94話 交野城の会談
天正十年六月六日
惟任日向守光秀は一万の軍勢を引き連れ洛中を行軍し、出陣した。新たな武家の棟梁を見ようと、町衆たちが集まり、門前市まで出来る有様であった。また、公家衆も、近衛前久を始め多数が沿道から見送ったのである。吉田兼和の献策は功を奏したと言えた。
洛中を抜けると行軍速度を速め昼前には下鳥羽に到着し、小休止したのだった。
そこで、光秀は藤田伝五行政を呼んだ。
「伝五か……すまぬが、郡山に遣いしてくれぬか?」
光秀は未だ儀礼的な出陣に留まっている筒井順慶に対して、味方にするよう圧力をかけようとしていた。当然伝五はその意図を読み、即座に答えたのだった。
「承知……あの蝙蝠め、逡巡するようであれば刺し違えて参ります」
「伝五、穏便にな?彼奴の軍勢を味方に欲しいのは羽柴も同じじゃ。
要は、わしに味方するのが今は利があると悟らせればよい」
「殿、それは生温い事ですな……示しがつきませぬぞ。
某のやり方で必ずや順慶入道を同心させまする」
「はははっ……相変わらずじゃの?任せる故頼むぞ」
光秀は、いつもと変わらずものを言う伝五に笑いながら答えたのである。伝五は即座に配下数名を引き連れ、郡山に向かった。
光秀の軍勢は午後には男山に着陣し、そこで交野城に割拠している津田七兵衛信澄との会談をすべく使者を送った。その上で交野城の向けて行軍を開始したのである。河内交野城は、一度廃城になっていた事もあり、信澄によって修復されてはいるが、到底大軍を収容できる事もなく、光秀は周囲に陣を張るつもりでいた。しかし、すぐに使者が復命し、城を一度明け渡す旨伝えてきたのである。
つまり、信澄は光秀に対し、交野城に本陣を置くよう、心遣いを見せたのであった。その上で、光秀と一対一での会見を申し込んできたのである。
河内交野城には、水色桔梗の幟が上がった。そして、光秀は本陣を構えたのである。六月六日もすでに夕刻になり、夏の日差しが弱々しく辺りを照らしている。斎藤内蔵助利三は、信澄との一対一での会見に難色を示したが、光秀が押し切り実現を見たのであった。
信澄は護衛兵を数名連れただけで光秀の本陣を訪れた。
「皆の者、七兵衛殿と二人だけで語りたい。席を外してくれ」
光秀はそう語り、信澄も護衛兵を陣の外に遠ざけた。
「七兵衛殿……交野城を明け渡していただき、忝い。
色々、わしに聞きたいことがあるのであろう?
まずは、お主に何も伝えず事に及んだ事……詫びねばならぬ。
すまぬ……」
光秀は、まずは詫びたのであった。
「義父殿……何故……何故でござる?
上様の天下布武をずっと支えてこられたのは義父殿ではありませぬか?
そのために、意に添わぬ事にも手を染められたはず……
某は、ずっと義父殿を尊敬しておったのです……
しかし、一方で上様にも多大な恩義がござる。
某はこの思いをどうすれば良いのでござるか……」
信澄は一気に気持ちを吐露し、涙ぐんだ。
今まで堪えてきたものが、此処に来て溢れだしたようであった。
「七兵衛殿……お主の気持ち、痛いほどわかる。
本当にすまぬ……すまぬ……」
光秀も涙があふれるのを必死に堪えながら語った。
「義父殿……教えてくだされ……某はどうすれば良いのでござるか?」
「七兵衛殿……少し長くなるが聞いてくれるか?
