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水色桔梗ノ末裔   作者: げきお
本能寺への道
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55話 変遷

天正十年一月初旬


雑賀郷では、雑賀孫市と土橋守重との間で会談が持たれ、歴史通りに守重が暗殺されることはなくなった。だが、この事実を知る者はほとんどいない。

一月九日には、鈴木孫三郎と土橋守重は、密かに雑賀郷を後にした。

土佐に身を寄せるためである。


「叔父さん、こんな変装みたいな事させて、すいません……」


「あ~~しかし、冬でよかったわ。厚着してても怪しまれんしな。

孫……土佐に行ったら、ウマい食いもんでも奢れよ?

ワッハッハハッ」


「叔父さん、声……なるべくしゃべらんとって下さい。

バレたら、シャレになりません……」


「あ……すまんすまん。気つけるわ」


「不自由かけます。また食事、ワシが運びますから。

ほな、ごゆっくり……」


孫三郎にとっては、この旅程は時間が長く感じられた。

しかし、上手くいってよかった……孫三郎は一人呟いた。



時は流れる……一月も終わりに近づいた。


此処は「姫路城」である。播磨灘から容赦なく寒風が吹きつける。

その天守では、羽柴秀吉と黒田官兵衛他二名が雁首を揃えていた。


「殿、雑賀の件、ようやく孫市殿が動いたようにござる。

敵対する土橋守重を暗殺したようにござる。旗頭を失った土橋一党は散りぢりに霧散したとのこと……おそらくは、根来か他国に逃げた様子。

孫市殿に寝返る者も多く、雑賀を牛耳るでありましょう……」

官兵衛が淡々と報告を進める。


「で、孫市は何か言ってきおったか?」

秀吉は、雑賀が仕官することを期待していた。


「取敢えず、織田家にお味方申し上げると……

仕官の件には触れておりませぬ。

どうやらその気はないように思われまする。当てが外れましたが……」


「兄者……我らが手を貸した訳ではあるまい。

敵対されれば手ごわき相手。当面はこれで良しとしましょう」

秀吉の有能な弟が答えた。

「羽柴小一郎秀長」……秀吉の昇龍のような出世を支える弟である。

これまでも、八面六臂の活躍をし、その温厚篤実な性格から、家中の信望も厚かった。彼が居なければ、秀吉のここまでの出世も無かったであろう……


「でござるな……わしでも人に惚れねば、一国貰っても臣下に等ならんわい」

髭ズラの男が無遠慮に答える。

「蜂須賀小六正勝」である。正勝は元々は信長の直臣あったが、旧縁から秀吉の与力に付けられることが多く、秀吉の人柄に惚れていたので、今では完全に宿老となっている。


「ワッハハハハ……小六どんはワシに惚れてくれたいう事じゃな?

