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胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
第29章『新しい季節へ』
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第79話

 一般客の来店も増え始めたのは、それからすぐのことだった。時期的に、地域情報誌の掲載を直接見た、もしくはそれを元とした情報が伝わったとしか考えられなかった。

 狭い店内が満席になることは、最早珍しくなかった。

 学生割引の分を差し置いても――店内で飲むよりも、持ち帰りを利用する客の方が多くなった。

 まさに、大盛況と呼べる状況だった。


 これまで人気の少ない穴場だった客船ターミナル広場や公園だが、カップを手にした人達で賑わった。

 三月になり、寒さが和らいだこともあるだろう。雑誌の掲載時期と上手く重なったと姫奈は思った。


 その日も午後六時半になり、姫奈は店を閉めた。

 取材の場で適当だったとはいえ、営業時間を決定したことは結果的に助かっていた。営業時間を理由にしなければ入店を拒めないうえ、拒まなければ永遠に客足が途切れない勢いだった。

 店内に晶とふたりきりになると、姫奈はようやく一息ついた。


「なんとか今日も、無事に乗り切りましたね……」

「ああ。そろそろぶっ倒れそうだけどな」


 放課後からアルバイトに入っている姫奈ですら、ここ最近の忙しさには圧倒されていた。

 それに対し、朝からひとりで店を回している晶も弱音を吐くものの、疲れている様子は無かった。すぐに店内の清掃に取り掛かった。

 ジョギングで自主的に体力作りをしているからだろうと、姫奈は関心した。

 姫奈もキッチンの片付けに入ろうとしたが、その前に、持ち帰り用のカップにエスプレッソを二杯分作った。


「晶さん。これ、試してみますね」


 蓋を閉める前に、姫奈はひとつの袋を取り出し、晶に見せた。透明の袋には、ピンク色の粉が入っていた。


「桜パウダー? なんか、めちゃめちゃ胡散臭いんだが……」


 晶は怪訝な面持ちで袋の文字を読んだ。

 言葉と様子から、もしかすると違法ドラッグのようなものと勘違いしているかもしれないと姫奈は思った。


「桜の花びらと葉っぱを粉状に磨り潰したやつですよ。お菓子作りに使うんですけど……飲み物に混ぜるのもアリです」


 姫奈は小さじ二杯分の桜パウダーをミルクに入れ、二杯分のスチームミルクを作った。


「こうすると……桜ラテです!」


 ややピンク色のスチームミルクをエスプレッソに入れた。さらに、小さじ一杯分の桜パウダーを表面にかけた。

 エスプレッソの香ばしさに混じり、甘酸っぱい匂いがした。


「おおっ、いい感じだな」

「磨り潰した苺をアクセントにするのもいいと思いますが……原価の都合で、まずはこれを試してみましょう」


 姫奈は持ち帰り用のカップに蓋をした。

 キッチンとエスプレッソマシーンの片付けを終えると、晶と店を出てシャッターを下ろした。


 午後七時を回り、外はすっかり暗かったが、身が震えるほどの寒さではなかった。

 ふたりで客船ターミナルの広場へと歩いた。以前までと違い人気は疎らにあったが、それでも気にならない程度だった。

 綺麗にライトアップされた広場の海沿いの柵で、晶は煙草を咥えた。姫奈はライターを取り出し、火を灯した。


「こう忙しいと、日中に一服する余裕すら無い」

「いっそ、煙草やめたらどうですか?」

「バカ言うな。仕事の後の一本が美味いんだよ。それに、健康を害してると生きてる感じがする」

「言ってること全然分かりません」


 姫奈は呆れながら、桜ラテを一口飲んだ。匂いの通り、苦味と甘酸っぱさが口に広がった。

 晶も飲むと、満足そうな表情を見せた。

 姫奈にとって自信作だったので、こうして手応えを感じたことが嬉しかった。


「いいな、これ……。春って感じがする。苺が無くても充分だ」

「それじゃあ、期間限定(シーズン)メニューに採用してくれませんか? 桜パウダー一袋から何杯作れるのか、計算しておきます」

「ああ、いいぞ。また客足が増えて忙しくなるな」


 晶はそう言うものの、嫌な表情をせずに微笑んだ。

 姫奈もまた、晶と同じ気持ちもあった。地域情報誌の掲載以降、来店する客が増えたが、忙しくて大変だが――それが嬉しかった。


「備品の方は、明日にでも、発注しておきます」

「ああ、頼んだ。ここ最近は消費量が半端ないからな。倍ぐらい在庫持っていても構わんぞ」

「わかりました」


 コーヒー豆の他にペーパーフィルターや持ち帰り用の紙カップ等、普段に比べて最近の消費量は明らかに多かった。

