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水色桔梗ノ末裔   作者: げきお
畿内統一へ駆ける
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96話 連合艦隊結成

天正十年六月六日

俺は塩飽水軍と讃岐水軍の船団と共に淡路に到着した。

艦艇の数が多いため、岩屋港と洲本港に別れていたのである。

長宗我部弥三郎信親は、できるだけ新鋭艦を秘匿するため、海峡から離れた洲本港に居たのである。俺は港に到着すると早速、宮本伝太夫達や山地九郎左衛門を伴い、信親の陣所を訪れた。


「弥三郎殿……お待たせ致した。使者として赴きましたが、毛利家を説得する事能わずでござった。ですが、羽柴軍の東上は遅らせることに成功いたした。

後は弥三郎殿の働きが頼りでござる」

俺は前置きもせず、事実だけを簡潔に伝えた。


「十五郎殿……無事で何よりでござる。心配しておったのです」

弥三郎も一言だけ返答した。


「此処まで無事に来られたのは、九郎左衛門殿と塩飽の方々のおかげ……

船には酔いましたが、助かりました」

俺はまずは塩飽水軍を紹介したかったのだ。


「某、宮本伝太夫道意と申す。縁あって十五郎殿と親しくなり申した。

前右府殿が生害為された今、塩飽も身の振り方を考えねばならぬ処。

十五郎殿より、与力するよう頼まれた次第でござる。

十五郎殿曰く、弥三郎殿が新鋭の船を造られておるとか……

それを拝見致したく、罷り越しました」


「何と……伝太夫殿と言えば、塩飽水軍の大立者。

是非一度お目に掛かりたいと思うておりました。

長宗我部水軍の新鋭艦、是非ご覧いただきたい。

名にし負う、塩飽水軍に評価して頂きたく思いまする。

四郎左衛門……案内してくれ……」

弥三郎も快諾した。


「某、池四朗左衛門頼和と申す。長宗我部水軍を任されておりまする。

以後、お見知りおきを……」


「忝い……お願い致す」


こうして塩飽水軍の宮本伝太夫と入江四郎右衛門は海王丸に案内されたのだった。



海王丸に案内された伝太夫は、ため息を漏らした。

南蛮船を何度か見ていたが、それをも凌駕する大きさと力強さを感じたからである。最も驚いたのは、搭載されている砲の数であった。合計30門もあり、その内2門は砲身が長く巨大であったからだ。また海王丸には、櫂がないのだ。その代りにマストが3本あり、大きな帆が張られている。

まさに17世紀の西洋の軍艦なのだ。


「某……このような船……見たことがござらぬ。

本当に進むのでござるか?」

伝太夫は問いかけた。


「如何にも……現に浦戸から此処まで来たのですから……」

弥三郎は簡潔に答えた。


「是非……是非、乗船させて下され……この船で沖に出てみたい」

伝太夫は子供のように懇願した。


「承知致した。洲本から岩屋の港に移す予定だったのです。

同道願えますか?是非この船の性能を見て頂きたい。

そして、納得いただければ、我らに与力して頂けますか?」

弥三郎はそう答えた。正に俺と同じことを考えたのである。


「まずは拝見してからで宜しゅうござるか?」

さすがに即答はせず、また伝太夫もその性能に半信半疑だったのだ。




海王丸は、他の新鋭艦4隻と共に、洲本港を後にした。

目一杯の夏の風を受けて、沖へと滑り出したのである。

俺や弥三郎、土橋守重、その他の面々が乗船している。

俺も初めての海王丸への乗船である。かなり緊張していた。

海王丸は、その大きさにも係らず、あっという間に加速した。しかし、どっしりとした感覚は、他の日ノ本の船とは違う。まさに海の要塞である。

伝太夫も四郎右衛門も、ずっと船首に発ち、風を受けて正面を見つめていた。

二刻ほどで岩屋港に到着すると、小早で上陸し、岩屋城に向かったのである。

そこには、陸戦部隊を率いる香宗我部親康が兵三千と共に駐屯していたのだ。


「伝太夫殿……如何でござるか?

実はこの船の力量は砲撃戦にありまする。今はお見せできませぬが……」

弥三郎は問いかけた。


「弥三郎殿……正直何も言えぬ。唯々感服仕った。

この船の造船技術をご教授願えませぬか?

