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胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
第29章『新しい季節へ』
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第78話

 三月になった。

 あの取材以降、記者からの連絡は一度も無かった。

 記事の事前の確認、および修正申し出は受け付けないこと――承諾書にその旨が記されていたので、当然なのかもしれない。それでも姫奈は、本当に紹介記事が掲載されるのか不安だった。


 やがて、隔週発行の地域情報誌の発売日が訪れた。

 姫奈は登校途中にコンビニに立ち寄り、中身を見ること無く購入した。


 緊張に胸の鼓動が高まりながら、教室の自分の机でページをこっそりと広げた。自分ひとりしか読めない角度で広げた。

 ざっとページをめくり、飲食店紹介のコーナーで――その片隅で、自分の映っている写真を見つけた。

 コーヒーを淹れている姿、カフェラテ、そして扉の前での笑顔。記事自体は下校後にじっくりと読むとして、計三枚の写真が掲載されていることを確認した。

 恥ずかしさと嬉しさが入り混じり、姫奈は頭がどうにかなりそうだった。


「そんなにニヤけて、どうしたん? とんでもない表情してるけど……」


 大丈夫? と言わんばかりの白けた視線を隣の生徒から送られ、姫奈は雑誌を閉じた。

 これ、わたしだよ――とページを見せたい気持ちよりも、クラスメイト相手への恥ずかしさが上回った。

 自覚は無いが、たぶん最高に気持ち悪い表情をしているんだろうなと姫奈は思った。だが、実際にたまらなく嬉しいので仕方なかった。


「なんでもないよ!」

「ていうか、もうちょっとで試験始まるけど、余裕なの?」

「うん! めっちゃ余裕!」

「……実際に成績上位者だから腹立つわー」


 ちょうど今日から、学年末試験が始まる。いつも通り姫奈なりに準備は出来ているので、今回も問題は無かった。

 姫奈の中ではそれよりも、午後からのアルバイトが現在から楽しみだった。


 本日分の試験が終わると、姫奈はハンバーガーのファーストフード店で昼食を済ませ、EPITAPHへと向かった。

 地域情報誌が今日発売してすぐに効果は無いだろうが、それでも少ない客席はほとんど埋まっていた。

 晶も朝から購読したのか、なんだか生き生きしているように姫奈には見えた。

 雑誌掲載のことをすぐにでも晶と話したかったが、客が居る手前、我慢した。その勢いを労力に回し、いつも以上に張り切って飲み物を作った。


 午後六時半になり、店を閉めた。


「晶さん! 本当に載ってましたよ!」

「ああ。私も朝一で確認した」


 姫奈はカウンターテーブルで雑誌を広げ、ようやく記事に目を通した。

 内容としては、記者が取材の際に述べた感想がそのまま書かれていた。それに付け加え、隠れ家的な店であること――そして、姫奈がコーヒーを淹れている写真に矢印が振られ『バリスタさんがとっても素敵です』と書かれていた。


