38:英雄となる者
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クレアはカトリンが装備していた鋼鉄の鎧を剥ぎ取る。剣だけでなく鎧も有効活用しようと考えた。攻撃力と防御力の双方を強化することで、少しでも生存確率を高めようと試みるのだった。
ハナとカトリンの遺体を残し、廃墟となった劇場を出るクレアとノーラ。これから爆発が起こった現場へ戻る。
その道中でクレアはあることを思い出した。
「そういえば、まだ一つだけ聞いていなかったな。お前が現場で気づいたことだ。私がトイレから戻ったら説明すると言っていただろう」
「ああ……そうでした。ですが、今さらお話しする必要もないでしょう。もう終わったことですから」
爆破事件の犯人はすでに死亡している。犯人は誰なのか。何が目的だったのか。その答え合わせは済んでいた。過ぎたことを掘り返さなくてもいいはずだ。
しかし、それではクレアの気が済まなかった。話が途切れたままではスッキリしない。最後まで聞いておかないと心の片隅で引っ掛かり続けてしまう。だから、今さらではあるが、ノーラに続きを説明させることにした。
「いいから話せ。気になるのだ。このまま私にモヤモヤし続けろというのか?」
「かしこまりました。そこまでおっしゃるのであれば、お話しいたしましょう」
ノーラは短く息を吐くと、先ほどの続きを述べ始めるのだった。
「結論から申し上げましょう。私は最初からハナさんが犯人ではないかと疑っていました」
「そうか……。やはりお前にはわかっていたのだな」
あまり驚きはなかった。ノーラなら犯人の正体を見抜いていてもおかしくないと思っていたからだ。もし、「犯人は誰かわかるか?」という質問をしていれば、ノーラはそれに答えていたというわけだ。まわりくどい推理など不要だったのだ。
「私には人間が放つ感情や気の流れが見えます。そのことはクレア様もご存じでしょう」
「うむ」
魔人は人間の感情を「餌」としている。魔人には人間が放つ感情のオーラが見えるのだった。
「爆発が起きた現場には大勢の人がいました。皆さんからは、恐れや不安といった負の感情を感じましたが、ハナさんは違いました。彼女は愉快な気持ちになっていたのです。炎上する美術館を目にして、そのような感情を抱くのは不自然でしょう」
ハナは爆破することに快感を覚えるようになった。何かを破壊することに喜びを感じる人間だった。あの火災現場で一人だけ快楽に浸っている彼女の異常さにノーラは気づいていた。
「爆発音が聞こえた時、ハナさんは『美術館が爆破された』と言っていました。私はその時点で彼女が怪しいと疑い始めました。お屋敷から美術館は見えません。それなのに、どうして彼女は爆破された建物を特定することができたのでしょうか?」
「ああ、それは私も変だと思っていたぞ。だが、そのことを深く考えている暇はなかった。それに、あの女はずっと私たちと同じ場所にいたのだ。現場にいない人間が爆発を起こせるはずがない。そういった固定観念のせいで、私は無意識のうちに彼女を容疑者の候補から排除していたようだ」
時限爆弾がこの世界に存在するとは思っていなかった。そのため、クレアは現場にいなければ爆発を起こすことは不可能である、という考えに囚われていた。
「この事件は盲点だらけだった。犯人がすぐ近くにいたのに、気づくことができなかった」
「皆さんを欺き、疑いの目から逃れていたハナさんもお見事でしたね。あの落ち着きぶりは、普通の人間には真似できないでしょう。人を殺しても平然と振る舞える。普段と変わらない自分でいられる。彼女は優秀なメイドでしたが、テロリストや人殺しの素質もあったようですね」
ノーラは笑った。何がおかしい、とクレアは思った。
あの女は人をたくさん殺した。それは許されることではない。どんな理由があろうとも、殺人を正当化することはできない。
だが、殺人を犯したのはクレアも同じだ。彼女はハナを殺したのである。手を下したのはノーラだが、ハナはクレアの命令によって殺されることになった。クレアは初めて人の命を奪ったのだ。
人を殺したという感覚が、じわじわと強くなっていく。
相手は悪党だ。生きる価値もない。死んで当然の人間だった。自分は間違ってなどいない。そう言い聞かせることで、落ち着きを保とうとするしかなかった。
それでも、十六歳の少女にとっては難しいことだった。
