14:エリーという少女
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豊かな暮らしと仕事を求めて、地方の村から帝都にやって来るものは多い。帝都で働いて出世すれば、村に残した家族を援助することができる。そういった考えを持つ者たちが、夢や希望を抱いて、この街を目指すのであった。
しかし、現実は厳しかった。現在の帝都は仕事こそあるものの、その待遇はあまり良くない。多くの企業がシビアな経営状況に置かれているのであった。
その原因の一つが、重税である。
今から二年前、帝国は防衛費拡張のために増税を決定。その結果、企業が帝国に支払う税金の額が大きく膨れ上がったのだ。
費用を削減するために企業が行ったのは賃金カットやリストラだった。増税により、現行の雇用条件を維持することができなくなったのである。
一方、公営事業に関係する求人は増加している。帝国は防衛強化のために帝都を囲む巨大な壁の建設を開始したのだ。よって、建設事業を中心に多くの人々が雇用されることになった。しかし、賃金はかなり低く、労働環境も劣悪だった。建設作業中に死傷者が出るなど、安全面に大きな課題が残っている。
駒のように扱われ、劣悪な環境で働かされる。使い物にならなくなったら簡単に捨てられる。夢を追って帝都に出てきた者たちは、そのような現実を知り、ただただ失望させられるのであった。
まさに夢も希望もない世界だった。豊かな暮らしを送っているのは、一部の富裕層だけである。貧しい平民は慎ましやかに暮らすほかない。
それでも、帝都に出てくるメリットはあった。仕事がある分、農村で暮らすよりはずっとマシだったからだ。
最近は天候不順が続いており、農作物が思うように育たない。不作に見舞われた農家たちは、十分な収入を得られず、ひもじい思いをしている。だからこそ、帝都で仕事を見つけ、少しでもいい暮らしを送りたいと思うのである。
しかし、皆が皆、安定した職と生活を求めて帝都にやって来るというわけではない。帝都に移り住む者たちは、様々な事情を抱えているのだ。
とある富豪の屋敷で召使いとして働いているこちらの少女もまた、その一人であった。
彼女はただ生きるために帝都へやって来た。いや、正しくは帝都に命からがら逃げてきたのである。
「おい! 料理はまだか! さっさとしろ、このノロマ!」
「申し訳ございません! すぐにお持ちいたします!」
屋敷の主人に罵倒されながら、晩餐の支度をする少女。
彼女の名はエリー。十六歳。金色の髪を肩まで伸ばしており、背丈は少女にしては高い方だった。
以前は帝都の東に位置する小さな農村で暮らしていた。その村は山の麓にある。エリーは自然に囲まれながら、両親そして弟と共に穏やかな生活を送っていた。
村では麦や野菜、家畜を育てながら、自給自足の暮らしをしていた。決して裕福ではなかったが、彼女は幸せだった。家族や心優しい村人たちと、いつまでも仲良く過ごしていけたら、それでいいと思っていた。
だが、今から一か月前。彼女の幸せな日々は突如として崩れ去った。
山奥で暮らしていた魔族の群れが、エリーたちの住む村に降りてきたのである。
魔族は村の人々を容赦なく襲い始めた。木で作られた家々を次々と破壊して回り、中にいる人間を食っていくのだった。
魔族の活動時間は夜間である。就寝中に「夜襲」を仕掛けられた村人たちの多くが、逃げる間もなく魔族に食い殺された。
エリーの家族もそうだった。彼女は目の前で両親が魔族に食われるのを見た。弟を連れ、魔族から逃れようとしたものの、弟も途中で捕まってしまった。
「お姉ちゃん、助けて!」と泣き叫ぶ弟。しかし、エリーにはどうすることもできなかった。助けたいけど、助けられない。自分は無力。自分は弱い。魔族には、勝てない……。
このままでは自分も殺される。一家全滅は免れないだろう。
よって、彼女が下した決断は、弟を見捨てることであった。
怖かった。死にたくなかった。だから、こうするしかなかったのだ。
私は家族を見捨てて逃げた卑怯者だ。戦うこともできない臆病者だ。
罪の意識がエリーを苦しめる。その苦しみを背負いながら、彼女は村を脱出し、ひたすら走り続けた。溢れ出す涙。こみ上げてくる悲しみ。すべてを振り切って走った。
そうしてたどり着いた先が、帝都であった。
家族が食われるというトラウマを植え付けられた。その心の傷は一生癒えることはないだろう。
もう二度と戻らない日々。すべてを失ってしまった自分。
辛い。泣きたい。いや、もう泣いている。涙が止まらない。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。どうしてこの世界の神は、こんなにも非情で残酷なのだろう。
エリーは声を上げて泣いた。泣いているうちに夜が明けた。日が昇り、小鳥たちがさえずりを始める。
彼女は帝都で初めての朝を迎えた。
このまま泣いていても何も起こらない。すべてに絶望して、途方に暮れて、野垂れ死ぬのを待つわけにはいかない。ここで自分が死んでしまったら、家族を見捨ててまで生き延びた意味がない。