わしが上様を討った訳を話さねばならぬが、我欲のためでなく、また野心でもない。上様の創る天下の在り様が、天下万民のためにならぬと思うた……それが一つの理由でもある。
だが、それだけでもないのだ……」
「お聞かせくだされ……」
信澄はじっと正面を見据えた。
「今から申す事……誰が聞いても世迷い事であるが……
わが宿老共にも話し、信じてくれておる事……
わしの息子の十五郎の事じゃ……
十五郎は、実はこの時代の人間では無いのじゃ。
450年先の日ノ本から生まれ変わっておるのじゃ。
故に、日ノ本の歴史を知っておる。
450年後に、日ノ本は滅びるそうじゃ。そして、その時に十五郎も死に、そして生まれ変わり憑依しておるのじゃ」
「左様な事が……信じられませぬ」
「無理はない……しかし真なのじゃ。
それが証拠に、数々の歴史的な出来事をすべて予見し、的中させておる。
十五郎が申すには、わしが上様を討ち取った後滅ぼされ、羽柴殿が日ノ本を一統するらしい。それが歴史であるそうじゃ。今から8年後の事であるそうじゃ。
しかし、その後は羽柴殿も滅ぼされることになる。
最後に天下人になるのは徳川殿という事じゃ。そして、徳川殿は征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開き、二百年以上に渡り、天下は安寧を迎える。
しかし、その後の日ノ本は諸外国と戦により敗北し、最終的には民が中心となった国になる。暫しの平和が訪れるが、恐ろしい武器によって最終的には滅びる。
簡単に言うと、そういう事であるらしい……
そして、そのような未来を変革するため、十五郎は転生してから五年間、準備しておったのじゃ。その策は、上様を弑逆し、日ノ本を治める事。そして、船団を率い海を渡り、東の果ての大陸に、日ノ本の民の国を作る事なのじゃ。そうすることにより、過酷な未来を変革する……それが方策らしい。しかも、未来から転生したのは十五郎だけではない。この日ノ本に六名おる。
それも、長宗我部、雑賀、武田……それぞれの国にな……
我が家臣の大蔵長安もその一人じゃ。未来の知識を持った人間が集まり、知恵を出し合い練り上げた策に、わしは乗ったのだ。日ノ本の民と未来のためにな……」
光秀は一気に秘密を洗い浚い語った。
「義父殿……俄かには信じられませぬ」
「それは仕方なかろう……じゃが、いずれわかると思う。
これから起こることで七兵衛殿が判断すれば良い。
実際に目に見えねば、信用などできであろうからな……
だが、差し迫った状況において、七兵衛殿がどうされるかじゃ……
上様生害は、実は内裏の後ろ盾を得て、わしが決行した事じゃ。
知っておるとは思うが、上様の内裏への仕打ち……
ついに内裏が上様への叛意を露わにし、わしに持ちかけたことが事の顛末なのじゃ。上様は自ら日ノ本の国王になり、唐の国まで支配される腹積りであられた。
そのような事はあってはならぬ……民が塗炭の苦しみを味わう……
それを阻止したいと思うたのが、わしの決意した所以じゃ。
だが、上様を弑逆したからと言って、わしも歴史通り羽柴に滅ぼされる訳には参らぬ。自分自身と家臣達、そして、日ノ本の過酷な未来を変革するため戦わざるを得ぬ。
力を貸してくれぬか……」
「琴音という、義父殿のくノ一が申しました。
某が三七殿に討ち取られると……実際にそうなり申した。
これも未来知識として十五郎殿が予見しておったと?」
「左様じゃ。十五郎から聞き、何としても阻止するように言われた。故に琴音にその事を注進させたのじゃ。どうしても今一度、七兵衛殿と話し、詫びたいと思うたからの……
わしは、絶対に日ノ本の過酷な未来を変革するつもりおる。
実際に、明智が日ノ本を治めるという目標に向かって、転生者たちが行動しておる。事前に示し合わせて長宗我部が淡路に侵攻したのも計画なのじゃ。
また。甲斐武田は滅びておらぬ。勝頼公の嫡男を真田が匿って居る。暫くすれば甲斐武田が再興され、旧臣達を糾合するはずじゃ。無論、わが明智と同盟することになっておる。
さすれば、徳川殿の対する大いなる牽制となろう……
わしは絶対に負けぬと信じておる」
「わかり申した。信じたわけではござりませぬが、取敢えずはお味方いたしまする。お恥ずかしながら、某単独では羽柴殿と戦えませぬ。ですが、もし万一、義父殿がその理想を違えるような事があれば、某は許すことできませぬ」
「承知した……七兵衛殿は我が婿でもある。先程の話は他者には言えぬ事……だが、どうしても伝えねばならぬと思い、話したのじゃ。決してその理想も嘘ではない。それだけは信じてくれ……」
「義父殿が左様な作り話をするとは思うておりませぬ。
まずは、従いましょう……
某に与力を申し出た、関万鉄斎殿も合力いたしましょう。
まずは、羽柴殿との戦でござる。
恐らくは某と手合いした事が広まれば、河内・摂津の国衆は従いましょう。早速与力するよう遣いを出し、まずは池田殿の有岡城を囲みましょう。
その後詰として来る羽柴殿と戦端を開く事になりましょうな……」
信澄が今後の見通しを予測した。
「さすがは七兵衛殿じゃ。わしもその構想を持っておった。
然らば、早速手配するとしよう」
こうして、両雄は同盟することになったのである。
光秀は、河内・摂津の国衆達に信澄が与力した旨伝え、有岡城に向けて進軍することにしたのである。畿内の動静は有利に展開しようとしていた。