「すいません……。ニヤけが止まりません」


 頬の動きが朝と同じであるため、姫奈は自分の表情を察した。両手で顔を隠した。


「しっかし、この二枚の写真だけでも別人だよな。詐欺みたいじゃないか」

「晶さんが麗美さんを呼んだんじゃないですか!」


 記事を見た時、姫奈も少なからず同じことを感じた。コーヒーを淹れている姿と扉の前に立っているのとでは、まるで別人のようだった。

 後者は麗美の連れてきたプロメイクから化粧を施された後だが、やはり露骨に美化されていた。まるで、携帯電話の写真加工アプリを使用したかのようだった。

 ページ全体で他にも飲食店の店員の写真がある中でも、明らかに浮いているぐらい異質だった。そういう意味では読者の目を引くだろう。


「たぶんこれがお前にとって奇跡の一枚になるだろうから、写真のデータ貰っておけ」

「まだ十六なのにこれが最後ですか!?」


 姫奈はそう言うが、記者にこっそり要求しようと思った。貰った名刺に連絡先が記されていたのを思い出した。


「まあ、実物のお前が一番可愛いんだけどな」


 荒れ気味なのを宥められるように、姫奈は晶から頭を撫でられ、キスをされた。

 愛する人からそう言って貰えたのが嬉しく、姫奈は頬を赤らめた。


「この記事、どうします? ほら、どこそこに紹介されましたって飾ってるお店あるじゃないですか」

「あー、ああいうやつな……。ウチはそれやると雰囲気ぶち壊すし、そうやって粋がる(イキる)のは好きじゃない」

「わたしも同意見です」


 落ち着いた雰囲気を折角褒められているので、姫奈としてもそれを大事にしたかった。

 そう。自分の淹れる飲み物だけではなく、晶の手掛けた内装や雰囲気も評価されているのだ。ふたりで築き上げた店が、こうして紹介されていた。


「これでお客さん増えますかね?」

「取材がなくたって、どの道増えてたさ。何たって、ここは最高のカフェだからな」


 自信――いや、誇りだろうか。

 胸を張って言い切る晶が、とても逞しく、とても愛おしかった。


「そうですね。ここは最高のカフェです!」


 姫奈は微笑むと、晶を抱きしめた。

 まるで、この店自体を大切に愛でるかのように――



   *



 姫奈にとって目に見えるほどの変化が訪れたのは、学年末試験が終わった頃だった。


「ねえ! これ、澄川さんだよね!?」


 姫奈が登校して教室に入るとすぐ、地域情報誌を手にしたクラスメイトに言い寄られた。

 自分の写真を指さされ、姫奈は少し困惑した。

 高校生の読むような雑誌ではないと思っていたので、見つかる恐れは無いと楽観的に考えていた。そして、掲載されたことが嬉しくて、浮かれていた。

 現在もその延長だからか――現に、こうして問い詰められてもさほど危機感は湧かなかった。


「えっと……」


 名前は掲載されていないから、別人で通せるかな――いや、それは流石に苦しいな。他の言い訳も、全然思いつかないや。

 思考を巡らせるも、続かずに途絶えた。

 姫奈自身が驚くほどに、簡単に諦めがついた。


「うん。わたしだよ」


 そもそも、隠す必要が無いのだ。

 アルバイトは校則で禁止されていない。何も悪いことはしていない。

 それに、バリスタとしての一面を自分で否定したくない。胸を張って堂々としよう。

 むしろ、知って欲しいのかな――現在の姫奈は、そうとさえ思えた。


「やっぱり!? 超カッコいいね!」

「なになに? どしたん?」

「えっ、澄川さんカフェでバイトしてたの?」

「雑誌に載るなんて凄くない?」

「ていうか、読者モデルみたい」


 教室に居た生徒が次第に集まり、雑誌の回し読みが始まった。

 クラスメイト達は驚いているが、決して悪い反応では無かった。姫奈としても、悪い気はしなかった。

 姫奈は人だかりを撒いて、自分の席に座った。


「澄川さん。帰りに寄るから、奢って!」


 すると、隣の席の生徒からそう強請られた。


「だーめ。そこらのカフェより全然安いんだから、ちゃんとお金出して」

「ケチ。私と澄川さんの固く結ばれた友情なのに……」

「そんなの結んだ覚えは無いよ」


 姫奈は軽く流すも、あることに気づいた。

 ん? 寄る?

 追求はしなかったが、この時既に嫌な予感がしていた。


 その日の放課後。

 姫奈がEPITAPHの扉を開けると、信じ難い光景が広がっていた。


 自分と同じ学生服を着た人間で、店内は満席だった。見知ったクラスメイトの顔から知らない顔まで、様々だった。

 満席ならまだしも――いくつかのグループで会話が繰り広げられているせいで、ガヤガヤと騒がしかった。カフェというより、放課後のファーストフード店やファミリーレストランを彷彿させた。

 せっかくの落ち着いた雰囲気が台無しだった。


「おい、姫奈! こいつらどうにかしろ!」


 キッチンの晶は腕を組み、苛立っていた。彼女達を客だと思っていないのだろう――本来ではありえない態度だった。

 晶がまだ何も飲み物を作っていないのか、客席には何も飲み物が無かった。


「おおっ、澄川さんやっと来た。待ってたよん」

「ねえ、何か淹れてよ。うんと美味しいやつ」


 彼女達にようやく存在を気づかれ、姫奈は一斉に視線を向けられた。

 さらに次々と言葉をかけられるが、ひとりずつ相手をしていては埒が明かなかった。


「はいはい。みんな、ちょっと話を聞いて。狭いお店でゴメンね」


 姫奈は手をパンパンと叩き、彼女達を一旦黙らせた。


「一般のお客さんも普通に来るから、ウチの生徒で満席はちょっとマズいの。ひとりで読書や勉強ならいいけど、ふたり以上で喋るなら、テイクアウトして近くの広場や公園でよろしく。その代わり、テイクアウトなら十円だけ学割するからさ」

「な――」


 姫奈の提案に納得したのか、客は全員ぞろぞろと一旦表に出た。

 その傍らで、晶が絶句していた。


「すいません。こうでもしないと、たぶん収集つかなかったので……。その代わり、数撒きますから」

「まあ……十円ぐらい構わない」


 店内にふたりきりになると、姫奈はエプロンを纏いながら、勝手に決めた学割の件を謝った。

 晶が言葉とは裏腹に表情が引きつっていたので、本当に大丈夫なのかなと思った。


「あの雑誌読んだ生徒が居たみたいで、見つかっちゃいました」

「気にするな。掲載された時点で遅かれ早かれ、こうなってただろ」

「そうですね……」


 雑誌の効果がこのような形で表れるのは、姫奈にとって予想外だった。しかし、現在思えば学校は近いので、この可能性は充分にあり得た。

 あまり釈然としないが――満席という結果は嬉しかった。


 姫奈は笑みを浮かべながら、メモ帳を片手にひとまず表に出た。そして、学生達の注文を承った。

 よく訪れる一般客が横切り店内に入る際、学生の集団を物珍しそうに一瞥した。

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