21:満月の夜
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屋敷を出発した馬車は夜の森へと向かっていく。閑散とした山道に蹄の音が鳴り響く。
エリーとレーネは依然として意識がない。自分たちが死に向って進んでいるということを自覚しないまま、眠り続けているのだった。
二人は全身を縄で縛られており、たとえ道中で目を覚ましたとしても、ローラントに抵抗することはできないだろう。暴れようとしたところで、また強制的に眠らされるだけだ。
彼女たちは既に詰んでいた。もう助かりはしない。森の中に入ってしまえば、助けを求めて大声で叫んだとしても、その声は誰にも届かないだろう。今は魔族が活動する時間であるため、危険な森に近づく者はいない。
レーネは夢の中で、故郷に残した家族のことを思い出していた。
◇ ◇ ◇
レーネには四人の妹がいる。
長女のレーネはとても面倒見がいいお姉ちゃんだった。
彼女の家は農家だったが、この頃は不作が続いており、食糧難に見舞われていた。農業以外に仕事はなく、収入も得られない。このままでは、一家全員が飢え死にしてしまう。
満足に食べることができない妹たちを救いたい。こうして、レーネは帝都へ出稼ぎに行くことにした。
自分が家を出れば、食い扶持を減らすことができる。頑張って働けば、仕送りで家族を食べさせることができる。だから、レーネは自らを犠牲にして、家族のために働くことを決意したのである。
不況の波が押し寄せつつある帝都。安定した職を見つけることは容易ではなかった。そんな中で偶然目に留まったのが、ザックス邸における召使いの仕事だった。
レーネは住み込みで働けるという点に惹かれた。これなら家賃や食費を浮かせることができ、その分、家族への仕送りを多くすることが可能となる。彼女にとってはこれ以上ない好条件であると思われた。
しかし、屋敷の主人であるローラント・ザックスは、人間の皮を被った悪魔のような男であった。新入りのレーネは主人に暴力を振るわれ、セクハラを受け、心身ともにやつれてしまった。
辞めたい、逃げ出したい、と何度も思った。だが、これも家族のためである。我慢するしかない。
彼女は家族のことを想い、苦しみに耐え続けた。
レーネが勤め始めた頃、屋敷には二人の先輩メイドがいた。
二人とも物静かで気弱そうな少女だったが、ローラントからは気に入られているようだった。
彼女たちはどんな命令に対しても、嫌な顔をせず大人しく従っていたのだ。その様子から、感情を殺して働いているという印象を受けた。
従順に振る舞うことで、ローラントは態度を軟化させるということをレーネは学習し、それを実践するようになった。
その結果、相変わらずセクハラは続いたが、暴力を受ける頻度は徐々に減っていった。慣れもあり、精神的なストレスも最初に比べればかなりマシになった。
この環境に順応していけば、これからも働き続けることができそうだ。レーネは希望を抱き始めた。
ところが、最年長の先輩メイドがある日突然、屋敷からいなくなってしまった。
ローラントは「俺に反抗したからクビにした」と言っていたが、あまりにも急な話だったので、にわかに信じられなかった。
満月の夜になると、メイドが一人いなくなる。この屋敷にはそういった言い伝えがあるということを、もう一人の先輩メイドから聞いた。
レーネは自分もいきなりクビを宣告されたらどうしよう、と不安を感じ始めた。ここを辞めさせられても、次の働き口はそう簡単に見つかりはしない。だから、クビになるのは困る。
解雇されることがないように、彼女は常にローラントの機嫌を取ることばかりを考えた。そして、どんな命令も的確にこなすことを心掛けた。
自分がちゃんとしたメイドになれば、ご主人様に捨てられることもないはず。ご主人様にとってかけがえのない存在になろう。そう決心したのである。
だが、次の満月の夜のことであった。
深夜に目を覚ましたレーネは便所へ行くことになり、使用人室を出た。
すると、遠くの部屋から誰かの悲鳴が聞こえてきたのである。
