。
男の名は、馬場新吉。五十四歳の無職。彼は現在、求職中の身だった。ところが、今日も職業安定所に行くことすらできなかった。
新吉が目を覚ましたのは昼前だった。それから歯を磨き、靴紐を固く縛って家を出た。そこまではよかった。だが、道を歩き始めた途端に足取りが重くなり、体が思うように進まなくなったのである。
目的地の職安へ向かうことを全身が拒否しているのだった。
職安とは反対方向へ歩き始めた彼は、まるで誰かに操られているかのような動きで、コンビニへと入っていく。そこで缶ビールを一つだけ買って外に出ると、近くにある公園へ向かった。彼はベンチに腰掛け、ビールを飲み始めた。
(違う。そうじゃない。ワシは酒を買うために家を出たわけじゃない。ホンマに何をやっとるんや……)
己の不甲斐なさに悲憤する新吉。自分の人生はこんなはずじゃなかった。どうして、自分はこんなに情けない人間なのだろう。
自身に対する怒りが収まらず、ヤケになった彼は、残りのビールを一気に胃の中へ流し込むのだった。
ビールを飲んでいるはずなのに、その味がしない。ただの水を飲んでいるような気分だった。こんな状況で酒を飲んでも美味しくないのは当然だろう。それでも、身体がアルコールを求めている。だから何も考えずにひたすら飲む。もはや飲酒を自制することはできない。
新吉は気さくで陽気な人柄をしている。近所では人当たりの良いおじさんとして知られていた。しかし、定職に就かず、パチンコや競馬といったギャンブル漬けの日々を送っており、オマケに酒癖も悪かった。酔うと人が変わったように乱暴な性格となり、家族に手を上げることもしばしばあった。愛想を尽かした妻と娘は家を出て行き、彼は五年ほど前からアパートで独り暮らしをしている。
家族も金も仕事も無い。新吉はとても哀れな男だった。とはいえ、すべては彼の身から出た錆である。同情の余地もない。酒とギャンブルに溺れた彼は自暴自棄になり、ますます生活は荒れた。もう取り返しのつかないところまで来てしまっているのだった。
このまま孤独に死んでいくのだろう。救いの手などない。すべてに見放された新吉は、自らの将来を嘆いた。
「ワシはもうアカン。あー、人生やり直したいわ……」
人生をやり直したい。それが彼の近頃の口癖だった。
時間を巻き戻して、若かった頃に戻りたい。若さがあれば、何だってできるはず。タイムマシンに乗って二十歳の自分に会いに行くのだ。そして、真面目に働けと言い聞かせたい。
でも、そんなことは不可能である。現代の科学技術では時間を巻き戻す装置は開発できない。
人生は一度きり。過去に戻るなんて夢のまた夢。心の中ではそのことを理解しているが、現実逃避をする以外に精神を保つ術がない。これまでずっと、辛いことや嫌なことから逃げ続けた結果、新吉はこの期に及んでも現実を見ることができないのであった。
せめて、何かチャンスが欲しい。新しい自分に生まれ変わるきっかけが欲しい。それさえあれば、心を入れ替えることができるはず。今からでも挽回できるような気がする。
まさに他力本願だった。新吉はどこまでも甘ったれていた。自分以外の何かに頼るだけの生き方しかできない男である。そんな人間にチャンスの神が微笑みかけるはずがない。
だが、思わぬ形で彼は人生をやり直すことになるのだった。
ベンチに座って空を見上げた時だった。
大きな火の玉がこちらに向かって降ってきているではないか。
隕石だ。宇宙空間を漂っていた小惑星が、地球の引力に吸い寄せられてきたのである。
隕石落下の衝撃により、街は壊滅的な被害を受けた。この災害で多くの人間が死亡し、彼もまた爆風に巻き込まれ、その命を落とすこととなった。
五十四歳にしてその生涯を閉じた新吉。彼はこのまま永遠の眠りにつくはずだった。
ところが、また目を覚ました。死んだはずなのに今も生きている。なお、彼は自分が一度死んだことに気づいていない。