人を殺した。それは一生消えない事実だ。罪の意識がクレアに襲い掛かる。
「はぁっ……、はぁっ……」
歩みを止めるクレア。息が荒くなる。
ハナの死に顔が脳裏に焼き付いて離れない。
自分が終わらせた。あの女の人生を……。
「クレア様……? 大丈夫ですか?」
震える主の身を案ずるノーラ。
「大丈夫だ。行くぞ……」
そう言って、再び歩き始める。
「何を怯えているのです?」
「……お、怯えてなどいない! 私は……私は何も怖くなど……」
「嘘です。漏れていますよ。恐怖という感情が」
「っ……!」
魔人の前では嘘をつくことなどできないようだ。
すべて見透かされている。感情を読まれている。強がったり虚勢を張ったりしても意味はない。彼女を欺くことは不可能である。
「……ああ、そうだ。怖いのだ。私は人を殺めてしまった。自分の命令であの女は死んだ。本当は誰も殺したくない。自分の手を汚したくない。……でも、そうしなければ自分は生き残れない。だから、これからもたくさん殺すことになる。私はそれが嫌だ。次第に感覚が鈍くなって、平気で人を殺せる人間になってしまうのではないかと思うと、恐ろしくてたまらないのだ。お前にこの気持ちがわかるか?」
クレアは抱えている不安をすべて吐き出す。
「わかりません。私は魔人。マスターの命令に従うだけの存在です。命令さえあれば、いくらでも殺します。人間がどれだけ死のうと、私が知ったことではありません。最後にクレア様が生き残る。それだけでいいのです」
ノーラは冷淡な表情で言った。その瞳はどこまでも透明であった。迷いもなければ戸惑いもない。何も感じていないように見える。彼女が人間としての感情を持ち合わせていないことがよくわかる瞬間だった。
「実際に人が死んでいくのを見て、平気でいられる方がおかしいのだ。怖くないわけがないだろう」
「あの、クレア様」
「何だ」
「あなたはいずれ、世界を支配するのでしょう? そのためには、世界で最も強い存在にならなくてはいけません。だから、どんなことがあっても目を背けることは許されないのです。たとえ何人殺すことになっても、どんな相手を敵に回そうとも、躊躇ったり恐れたりしてはいけません。それはあなたの欲望を満たすために必要な行為なのですから。己の欲望にどこまでも忠実であり続けること。それがクレア様の生き様ではなかったのですか?」
「うっ……」
クレアは思い出した。何のために自分が今、ここにいるのか。
どうして、新しい世界で生きることを選んだのか。
それは、自分の欲望を満たすためである。そして、理不尽な形で終わった一度目の人生に納得できなかったからだ。
前世で不幸な目に遭った。苦しい思いをした。最後はわけがわからぬまま殺された。クレアは自分の身体、命、運命を弄ぶ存在が許せなかった。だから、今度は自分がやり返す番なのだ。
気に入らない運命はぶち壊す。邪魔者はすべて排除する。それが自分の決めた生き方なのではなかったか。
「私は……欲望のために……」
「そうです。欲望こそがクレア様の生きる道なのです」
「お前は私の望みを叶えてくれる。そうだったな……?」
「はい」
「絶対に……か?」
まだ不安そうなクレア。それを見かねたノーラはアクションを起こすことになった。
こうするしかない。こうすれば彼女は安心するだろう、と思った。
ギュッ。
「ずっと一緒にいます。私はクレア様のために何でもいたします。ですから、あなたはただ望むだけでいいのです。この私にすべてを預けてください」
ノーラは後ろからクレアを優しく抱きしめるのだった。
いい匂いがする。柔らかい。そして、温かい。
二人は同じことを感じていた。お互いの香り、感触、体温を共有し合っている。
果てしない安心感を覚えるクレア。この包容力は何だろう。父に守られていた時よりも、ずっと強くて頼もしい。
彼女たちはしばらく動かなかった。他に誰もいない静かな林の中。聞こえてくるのはお互いの心臓の鼓動だけ。
生きている。確かにここにいる。それは人間も魔人も同じだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
爆破された美術館は全焼し、中にいた大勢の人間が命を落とした。そして、数々の貴重な展示品も焼失してしまい、帝国は大きな財産を失うこととなった。国の誇りとも呼べる作品が一瞬で灰となり、国民たちは深い悲しみに包まれている。人々の心の傷が癒えるには、長い時間を要することだろう。