嬉しい限りじゃわい。まあ気長に待とうではないか?」


「そうですな。辞を低くして説得すれば、悪い気はせぬはず……

ここは、今井殿にも力を借りて継続いたしましょう」


「うむ。官兵衛頼み入るぞ……

して、あれから伊賀はどうなったかの?三左は伊賀者を召抱えおったか?」


「はい。幾分かは……しかし、服部殿が推挙し、徳川殿に仕えたものも多いと聞き及びます。服部殿は元々伊賀の出自なれば、致し方ござりますまい。

それと……いよいよ甲州征伐が動きまするな……

木曾殿が寝返った由。信忠殿始め、徳川殿、滝川殿、河尻殿他、多方面からの同時侵攻が行われましょう。北条も黙ってはおりませぬ。遠からず甲斐武田は滅亡いたしましょう」

官兵衛は現状分析を披歴した。


「兄者……武田が滅びれば大きく勢力図が変わりましょう。

徳川殿との関係も、微妙になるやもしれませぬな?」

理知的な秀長らしく、その事に思い当たった。


「当然じゃな。下手をすれば、徳川殿は上様にとって脅威に映るやも知れぬ」


「ご明察かと……何やら不穏な空気が出来いたしましょう。

ここは徳川殿の周辺を三左に探らせまする。

それと、明智殿と朝廷の関係にも微妙なズレがありましょう‥‥‥

嫡子十五郎殿が上様の女婿ともなれば、家中の力関係にも、少なからず影響が出ましょうな。注視すべきでござりますな……」

官兵衛が懸念材料を述べた。


「確かにのぉ……あの小倅だけは……小憎たらしいヤツよ。

益々、つけあがるであろうな?」


「そのご判断は何とも……明智殿は出る杭になるのを嫌うはず。

内心は痛し痒しやも知れませぬな……

ですが、引き続き周辺は探らせるべきかと」


「うむ。官兵衛頼み入るぞ……」

こうして、尽きぬ密談は続いた。



一方、近江坂本でも十五郎と光秀が話し合っていた。


「十五郎……いよいよ武田攻めが始まる。

木曾殿が寝返り、上様に人質を寄越すことになった。

自らの妻子を見捨てての決断……

身内が寝返ったとなれば、武田の家は保たぬであろう。

其方の初陣だが、恐らくは大した戦にはならぬであろうな……

まあ、精々励むことじゃ」


「はい。父上の名を辱めぬよう励みまする」


「うむ。我らは上様直属の本隊と共に出陣となろう。

おまえの初陣の姿、上様にも立派にお目にかけよ……」


「はい。かような立派な具足に陣羽織まで頂戴いたしました。

重々お礼を申し上げたく存じます」


「うむ。気がかりは戦後の事じゃな……

武田が滅びれば、徳川殿がどうなるかじゃ。

極端な話、徳川との同盟は、上様にとって必要条件では無くなる。

悪いように行かねば良いがな……」


「確かに……下手をすれば、徳川殿を排除する方向になりはせぬでしょうか?

今までの上様の方針からすれば、用済みになれば排除するやもしれませぬ」


「うむ。まあ表立っては戦を仕掛けはすまい。

長年の同盟国を滅ぼせば、外聞が悪すぎる。

じゃが、何らかの策は弄するであろうの……」


「はい。例えばの話ですが、徳川殿を呼び出して、事故を装い暗殺するというようなことは考えられぬでしょうか?自らの手は汚さずに……」

俺は、歴史的事実として、その可能性も思い当たっていた。


「あるやもしれぬ……織田家がここまで大きくなれば、潜在的な敵は家中や同盟国にも及ぶと、考えられるやもしれぬ。そうなれば家中が疑心暗鬼になり、謀反の火種にもなりかねぬ。

ここは、はやり唐入りの件も含めて、お諫めすべきぞ」


「某からは何も申し上げられませぬ。

ですが、余りに直情的に申し上げれば、父上のお立場が……」


「いや。誰かが言わねばならぬのじゃ。

折角此処まで来たのじゃ。今になって綻びが出れば、また戦乱が頻発し、民が塗炭の苦しみを味わうことになろうぞ。

これからは、力だけでなく、その威儀で日ノ本を治めるよう考えねばならぬ」


「はい。理屈は確かにそうですが、果たして上様が翻意なされましょうや?」


「前にも申したが、例え翻意なされずとも言わねばならん。

家臣の諫言をすべて封じる様では、この先織田の家は破滅するであろう」


俺は父光秀の決意を知った。本気なのだ……

この先に、父光秀が苦しむような事態がいくつも起こるかもしれぬ。

ひとつは、内裏との関係。そして、徳川殿の暗殺の動き。

光秀の恩師である、「快川紹喜」の恵林寺の焼き討ち……

恐らくは、光秀はこれだけの事が起きれば、耐えられぬであろう……

俺は、そう考えた。

良心の呵責が無いと言えば嘘になる。

しかし、自分の良心を押し殺して、「我々の計画」を実践するのに利用するしかない。内心、忸怩たる思いだった


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