いつの間にか新吉は灰色の壁に囲まれた謎の空間に来ていた。今まで一度も訪れたことがない場所だった。どうやってここまで来たのかはわからない。酒に酔って記憶が飛んでしまったのだろうか。
そこには新吉以外にも人がいた。全部で二十人くらいだった。
彼らは皆、事態を把握できていない様子だ。ここがどこなのか、理解している者は誰一人いないらしい。この状況に困惑しているのは新吉だけではなかった。
彼の前にはツインテールの可憐な少女が立っている。彼女は他の誰よりも落ち着きがなく、絶えずオロオロしている。いくら何でも焦り過ぎだという印象を受けるほどだった。
「はぅぅ~~。困ったことになったのですぅ……」
年齢は十代半ばと思われる。中学生か高校生だろう。背丈は低く、顔立ちも幼い。そして、なぜかメイド服を着ている。喫茶店でアルバイトでもしているのだろうか。
彼女の他にも個性的な人間が揃っている。燕尾服姿の紳士や今どきの女子高生ギャル、筋肉質の 大男に占い師のような恰好をした美女。
全員ただ者ではなさそうだ、と新吉は感じていた。彼らは何かしらの事情を抱えているものと思われる。きっと自分たちはワケがあってここに集められたのだろう。何者かが自分たちをここへ連れてきた。無意識のうちにそう思い始めていた。
「あわわわ……。スマホが壊れているのですぅ。これじゃあ電話もできないのですぅ」
「あのー、お嬢ちゃん」
新吉はツインテールのメイド少女に声をかけた。
不安なのは自分も彼女も同じだ。少しでもその不安を和らげるために、何か会話をしようと思い立った。
「ふぁ、ふぁいっ?! 何でございますですっ?」
見知らぬおじさんから急に話しかけられてテンパる少女。大袈裟なリアクションで、見ていて少し面白かった。
「ちょっと落ち着こうや。そんなに狼狽えても仕方ないやろ?」
新吉は穏やかな表情で微笑む。
「あ、はい……。その通りなのです……」
そう言って、一つ深呼吸をする少女。
「お嬢ちゃん、歳はいくつや? どこから来たんや?」
「じゅ、十五歳なのです……。浜見市から来ますた」
少し噛みながらも、先ほどよりは落ち着いて返答する少女。
ここからちょっとずつ緊張をほぐしてあげよう、と新吉は思った。
「浜見? ワシと同じやな! ワシもそこに住んでるねん」
「へぇ~」
「浜見のどの辺や? 北か? 南か?」
「駅の近く……なのです」
「そうかー。ほな、南寄りやな。ワシの家は、そこよりもうちょい北の方や。デカい滑り台が置いてある公園の横にあるアパートなんやけど……。もしかしたら、ワシら今までどこかで会ってるかもしれへんなぁ」
自然な流れで会話を進める新吉。おしゃべりが好きな彼は初対面の人間ともすぐに打ち解けることができるタイプだった。居酒屋で飲んでいる時も、店主や他の客と仲良くなることが多い。
「お嬢ちゃんは今、高校生なんか?」
「はい。高校一年生なのです」
「その恰好、バイトの制服か? メイド喫茶でバイトしてるんか? どこの店や? 今度ワシも行ってええやろか?」
「あうぅ……それは……」
答えづらそうにする少女。ただのアルバイトではないのだろうか。
「もしかして、いかがわしい店で働いてるんとちゃうやろな? それはアカンでぇ。今すぐ辞めるんや。お父ちゃんとお母ちゃん悲しむで」
「そ、そういうわけではないのですぅ……」
少女は否定した。別にやましいことがあって言葉を濁しているわけではないみたいだ。誰だって 人には言いづらいことがあるだろう。あまり触れないようにした方がいいかもしれない。
よって、新吉は他の話題を振ることにした。
「そういえば、さっきデカい火の玉が降ってきたんやけど、あれは何やったんやろか? お嬢ちゃんも見てへんか?」
そう問われた少女は、ハッと驚き、何かを思い出したような顔をした。
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