気になったレーネは声がする方へ向かった。
辿り着いたのは地下室に続く部屋の前だった。
そこにはローラントと先輩のメイドがいた。
レーネは部屋の外から、二人の動向を覗き見た。
「おら! 動くんじゃねぇ!」
「やめてくださいっ! いやぁー!」
拘束された先輩メイドを地下室へ連れて行くローラント。
その一部始終をレーネは目撃してしまったのである。
満月の夜になると、メイドが一人いなくなる。
もしかすると、あの噂の正体はこういうことだったのではないか。
「……痛いっ! ああっ! 許してください! ぎゃああああああああああああ!」
地下から先輩メイドのおぞましい叫び声が聞こえてくる。
あの奥では一体、どんな恐ろしいことが繰り広げられているのだろうか。
想像するだけで、レーネは震えた。
両手で口を押え、息を殺すレーネ。ここから見ていたことをローラントに知られたら、自分も何をされるかわからない。見て見ぬふりをするしかない。
ローラントが地下から戻って来る前に、その場を去ることにしたレーネ。
拷問を受けているであろう先輩メイドを助けに行くことができない自分を恥じた。
自分も同じ目に逢わされるのが怖かった。だから、自分は何も見ていないし、聞いていない。明日もローラントの前ではいつも通りに振る舞おう。
(ごめんさない。ごめんなさい。ごめんなさい……)
レーネは心の中で先輩メイドに何度も謝った。
その翌日、先輩メイドは姿を現さなかった。次の日も、さらに次の日も……。
レーネは確信した。彼女はローラントに殺害されたのだ、と。
そして、今度は自分の番なのではないか、と恐れ始めるのだった。
次の満月の夜、自分はローラントに捕えられ、地下室へ連れ込まれる。拷問され、最後は殺される。
もし、本当にそうなってしまうのだとしたら……。
そうこうしていると、次の新しいメイドが入ってきた。エリーである。
メイドを殺した後は、新たに補充を行う。そして、古いメイドを再び殺す。
ローラントはこのようなサイクルでメイド殺しを行っていたらしい。
となると、次はレーネが殺され、その次はエリーが殺されることになる。
どうにかして、この連鎖を食い止めなければ……。
先輩メイドを救えなかった。自分が助かりたいがために彼女を見捨ててしまった。だから、その罪滅ぼしを行う必要がある。自分はどうなってもいい。たとえ自分が死んでしまっても、エリーだけは絶対に助ける。
そのためには、エリーにこの屋敷の真実を理解させる必要がある。とはいえ、彼女に直接伝えるのは危険だ。ローラントの耳に入る恐れがある。それに、そんなことを言われてもエリーはパニックを起こすだけだ。
間接的な方法で伝えるしかない。エリーが自ら、危機を悟ってくれることが望ましい。
そして、行動に移してくれることを願う。彼女の身に危機が降りかかる前に。
こうして、レーネは日記を使ってエリーに「警告」を残すことにしたのだった。
もうすぐ満月の夜が来る。その日が試練の時だ。
もしかすると、自分は大丈夫かもしれない。最近のご主人様は、自分を気に入ってくれているように思う。だから、自分を殺さずにいてくれるかもしれない……。
恐れる気持ちと淡い期待が入り交ざった状態で、レーネはとうとう、その日を迎えた。
日記はしっかりと書いた。もし私が殺されてしまったら、この日記がローラントに見つかる前に、エリーが読んでくれることを祈るだけだ。
満月が昇る夜。レーネは使用人室で震えていた。
今宵、ローラントはここへ来るのか、来ないのか……。
死ぬかもしれない。そうわかっているのに動くことができない。
こんなことなら、屋敷から逃げておくべきだった。でも、もし逃げたとしてもどうすればいいのかわからなかった。それに、満月の夜になれば殺されるという話は、単なる自分の思い込みであるかもしれないのだ。ひょっとしたら、今夜は何事もなく過ぎ去り、明日も普段通りの朝を迎えることができるかもしれない。
殺されると決まったわけでもないのに、ここを抜け出してしまうわけにはいかなかったのだ。だから、レーネは今日までずっと、屋敷にとどまり続けていたのである。
