10:魔人契約
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「いきなり何するんだなー! おいらの、食事の、邪魔をするな、なんだなー!」
魔族は激昂した。相変わらず眠そうな顔をしているが、ギロリとメイドを睨みつけている。
危うく食われそうになっていたところを救われたクレア。まだ心臓はドキドキしている。生きた心地がしない。初めて目にする魔族に恐怖を抱いている。
「久々の人間界です。やっぱり何度来ても飽きませんね」
ところが、そのメイドは自分よりも遥かに大きな体をしている化け物を目にしても、一切動じることはなかった。普通の人間なら、怯えてその場から逃げ出すものだが、彼女には余裕すらあるように思える。
まるで、こんなヤツなど自分の敵ではない、とでも言いたげな態度だった。
「おいらの、話を、聞いているのか、なんだなー! 無視を、しないで、ほしいんだなー!」
「マスター。この生き物は何なのです? ギャーギャーうるさいので、殺してもよろしいですか?」
ニッコリと微笑みながら、クレアに魔獣の抹殺許可を求める銀髪のメイド。
彼女にとって、この魔族を始末することは、一般人がハエを叩くのと同じ感覚なのだろうか。
「……か、構わん! やれ!」
クレアは助かりたい一心で、そう答えた。
この危険な化け物を退治してくれるというのなら、どんな存在でもいいから頼りたい。
とにかく早く危機を脱したかった。
「かしこまりました。では……」
「おいらは、すごく、怒ってるんだなー! お前から、先に、食べてやるんだなー!」
魔族の強烈なパンチがメイドに襲い掛かる。あの大きな拳で思いきり殴られれば、きっと死んでしまうだろう。
だが、メイドはそれを身軽に躱したのである。彼女の眼には魔族のパンチが止まっているように見えていたのだった。
地面を蹴り、高々と舞い上がるメイド。彼女は余裕の笑みを浮かべており、魔族を相手にしながら遊んでいるように見えた。
この桁外れの身体能力は何だ? 澄ました顔をしておきながら、人間離れした抜群の運動神経を持っている。
クレアはサーカスでも見ているような気分になった。
フワリとロングスカートが夜風に揺れる。そして、メイドは空中で一回転し、目にも留まらぬ速さで魔族にかかと落としをくらわせるのだった。
「ぐふぅおおおっ!?」
ズドーン! と雷が落ちるような音がした。
衝撃波が起こる。クレアは体勢を崩し、倒れてしまった。
頭蓋を砕かれた魔族は地面にめり込むような形で息絶えていた。
もうヤツが起き上がることはない。永遠に。
四人の若きハンターを食らった凶悪な魔族。圧倒的な力で人間を翻弄し、クレアを絶体絶命の窮地に陥れた存在だった。
そんな怪物を、たった一人のメイドが一撃で討伐してしまったのである。
「魔族を……一瞬で……」
開いた口が塞がらないクレア。
これは本当に現実の出来事なのか。彼女はまたしても、変な夢を見ているような感覚に陥った。
「……さて、邪魔者は片付きました。これでようやく、二人きりになれましたね」
銀髪のメイドは舌なめずりをしながら、クレアのもとへ歩み寄ってくる。
その目は赤く光っており、この女がこの世の者ではないことを証明していた。
腰を抜かして立てなくなっていたクレアは、スルスルと迫るメイドをただ見ていることしかできなかった。
「ふふっ……。何をそんなに怯えているのですか? 怖がる必要はありませんよ。だって、あなたは私のマスターなのですから」
「お前は何者なのだ……?」
メイドはクレアの前に来ると、スッと腰を下ろして跪いた。
そして、両手でクレアの頬を優しく触りながら、フッと笑みを浮かべる。
「可愛い……」
銀髪でメイド服を着た謎の美女は、顔を火照らせていた。
今にもクレアを食べてしまうのではないかと思われるくらい、彼女の顔に自分の顔を近づけている。