我が塩飽水軍には、優れた船大工が数多おりまする」


「承知致した。戦が一段落致せば、我らの船大工を派遣いたしましょう。

船の図面も合わせてご提供いたしまする。

して、我らに同心して頂けるのですか?」

弥三郎は快諾し、一応尋ねた。


「おおっ……そうであった。肝心なところですな。

失念しておりましたが、勿論与力させて頂きまする。

我等塩飽水軍、明智殿と長宗我部殿に絶対の忠誠を誓いましょうぞ。

天下を統べた暁には、大船団を率いて海を渡りたいものじゃ……」

伝太夫は迷うことなく快諾したのだった。


「伝太夫殿……忝い。塩飽が味方してくれれば、これ程心強い事は無い」

俺も素直に礼を述べたのである。


「では、今後方策ですが、羽柴軍の動向を、平右衛門殿が物見しておりまする。動きが分かり次第、海王丸で羽柴軍を砲撃いたしまする。目一杯沿岸に近づいて焼玉を献上するつもりです。

伝太夫殿にも、わが水軍の力を見て頂きたい」

弥三郎はそう提案した。


「是非、お願い申す。我らも船団を率いて同道すればよろしいか?」


「いえ、砲撃は我が水軍の5隻と、護衛艦10隻ほどで行いまする。

今は上陸するつもりもない故、小回りが利く方が良いのです。

そして、砲撃後、摂津へ向かい、十五郎殿や土橋殿を送り届けまする。

その後は臨機応変に戦うつもりにて……」


「承知した。ではじっくり見聞いたしましょう」


こうして、連合艦隊が結成されたのである。

長宗我部水軍120隻、讃岐水軍30隻、そして塩飽水軍の50隻。

都合200隻の大艦隊である。文字通り日ノ本最強の艦隊が結成されたのであった。






六月六日、徳川三河守家康は岡崎城に帰還した。

河内尊延寺にて明智忍軍との死闘を経て、伊賀越えにてたどり着いたのである。

家康一行は十数名が討ち死にし、他の者も負傷したため、神速の逃避行とはいかなかったのだ。それでも四日で帰り着いたのは、奇跡的と言ってよかった。


「殿……殿……ご無事で何より」

本多弥八郎正信はそう言って涙ぐんだ。


「弥八郎……忠次や数正も逝ってしもうた。

他の者も満身創痍じゃ……わしだけが怪我もせず生きて帰ってしもうた。

死んでいった家臣たちに何と詫びればよい?」

家康は、涙を堪えながらそう語った。


「殿……主を守り討ち死に致すは本望。

誰も殿を恨んでなどおりませぬ。酒井殿や石川殿も決して後悔などしておらぬはず。殿はこれから、家臣たちの死を乗り越え、徳川の家を守らねばなりませぬ。いや、前右府様の後を継ぎ、天下に覇を唱えねばなりませぬ。

それが家臣たちへの一番の供養でござる。しっかりなされませ……」

弥八郎はそう勇気づけた。


「わかった。だが、今は動けぬであろう……

家臣たちがあの状態では、出陣もままならぬ。

今後の動静を見守るしかあるまい。

兎に角。半蔵に手配し、諸国の動向を具に調べさせよ。

わしは、仇討ちのみに拘る訳ではない。

まずは徳川を盤石の状態にしてからじゃ」

家康はそう答えた。主だった家臣が動けぬ以上、それしか方策はなかったのである。


「承知致した。方策は二通りかと思いまする。

尾張・美濃へ打って出るか、甲信地方に領土を広げるか……」


「で……あろうな?日向守と筑前殿や柴田殿の動き次第じゃ」


「では、その二通りを軸に戦略を描きましょう」

弥八郎はそう答えて退出した。



一方、榊原小平太康政は、負傷した本多平八郎忠勝を見舞っていた。自身は左手小指を失っただけであったが、忠勝は左目に矢を受け、三河に着くや倒れこんでしまったのだ。

六日夜にやっと忠勝が目を覚ましたので見舞っていたのである。


「平八郎……お主ほど男が倒れこんでおったのだぞ?

まあ、生きておって何よりじゃ。お主が死んでは嫌味を言う相手に困る」

康政は、いつもどおり忠勝を勇気づけようとした。


「…………」

何時もなら、即座に言い返してくるところだが、この時の忠勝は涙を浮かべて頷くだけであった。その忠勝を見て、康政も涙ぐんだ。

忠勝がこの状態では、わが軍は動きが取れぬ。

康政はそう悟った……

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