 客が増えての嬉しいことだが、備品は店としての生命線なので、姫奈としては注視しなければいけなかった。


「学生の方は、春休みに入ると減ると思います」

「そうか。ちょっとは気がラクだな。あいつらは、まったく――」


 晶は少しだけ歩き、地面に投げ捨てられていた紙カップを拾い上げた。店名のロゴが無いとはいえ、EPITAPHで出されているものだった。

 姫奈の学校の生徒かは分からないが、客がゴミとして捨てているのは確かだった。


「公園の方でもよく見る。このままだとそのうち、街の方から注意されるかもな」

「ここや公園に、ゴミ箱でも置かせて貰えませんかねぇ」

「無断では置けないし、街が許可してくれるとも思えない。まあ、ひとまずの対策として、店の前だけでもゴミ箱置くか」

「そうですね。ゴミ箱に注意喚起の張り紙もしましょう」


 持ち帰りの客が増えたことでゴミの問題が生まれたのは、姫奈にとって悲しいことだった。しかし、店側の責任として向き合わないといけない。


「持ち帰りだが……これだけ注文多いと、専用の窓口作るのもいいかもな」

「わざわざ店に入らなくても、外から注文できるような感じですか?」

「ああ、そうだ。キッチンの壁をぶち抜いてな、扉の隣に窓を作るんだ」


 晶の言葉で、どういうものなのか姫奈はおよその想像が出来た。

 確かに、持ち帰り専用口としては便利だが――


「でも、あと二年ですよ?」


 遠くない未来に店の移転が決まっているので、勿体ないような気がした。


「まあ、工事の見積もり取ってみて、それ次第だ。たとえ二年だけでも、そんなに高くないなら考えよう」

「そうですね。無いよりは、在った方が良いですし……。それに、リピーターは絶対に増えますから!」


 客数は雑誌効果で現在が爆発的に増えているのだと、姫奈は理解していた。

 時間と共にいずれ下り坂になるだろうが、下げ幅はそれほど大きくないと思った。足を二度以上運ぶ新規の客は、一定数残るだろう。


「おや。随分と自信あるんだな」

「はい! 店もメニューも、最高ですからね!」


 姫奈は堂々と宣言した。

 一年近くコーヒーを淹れ続けてきた経験と、雑誌に掲載された評価から、こうなる予感はあった。そして実際に客が増えると、確かな手応えを感じた。

 バリスタとして自信を得たことで、頷く根拠になっていた。

 客が増えたことの忙しさは、姫奈に充実感とやり甲斐を与えた。だから疲れはあるものの、決して嫌ではなかった。

 今後もこの忙しさは続くものであり、慣れるしかないと思っていた。


「あと二年……次のステップとして、いい経験になると思います。まだまだ頑張りますよ!」

「私もだ。黒字にならないか、トライしてみるよ」

「それは分かりますけど、くれぐれも無理はしないでくださいよ。定時で終わって、定休日はちゃんと休んでください」

「ああ、ちゃんと守るよ。この二年で身体壊したら、身も蓋も無いからな」


 姫奈はふと、二年後を想像した。

 二年後のちょうど今頃――二年後の三月は、卒業を控えているだろう。

 現在がこれほど充実しているからこそ、卒業後の進路も明白に思い描かれていた。何としてでもそれに繋げたかった。

 そのために必要なことが、はっきりとしていた。


「あと二年と言うが、あっという間だぞ?」

「でしょうね。この一年も、びっくりするぐらい早かったですから」


 始まりは、この広場だった。

 高校受験に失敗して自信を失くしていたところ、晶と出会った。

 自分の価値も将来(さき)のことも分からなかった。

 勉強以外でこうして自信と充実感を得ることも、あの時は分からなかった。

 あの時に抱えていた高校受験失敗の後悔は、最早失くなっていた。あれから一年も経っていないが、沢山の経験を積み、大きく成長したと姫奈自身が感じていた。

 広場の緩やかな段差で呆然と踞っていた自分の影が、ぼんやりと見えたような気がして――笑みが漏れた。


「これからも、一緒に頑張っていきましょう。世界一のカフェにしましょう」


 姫奈は晶の手を握った。本当は抱き締めたかったが、人目があった。


「世界一でいいのか? 目指すのは、宇宙一だろ?」

「……はい! 晶さんとなら、余裕で宇宙一になれます!」


 不敵に笑う晶をきょとんと見下ろした後、姫奈は力強く頷いた。

 誇張ではなく、晶となら宇宙一のカフェをきっと目指せると思った。それほどの自信が姫奈にはあった。

 飲みかけのカフェラテを口にした。

 桜色の味と穏やかな風は、微かな春を感じさせた。

 寒さの厳しかった冬が過ぎ去り、じきに温かな季節が訪れようとしていた。

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