「あぁ、本当に可愛い……。どうしましょう。私、もう我慢できないかもしれません」
「なっ、何をする気だ!」
銀髪の美女はクレアを押し倒し、身体ごと覆いかぶさるのだった。
クレアは身動きが取れなくなった。
メイドからフワフワとした感触が伝わってくる。彼女の全身からは甘い香りが漂っている。
クレアはその匂いにクラクラした。
考えることを放棄したくなるような、幻想的で魅惑的な匂いだった。
「離れろ! 貴様、頭は大丈夫か!? 何を考えておるのだ!」
「んん~! しゅきぃ……!」
クレアを抱きしめたまま離れようとしないメイド。
完全に抱き枕にされてしまった。
「馬鹿なのか? 馬鹿なのか?」
もう何が何なのかさっぱりだ。
一つだけ言えるのは、この女は変態であるとういうことだった。
彼女はさっきからクレアの小さな胸に顔を埋めたり、匂いを嗅いだりしている。
何が嬉しくて見ず知らずの女に、こんなことをされなくてはならんのだ! とクレアは思った。
「ふふふ……。やっぱり本物のようですね」
「本物? どういう意味だ」
「あなたは魔人を……この私を使役する力を持っています」
魔人を使役する力。
この女が何を言っているのかわからない。
魔人とは何者なのか。
この銀髪メイドの正体が魔人だというのか。
「今ここで契約を交わしましょう。私の正式なマスターになってください」
「さっきから何の話をしているのだ! 魔人? 契約? どうして私がお前のマスターとやらにならねばならんのだ?」
「私はあなたに惹かれてしまった……。あなたの中に宿る強い欲望が、この私を引き寄せたのです。この世のすべてを支配したい。あなたはそう願っているはずです。私がそれを叶えて差し上げましょう」
この世のすべてを支配する……。
ああ、そうである。私はそのために、この世界でやり直すことにしたのだから……。
「私は人間の欲望を食らう魔人。あなたが強く望むことで、私もまた強くなるのです」
メイドはそう言って、クレアを抱きかかえながら立ち上がった。
木々の隙間から月が見える。月の光がクレアとメイドを照らす。
クレアはお姫様抱っこされたまま、こう言うのだった。
「私の望みを叶えると言ったな? つまり、お前は私の言うことを何でも聞くということなのか?」
「はい。その通りです」
「じゃあ、もし私がこの世界を征服すると言ったら……?」
「それを実現いたしましょう」
馬鹿げている。こんなふざけた話を大真面目に語り、信じてしまう愚か者がどこにいるというのか。
都合が良過ぎる。あり得るわけがない。そんなことが本当に起こり得るというのなら、もはやこの世界に神など必要ないではないか。
だが、もし……。もしも、それが本当だったら……。
「私は神になれるのか?」
「ええ、なれますよ。あなたは選ばれし存在なのですから」
その言葉を聞いて、クレアはニヤリと笑った。そして、思った。
これこそ、自分が待ち望んでいた展開だ……と。
「いいだろう。ならば契約しよう。私は魔人であるお前を支配し、やがてこの世界を手中に収める。最後の最後まで付き合ってもらうぞ。それでいいな?」
「はい、もちろんです。あなたの願いが成就する、その時が来るまで……。私はマスターの忠実な下僕となり、剣となり、盾となりましょう」
メイドは赤く光らせた目をクレアに向けながら、静かに笑う。
「名前は?」
「ノーラと申します」
「私はクレアだ」
「クレア様、ですね。素敵なお名前です」
「ふっ。お前の名も野良犬みたいで良い響きをしているではないか」
「ええ。私はずっと野良犬でした。ですが、今は違います。今の私はクレア様の忠犬です」
ノーラはクレアを下ろし、改めて忠誠を誓う。
クレアの前で跪き、彼女の手の甲に口づけをした。
これが契約のサインだった。
魔人の力を手にしたクレア。ここから、彼女の快進撃が始まるのであった。
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