85話 淡路侵攻
天正十年六月三日
長宗我部弥三郎信親率いる水軍が淡路に姿を現した。
旗艦海王丸を主体とした大小120隻からなる船団である。
当時淡路は秀吉配下の仙谷秀久支配下にあったが、大した兵力は滞在していなかったのだ。香宗我部親泰率いる陸戦部隊は上陸するや、瞬く間に洲本城を囲んだ。
在番衆はそれを見るや戦意喪失し、逃げ出したのであった。また、すぐに北上し岩屋城まで陥落させたのである。この時、秀吉配下の国衆、広田蔵之丞は為すすべなく退散している。
また、当時逼塞していた菅平右衛門達長が呼応し、与力を申し出たのである。淡路水軍衆の重鎮であった達長の合流は信親にとっても望むところであった。
「叔父上……思ったよりは簡単に淡路が切り取れましたな。
後は某が水軍をもって出撃するを待つばかり……
淡路国内の事はお任せ致す。良しなに……」
信親は叔父である香宗我部親泰に依頼した。
「お任せあれ。大願成就のため、とくと働かれよ。
それに平右衛門殿が合力するとなれば、益々水軍も強くなろう。
平右衛門殿……若い信親を助けてやってくだされ」
「心得ました。憎き筑前に意趣返しできるとなれば、心躍る話にござる。
この辺りの海は某の庭のようなものにござれば、ご安心なされよ。
昔の配下もすぐに戻るはず。船さえあれば存分に働いて見せまする」
平右衛門はそう言って、自信満々で語った。
「平右衛門殿……頼み入る。ついては水軍の一軍の指揮をお願いしたい。
四郎左衛門……良いな?」
「平右衛門殿が指揮して頂けるなら心強い。
某も頼りに致したく……」
長宗我部水軍の海賊大将、池四郎左衛門頼和が応えた。
「では、羽柴軍の動向を探るよう、対岸に物見の船を出しましょう。
早速ですが、平右衛門殿、お願い致す……」
「承知致した。物見なれば小早三艘で十分。その方が目立たず船足も早い。
夜を待ち、対岸の目立たぬ処に上陸し監視いたしましょう」
「大丈夫にござるか?その兵力では万が一が……」
四郎左衛門が問いかけた。
「ご懸念に及びませぬ。見つかれば即座に退散するまでのこと。
逃げるのは慣れてござるし、それ故、小早で十分でござる」
そう言って、平右衛門は破顔して見せたのだった。
六月四日の朝である。
備中高松の秀吉の陣所には、安国寺恵瓊が訪れていた。
恵瓊は申し訳なさそうに語った。
「官兵衛殿……条件の方、伝えましたがどうにも納得いただけませなんだ。
駿河守殿は強硬にござる。
和睦とは対等でなければならぬと、「けんもほろろで」ござってな……」
「何ですと?折角我が殿があれほど譲られたのに、それでは顔が立ちませぬぞ……毛利家が滅びてもよろしいのか?それに、対等とは如何な事でござるのか?」
官兵衛はまくし立てた。
「はい。対等とは現状を追認した形で、お互いが兵を退くという事にござる。駿河守殿は、一戦も辞さずという考えでござって、某や左衛門佐も取り付く島ないのでござる」
「恵瓊殿……ふざけてござるのか?
そのような横着な内容、我が殿に伝える事すらできぬ。
顔を洗って出直されよ」
官兵衛は話にならぬとばかりに突き放した。
「では、官兵衛殿、今一歩譲って頂く訳にはまいりませぬか?
まずは駿河殿と話し合いができねば、某もどうすることもかないませぬ」
恵瓊はあくまで遜って答えた。
「では、暫し待たれよ。我が殿に掛け合って参る。
当家は毛利家と違って、決断も早い故……」
そう言うと、官兵衛は席を立ち、秀吉の元に伺候した。
「殿……恵瓊殿がどうも煮え切りませぬ。
和睦とは対等などと駿河守が申されておるとか……
案外手間取りますな……」
官兵衛は急ぎ報告したが、秀吉は沈痛な面持ちであった。
「殿、如何なされました?」
改めて官兵衛が問う。
「官兵衛……先程使者が参っての……
淡路が長宗我部軍に攻められた。
仙谷の配下や広田も為すすべなく逃げ帰った。
この状況では、上様生害を毛利が知るのも時間の問題じゃ。
いや、すでに知っておるやもしれぬ……」
「何と……淡路が陥落したのはいつでござる?」
官兵衛は冷や汗が滲むのを覚えた。
「昨日の午後であるらしい。
恐らくは事前に知っておったのであろう?
水軍でいきなり上陸したようじゃ。
軍勢も三千はおるらしいの……官兵衛如何する?」
秀吉もどうすべきか考えあぐねた。
「殿、一刻も早く和睦すべきでござる。
時間がたてば、和睦自体がかないませぬ。
そうなれば毛利に背後を突かれまする。
すぐにでも条件を緩め、話を纏めねばなりませぬ」
「わかった。官兵衛に任せる……
少しでも相手が妥協するのであれば話を纏めよ」
こうして、再び恵瓊と談合することになったのである。
「お待たせいたしな、恵瓊殿……
殿にすぐご決断頂いた。三か国の割譲を二か国に致しましょうぞ。
これで話をまとめて下され……」
官兵衛は改めて条件を提示した。
「宗治殿の切腹は免れませぬか?
我が家にとっては最も大事な事でござる。
忠義を尽くす宗治殿を見殺しにはできませぬ」
「なれば、三か国割譲頂ければ、宗治殿始め総赦免では如何か?
要は一国と宗治殿の赦免の選択にござる。
あとは其方で談合して下され……
本日中にご決断頂きたい」
「わかり申した。談合して参りまする。
しかし、それでも駿河守殿に納得いただけなければ如何相成りましょう?」
恵瓊は念のために尋ねた。
「ご自身で考えれば宜しかろう?某も何も言う事はござらぬ」
官兵衛は冷たく言い放った。
「では……」
恵瓊は無感情に言い放ち席を立った。
官兵衛の頭は高速回転していた。毛利と決裂した場合どうするか……
いや、決裂することなどありえない。あってはならない。
恵瓊には駆け引きで強気で話はしたが、結局時間が経てば失うものが多すぎる。もし、強硬に出られれば妥協せざるを得ない……こう腹を括った。




