30:炎上
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第一帝国美術館では数々の名画や彫刻品を鑑賞することができる。展示作品の中には国の重要文化財に指定されているものもある。ここは帝国で最も権威のある美術館で、一日に数千人の来館者が帝都内外から訪れる人気の施設だった。
だが今、その美術館が燃えている。オレンジ色の炎に包まれ、黒い煙を上げているではないか。
辺りは騒然としていた。爆発の衝撃と火災の恐怖でパニックを起こしている者もいた。大勢の野次馬が美術館の周りを囲んでいるのだった。
ウィリアムと二人のメイドは馬車に乗り、クレアたちよりも一足先に現場へ到着した。
クレアとノーラは馬車を持たないため、徒歩でここまで向かうことになった。急ぎ足で来れば、あと数分で到着するだろう。
すでに火消部隊がホースを使って消火活動を行っている。だが、火の勢いが弱まる気配はない。これはさらなる増援が必要だ。
「状況は?」
ウィリアムは近くにいた救助隊員に尋ねる。
「負傷者多数。建物内に取り残されている人もいます」
「そうか……。警察はまだ来ていないのか?」
「もうそろそろかと」
帝国の警察は動きが遅いことで有名だった。事件が起きても、すぐに現場に駆け付けることはない。意識の低さが顕著となっている。また、犯罪者から賄賂を受け取って悪事を見逃すこともあり、組織的に腐敗しているのだった。
ようやく警察がやって来た。それとほぼ同じタイミングでクレアとノーラも現場に着いた。
「早く市民に避難指示を。ここは危険だ」
ウィリアムが警察に命令する。
警察の誘導が始まり、野次馬たちはこの場から離れることになった。また爆発が起きる可能性もある。一般人を巻き込むことがないよう、彼らを今のうちに遠ざけておく必要があった。
「酷い火事だ。どんな爆弾を仕掛ければ、こんなことになるのだ?」
その場に立ち尽くし、クレアは燃え盛る炎をただ眺めていた。
炎の熱気が伝わってくる。パチパチと音を立てながら、勢いよく燃えている。これより先に近づくことは不可能だった。
現場に来れば何かがわかると思っていた。犯人確保の手掛かりになるものがあるのではないかと期待していた。だが、来てみればこの有様だ。手がかりなど見つかりそうにない。
とんだ無駄足だった。ここでは自分は何の役にも立てないだろう。むしろ危険な状況に巻き込まれに来たようなものだった。安全のためにも、ここは警察と火消に任せて退散するのが妥当といえる。
しかし、クレアは簡単には諦めるような人物ではない。負けず嫌いの彼女が、こんなところで引き下がるはずがなかった。
まだやれることは残っているはず。
クレアは今こそ切り札を使う時だと判断した。
「ノーラ」
「はい」
「何か気づいたことはないか? どんなことでもいい。とにかく言ってみろ」
魔人は人間とは異なる感覚を持っている。ノーラは人が気づかないことに気づいているかもしれない。
もしかすると、彼女はすでに何かを見抜いているのではないか。
「そうですね。まず一つは、火の勢いが強すぎる、という点でしょうか。石造りの建物が、爆発からたった数分でこれほど激しく炎上するのは不自然です。まるで、燃えやすくするための細工が仕掛けられていたように思います」
ノーラは表情を変えずに淡々と語り出した。
「うむ。私もそう思っていたところだ。他には?」
「クレア様は今、お手洗いを我慢されています」
「……そ、それは気づいても言わなくていい! というか、この事件には関係ないだろう! 私は今、真面目な話をしておるのだ!」
さっき紅茶を飲んだせいだろう。クレアは尿意を催していた。そういう風に見えないよう、普通に振る舞っているつもりだったが、まさかバレてしまうとは。
「関係ない……。果たしてそう言えるでしょうか」
「何……? どういう意味だ?」
意味深な言葉を発するノーラ。
クレアが思った通り、やはり彼女は人には見えないものが見えているのだろうか。
「我慢のせいで気が乱れていますよ、クレア様。冷静な思考を妨げてしまいます。このような状況では、一つの判断ミスが致命傷になりかねないでしょう。今すぐお手洗いに行かれることを推奨いたします」
ノーラは気の流れを察知することができる。クレアが発している感情の波は小刻みに揺れているのだった。
今はいつ爆発が起きてもおかしくない状況だ。気が乱れると、判断力も鈍る。危険を回避し損ねる恐れがある。だから我慢はするなということらしい。
「ふっ……。さすがは魔人だな。そんなことまで見抜けるとは。いいだろう。お前の忠告に従おう」
あくまでクールな態度を崩さないクレアだったが、内心ではホッとしていた。トイレに行くタイミングがつかめなくて困っていたからだ。
「それと、もう一つ……」
「まだあるのか?」
「はい。ですが、それはクレア様が戻られた後にお話ししましょう。少し長くなりますので」
「わかった。私は一旦離脱するぞ」
クレアは火災現場を離れ、近くの公園にある公衆便所へ向かった。
一方、ノーラはその場に残り続けている
。
本当は片時もクレアのそばを離れたくはないのだが、今回はそうもいかないのだった。
なぜなら……。
「やれやれ……。私は爆弾処理班に配属された覚えはありませんよ」
ノーラにはすべきことがあったのだ。
それは、彼女の真下に埋まっている「時限爆弾」の処理であった。
「こんなところに誰が埋めたというのでしょう……?」
ここでこの爆弾が炸裂すれば、さらに大きな被害が出る。近くにいる救助隊や警察、火消部隊が巻き込まれてしまう。
まさかここに爆弾が仕掛けられているなんて、誰も思っていないだろう。おそらく、気づいているのはノーラだけだ。
クレアがいないうちに爆弾を無効化しなくてはならない。
ノーラは素手で地面を掘る。
すると、縦横三十センチメートルほどの大きさをした箱のような物体が見つかった。そう、これが爆弾だ。
箱には液晶画面が付属しており、デジタル数字が赤い文字で表示されている。この数字はタイムリミットを示しているのだった。
起爆まで残り一分を切っている。
「危ないところでしたね。もう少し遅ければ、ここにいる皆さんは全員吹き飛んでいたでしょう」
そう言って、ノーラは爆弾に組み込まれている導線を凍結した。これでもう起爆することはない。その証拠として、タイマーも停止している。
一体彼女が何をしたのかはわからない。本当に一瞬のことであった。
「ふぅ。間に合いました……。さて、クレア様もちゃんと間に合ったでしょうか?」
ノーラは主人が戻ってくるのを待つ。
だが、彼女はなかなか戻ってこないのだった。
もしかして、間に合わなかったとか……?
心配になったノーラはクレアの様子を見に行くことにした。
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