87話 勝家の憂鬱
天正十年六月四日
此処は越中東部の要衝、魚津城である。
織田家筆頭家老、柴田修理亮勝家は三万の大軍でこの城を囲み、落城寸前まで追い込んでいた。ところがその陣中に、真田安房守の嫡男、源三郎信幸が火急の使者として訪れたのである。
曰く「重臣明智光秀が、上様を本能寺にて生害せしめる謀議がございます……」
当然であるが、勝家は取り乱し、城攻めを一旦中止し、すぐに京へ早馬を派遣したのであった。そして、配下の武将と共に、暗鬱とした時間を浪費していたのである。
そして四日の早暁、京へ派遣した使者が復命した。
「上様は二日、明智の軍勢に攻められ、京、本能寺にてご自害。嫡子信忠様も二条新御所にて殉じられた由……明智勢はその後近江に進撃し、安土も占領されたとのこと」
その報に触れるや、勝家は瞑目した。あまりの衝撃に思考が停止してしまったからである。勝家は元来、純粋な武人であり、大きな戦略を積極的に描く性格ではない。
だが、伝えられた事実が今後の織田家と、ひいては日ノ本の勢力図にどれほどの影響を与えるのか……また、織田家の筆頭家老として、どのように処すべきか考えざるを得なかった。
そして、急遽軍議を開いたのである。
「皆の者、よく聞いて欲しい。
六月二日、上様は京、本能寺にて、明智の謀反により御生害あそばされた。信忠様も上様に殉じられたとの事じゃ。我らは遠く離れた魚津におるが、如何に処すべきと思うか?」
勝家は家臣や、与力武将たちに包み隠さず伝えたのだった。
一同は一様に驚き、そして、周りを見回すばかりである。
「柴田様……何をおいても陣払いすべきでござりましょう?
変の一報はすでに我らの領地にも伝わっておるはず。
一揆勢が一斉に蜂起する事疑いありませぬ」
前田又左衛門利家が口火を切った。
「左様、又佐の申す通りじゃ。それに上杉勢も黙っておるまい。
我等四方から囲まれ申す」
佐々内蔵助成政が追従した。
「皆もそう思うか?
わしも陣払いすることに異存はない。
じゃが、一刻も早く逆賊明智を討伐せねばならん。
織田家筆頭家老として、すぐにでも畿内に軍を向けねば沽券にかかわる。
皆も心せよ……よいな?」
こうして、予想通り方針は決したのであった。
勝家は軍議の後、源三郎を呼び出した。
「真田殿……貴殿の注進の通りと相成った。
まずはお礼申し上げる。
我らはすぐにでも陣払い致し、まずは領国へ戻るが、貴殿は如何される?」
勝家は源三郎を何も疑うことなく問いかけた。
「左様でござりますか……心中お察し申す。
某は父、安房守に顛末を報告致しまする。
今は滝川様の被官なれば、従うより他ござりませぬ。
恐らくは北条、上杉が動きましょう……
何とか対応致さねば、我等の命脈も危うくなり申す」
源三郎は、そう答えたのだった。
「承知した。道中気を付けて戻られよ。
安房守殿は噂に聞こえる武将……源三郎殿もよく助けられよ。
そして、滝川殿に会う事叶えば伝えて頂きたい。
織田家は上様なくとも立ち直れよう。
織田家の宿老として、善処を期待する……とな」
「承知いたしました。では、早速某も戻りまする。
ご武運を……」
そう簡単に告げると、源三郎はすぐに陣を離れた。
一方遠く離れた和泉国、岸和田城である。
六月四日早暁、蜂屋頼隆は丹羽長秀からの依頼を受け、漸く重い腰を上げることを決意した。畿内の情勢がどう傾くか……日和見していたのである。
頼隆は、雑賀衆が信孝に与力するという書状で決意したのだった。
逃亡兵が相次いだとは言え、信孝の軍勢は六千。そして、雑賀衆二千と自身の軍勢四千を合わせれば一万を超え、明智勢と張り合う事も可能である……そういう打算からの出陣であった。
そして、昼頃には大坂城に到着したのである。
頼隆は日和見したことに居心地の悪さを感じていたが、自身の軍勢が重きを為す事もあり、悪びれずに信孝の元に伺候した。
「お待たせ致した。三七殿、雑賀衆が与力すれば、軍勢は一万を超えまする。明智勢が攻め寄せても十分に対抗できまするな?」
頼隆は、軍議の場で語った。
「兵庫頭……頼りにしておる。良しなに頼み入る」
信孝は当たり障りなく答えた。
「先程、使者が参っての……良くない知らせじゃ。
淡路に長宗我部勢が上陸し、羽柴殿の配下は為すすべなく逃げ帰ったそうじゃ。我らの動きも牽制はされよう。まあ、まずは京に向けて進軍するか、此処大阪で迎え撃つかの選択じゃが……」
長秀が方策を提示した。
「三七殿のお考えは如何に?」
頼隆が総大将たる信孝に問いかけた。
「わしはすぐに討って出ようとは思っておらぬ。
暫くすれば、羽柴筑前が畿内に戻って来よう?
彼奴の軍勢と合力すれば、勝を得る事疑いない」
信孝は消極的な意見を述べた。
要は現有戦力で互角なら戦いを避けたいのである。
「しかし、三七殿……織田家の後継ならば、総大将としてまずは日向守と一戦すべきではありませぬか?それでこそ家臣共も三七殿を認めましょう?羽柴殿が戻り、その軍勢をあてにしては、仇討ちしたとて後々羽柴殿を立てねばなりませぬ。
尼崎の某の軍勢も合わせれば、兵力的には互角以上の勝負が出来ましょう?此処は河内方面まで出征すべきかと思いまするが……」
津田七兵衛信澄が応えた。
「七兵衛殿……何か考えがあっての事かの?
そんなにわしに出陣して欲しいのか?
確かに野戦になれば、兵力が互角ならどう転ぶかわからぬしな……」
信孝は答えたが、棘を含んだ言い方であった。
「三七殿……某も七兵衛殿の考えに賛成にござる。
まずは、織田家の威光を天下に知らしめねばなりませぬ。
日向守はやっと近江を平定したばかり。
今出陣すれば、中川、高山始め、摂津、河内の国衆も馳せ参じましょう」
丹羽長秀も信澄の考えに同意した。
「彼奴等が日向守に調略されておらぬとも限らぬではないか?
今でも、わが傘下に馳せ参じておらぬのじゃ。
それに下手に動いて、淡路から長宗我部に背後を突かれたら如何する?」
信孝はあくまで動きたくないのである。
「長宗我部勢は三千程。畿内に上陸などはせぬでしょう。
仮にしたところで、池田殿もおられる。
まずは、織田家の連枝衆として示しを付けることが肝要にござろう?」
長秀は決断を改めて迫った。
「兎に角、まだ日向守は京にも帰陣しておらぬ。
まだ時間はあろう?筑前の動向を見ようではないか?
仮に毛利と和睦さえできれば、すぐに駆けつけよう?
筑前の軍勢は二万はおろうが……
それならば、まず負けぬはずじゃ」
信孝は、あくまで譲らなかった。
結局、暫く動かず様子を見ることになったのである。
信孝の怠惰な考えに、長秀も頼隆も嫌気がさしたが、織田家の三男という旗印だけは尊重するしかなく、唯々諾々として従うしかなかったのである。