彼女は強い意志を持っていた。失ったものは、もう取り戻すことはできない。だからといって、いつまでも下を向くわけにはいかないのだ。
私は生きる。この世界で。この帝都で。
無念の死を遂げた家族や同郷の人々の分も、精一杯生き抜いて見せる。それが私に残された、ただ一つの罪滅ぼしなのだから。
こうして、エリーはすぐに仕事を探し始めた。今までずっと農作業をしながら生活を送っていた彼女は、力仕事をたくさん経験しており、体力には自信があった。教養は乏しいが、根性はある。この体を使って働くしかない。そう考えていた。
そこで見つけたのが、住み込みで働くことができる召使いの仕事だった。
急募とのことだったので、エリーは早速名乗りを上げた。そして、すぐに働き始めることができた。
経験がない自分でも、仕事に就くことができた。これは幸運なことである。きっと、家族や村の皆が天国から見守ってくれているんだ。
エリーは感謝した。彼らの想いを背負って、これからも懸命に生きていく。そう強く誓った。
だが……。
「ふざけんな、クソガキ! これのどこがラザニアなんだ!」
屋敷の主人は激怒し、エリーを蹴り飛ばした。
「キャッ!」
エリーは尻もちをつくような形で倒れ、短い悲鳴を漏らす。
床に倒れた彼女に料理が乗った皿を投げつける主人。
ソースで髪や服が汚れてしまった。
なんてひどい。ここまでしなくてもいいじゃない、とエリーは心の中で呟いた。
働き口を見つけたものの、そこの屋敷の主人は最悪だった。
ワガママで乱暴者。これまでに何度も罵られ、文句を言われ、理不尽な暴力を受けてきた。
もう耐えられない。こんなところ、今すぐにでも出ていきたい。いつかこの男に殴り殺されるかもしれない。でも……。
ここを辞めても、彼女には行く当てがどこにもないのだ。
地獄から逃れてやって来た場所。それはまた別の地獄なのだった。
エリーは抜け出すことのできない無間地獄に入り込んでしまったのである。
「……使えないヤツだ。罰としてお仕置きをしてやろう。おい、お前。今すぐここで脱げ。全部だ」
「そ、そんな……」
「あぁん?! ぶち殺されてぇか! さっさとしろぉ!」
バチン! とエリーは頬をぶたれた。思いきり引っぱたかれた。
目に涙が滲む。痛みのせいではない。悔しさと虚しさが涙となって溢れ出すのだった。
この男には逆らえない。逆らったらどうなるかわからない。
力がものを言う世界。力のある者が力の無い者たちを支配する。
魔族に対しても、主人に対しても、エリーはひたすら無力なのだった。
「グズグズすんな! 脱げって言ってるだろうが! お前は俺に不快な思いをさせたんだ。それを詫びる気もねぇってのか?」
嫌だ……。こんなの、嫌だ……。
とうとうエリーは泣き出した。
どうして私がこんな目に逢わなきゃいけないの? 酷過ぎるよ。
誰か……誰か私を助けて……。
服のボタンを外し始めるエリー。一つ、二つと外れてゆく。
彼女が着ているのは、スカートの丈が短いメイド服だった。茶色の簡素なデザインで生地は傷んでいる。これまで長い間、他の人間が着まわしていたものだと思われる。
この服を脱いでしまえば、あとは下着しか身に着けていない状態になる。そして、その下着も取れと言われている。それは絶対に嫌だった。
でも、そうしないと何をされるかわからない。命欲しさに命令に従おうとしている自分が情けない。
主人はエリーを見ながらニヤニヤと笑っている。彼女の白い肌が露わになる瞬間を今か今かと待ちわびているようだ。卑劣な男である。こんな人間に裸体を晒すのは屈辱的だった。
でも、これも生きるため……。
エリーは覚悟を決めた。
服を脱ごうとした時だった。バタン! と大きな音を立てながら、誰かが部屋の扉を開いた。
現れたのはエリーの先輩であるもう一人の召使いの少女だった。
「ご主人様。お電話でございます」
彼女は落ち着いた声で言った。
「電話だと? ったく、誰だよこんな時間に……」
主人は舌打ちをしながら席を立った。
彼が部屋を出て行った瞬間、エリーはその場に座り込み、肩を震わせながら泣いた。
「大丈夫だった? エリー」
「レーネさん……」
その少女はエリーのもとへ駆け寄り、そっと彼女を抱きしめた。
レーネはエリーにとって姉のような存在である。いつも辛いことがある度に励ましてくれるのだった。時にはこうして、母親のように優しくなだめてくれる。
「心配しないで。今は辛いかもしれないしれないけど、きっと、いつか終わるから……」
いつか……。いつかとはいつなのか。そのいつかは本当にやって来るのか。
終わりの見えない絶望がエリーを締め付ける。
「うぅぅ……。あああああああん!」
エリーはレーネの胸で子供のように泣きじゃくるのであった。
この世の地獄から抜け出したい。
幸せに暮らしたい。
彼女の願いはいつになれば叶うのだろうか……。
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