この凄惨な事件は社会に衝撃を与え、帝国はさらなる暗い影に覆われた。治安の悪化や不景気など、不穏な出来事が続く世の中。唯一の救いは、今回のテロを起こした犯人が死亡したことだった。犯人への怒りを募らせた民衆は、その死に歓喜するのだった。
テロの首謀者であるハナを死に追い込んだクレアとノーラ。彼女たちはテロリストの手から帝都を守った英雄として民衆に称えられた。
クレアはこの事件で大きく株を上げ、その人気はさらに高まった。一方、使用人がテロの首謀者だったという事実を受け、ウィリアムは帝都議会議員を辞職する形で責任を取ることになった。
議員を辞職した彼は故郷に戻り、静かに余生を過ごすつもりだという。
妻は五年前に亡くなっており、娘もすでに嫁に出ている。屋敷の使用人は五人全員が死亡し、ウィリアムはとうとう孤独の身となった。
世の人々のために尽力してきたウィリアムだったが、その役目もついに終わりを迎えるのであった。彼は誠実で人望があったため、政界引退を惜しむ声は多い。
「世話になったよ、クレア殿。後のことは君に任せよう。どうか、帝都を……この国を良いものに変えてほしい。応援している」
クレアとノーラはウィリアムを見送るために駅のホームに来ていた。これから彼は列車に乗って帝都を発つ。
「今までご苦労だったな。残りの人生は自分のために生きるといい。貴殿のこれまでの働きが無駄にならぬよう、私も善処するつもりだ。心置きなく休んでくれ」
「お疲れ様です、ウィリアム様」
辞職したウィリアムの後任の議員を決める選挙に出馬したクレア。彼女は圧倒的な得票率を以って帝都議会議員に当選した。これにより、民衆からの強い支持を集めていることが証明されたのだった。異世界に転生してからわずか三か月で、彼女は政治の世界に踏み込むことになった。
出馬を勧めたのはウィリアムだった。クレアは乗り気ではなかったが、いずれこの国を治めるつもりであるため、政治にも関わっておく必要があると判断し、選挙に出ることを決めた。
また、議員に支払われる報酬も大きな魅力だった。かなりまとまった額の収入を毎月得られるため、クレアはそれに惹かれたのだった。しかし、金のために議員を務めるわけにはいかない。そんなものは二流の政治家がすることだ。彼女が目指すのは一流である。中途半端な形で終わる気などない。やるからには全力を尽くす。あくまで報酬は魅力の一つに過ぎない。
笛の音がホームに鳴り響く。列車が出発する時間になったようだ。ウィリアムは車両の扉の前に立ち、別れの言葉を投げかけてくる。
「また会おう、クレア殿、ノーラ殿。体に気を付けて」
「うむ。そちらもな」
「どうかお元気で」
列車に乗り込むウィリアム。その手には大きな荷物がぶら下がっている。爆破と火事により、屋敷と共に彼の私物はほとんど燃えてしまったが、それでも故郷に持ち帰る荷物は多かった。
汽笛が鳴った。出発進行の合図であった。汽車の煙突からは黒い煙が噴き出す。そして、列車はゆっくりと動き始めた。
ウィリアムが窓から手を振る。クレアも手を振ってその姿を見送った。ノーラは隣で深々と頭を下げるのだった。
「惜しい男を失ったな。あいつは腐った世の中を変えるためにも必要な人材だった。辞めるべきではなかったのだ」
「はい。ですが、悲観してはなりません。ウィリアム様の穴を埋めること。それがクレア様のお役目なのですから」
「ああ。わかっている」
クレアに課せられた使命は壮大なものである。長年に渡って帝都を支えてきた一人の政治家が去り、この国は新たな時代を迎えようとしている。だが、先行きは不透明で、不穏な空気が絶えずに漂っている。
人々は帝国を「夢も希望もない世界」と呼ぶ。彼らはいつも不安だった。そして、この状況を変える英雄の登場を待ちわびている。
では、英雄とは誰なのか。誰がこの国を変えるのか。そのような存在が本当に現れるのか。
帝国を待ち受ける運命やいかに。
革命の使者として、この世界に現れたクレア。彼女は議員に成り上がり、また大きな一歩を踏み出した。
果たして彼女は英雄になり得る存在なのだろうか。それとも……。
その答えは神のみぞ知る。
第三章、完
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