どうか、この先も……。エリーとずっと一緒にいたい……。
レーネにとってエリーは愛おしい存在になっていた。いつの間にか、彼女への想いは特別なものへと変わっていた。
未だかつて恋を知らないレーネ。これは生まれて初めて抱く感情だった。
いつか二人でここを出て、二人で幸せを手にしたい。
もし、エリーが私を受け入れてくれるなら……私は……。
胸が締め付けられる。エリーへの想いがこみ上げる。
まだ死にたくない。また明日も、彼女に会いたい……。
だが、ローラントはやって来た。
神がもたらしたのは、二人を引き裂く悲劇であった。
レーネは手足を縛られ、そのまま地下室へ連れていかれた。
大柄な男に抵抗することはできなかった。あまりにもあっけない結末だった。
わかっていた。それなのに、こうなってしまった。
これが運命というものなのか。
(さよなら、エリー。どうか、あなただけは生き延びて……)
別れの涙を流しながら、レーネは地下室でローラントの玩具にされるのであった。
「愛しているぞ、レーネ。お前は今までで一番のお気に入りだ。正直言って、ここで殺してしまうのは勿体ないくらいだ。このまま生かしておきたいという気持ちもある。何なら、お前を嫁にしてもいい。二人で永遠の愛を誓い合って、幸せに暮らすのも悪くねぇと思うんだ」
そう言って、ローラントはベロリとレーネの頬を舐めた。
鎖に繋がれた彼女は無抵抗であり、彼にされるがままであった。鬼畜な主人の顔を絶望と後悔に蝕まれた瞳で眺めることしかできなかった。
「……でもな、俺はそこまで純粋な人間じゃねぇのさ。平凡な幸せなんて、これっぽっちも求めちゃいねぇ。俺が欲しいのはな、破壊がもたらす背徳感なんだよ。何というか、特別な存在だからこそ、思いきりぶっ壊したくなるのさ。俺は見たいんだ。特別な女であるお前が、俺の手によってぶっ壊されていく様をなぁ!」
ローラントは鞭でレーネを叩いた。ヒュン、ヒュン、バチッ、バチッと音が鳴る。
打たれるたびにレーネは叫んだ。
「いいぞ、もっと鳴け! この俺を楽しませろぉぉぉぉぉ!」
狂気に満ちた表情でレーネを虐げるローラント。愉快、爽快、痛快。あらゆる快感が彼の精神を刺激する。もはや誰にも止めることはできないだろう。
「ひゃはははははははは!」
その夜は、ローラントの笑い声とレーネの悲鳴が地下室に響き続けたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目的地に馬車が到着した。
ローラントは二人の少女を引きずり下ろした。
彼女たちはまだ眠っている。
「悪いな、遅くなった」
「なぜ今回は満月の夜ではなく、その二日後を指定したのだ?」
一体の魔族が彼の到着を待っていた。
それは全身毛むくじゃらで、ゴリラのような姿をしている。
「準備に時間がかかったのさ」
ローラントはいつも、満月の夜に拷問を行い、その日のうちに少女を魔族に食わせていた。だが、レーネはお気に入りだったので、二日間生き延びさせることになった。
「……む? 今日は二人か?」
「ちょっとわけがあってな。まぁ、オマケだ」
「そうか。では、こちらが約束の魔石だ」
「おう。今日も大量じゃねぇーか」
魔族から魔石が入った袋を受け取るローラント。
このタイミングでエリーは目を覚ました。
これから食われようかという最悪のタイミングで。
彼女にとっては、あのまま眠り続けていた方が幸いだったかもしれない。魔族に食われるという最大の恐怖を味わうことなく死んだ方が、意識がある状態で食われるよりも幾分マシだっただろう。
「嘘っ! 何これ! ちょっと待って!」
身動きが取れない。しかし、すぐそばに魔族が迫っている。
レーネは意識がない。もはや生きているかどうかも怪しい。
魔族の手が伸びる。エリーを捕えようとしている。
十六歳の少女はこの森で、人知れずその生を終える……。
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