第76話
息が白くなるほど冷え込んだ、冬の朝。
登校途中、姫奈はふとコンビニに立ち寄った。
窓際の雑誌コーナーを眺め、地域情報誌を一冊手に取った。この手の雑誌とは無縁で何が良いのか分からないため、名前の聞いたことのある有名なものを選んだ。
ペラペラとページをめくり、姫奈の知りたい情報が載っていることを確認した。
それを購入すると、学校へ向かった。
「おはよう」
「おはよー……。澄川さん、余裕だね」
姫奈は自分の席に座るなり、購入した雑誌を広げた。
隣の生徒は机に教科書を広げ、朝のホームルームで行われる小テストの勉強をしていた。
彼女から半眼の視線を送られるも、姫奈は雑誌を読むことに夢中だった。テスト範囲は既に理解しているため、勉強は不要だったのだ。
「ねえ……。この時期さ、デート行くならどこがいいと思う?」
雑誌を読みながら、隣の生徒にふと訊ねた。
わざわざ地域情報誌を購入したのは、デートスポットの情報を仕入れるためだった。晶とのデートについて、計画を立てたかった。
というか、こういうのは普通、年上の晶さんが考えるものじゃ……。
そうは思ったものの、こちらから提案しなければ晶は動かない気がした。
「珍しくそんなの読んでると思ったけど、そういうことだったの? いいなぁ。恋人が居る人は、そんな悩みがあって」
「わたしじゃないよ。友達から相談されて……」
「はいはい。そういうのはいいから」
「それで、デートに行くならどこに行きたい?」
「うーん……。イチゴ狩り、とか? 練乳持っていってさ、摘みたてにかけたら絶対にヤバいよね」
姫奈は、自分が女子高生らしい考えを持っていた安心感と、彼女と同じセンスである嫌悪感、その両方が込み上げた。
「他には?」
「そうは言われてもなぁ……。まあ、夢の国なんて鉄板じゃない? あの耳付きカチューシャ着けたら、誰だってテンション爆上がりでしょ?」
次は、女子高生と同じことを言っていた麗美を酷く哀れんだ。『格好良い大人の女性』というイメージが崩れそうな気がした。
「とか言ってたら、また行きたくなってきたよ。あそこは友達と行っても全然楽しめるし……春休みのイベント情報ない?」
隣の生徒は教科書を置くと、椅子ごと身を乗り出し、雑誌に手を伸ばした。
彼女や麗美の言うテーマパークの紹介記事はあった。冬季限定のイベント、グッズやスイーツが紹介されていた。春季の情報はまだ無かった。
「へー。なんていうか、意外と美味しそう」
テーマパークのマスコットキャラクターを模したドーナツとワッフルのプレートを見て、姫奈は素直な感想を漏らした。
スイーツ好きな晶が喜ぶと思った。そして、気だるげな晶だが――いざテーマパークに連れて行けば、子供のように無邪気に遊びそうとも思った。
姫奈の中では子供向けデートのイメージがあったが、がらりと良い方向に変わった。
「年間パス持ってたら、食事にだけ行くのもアリだからね」
「なるほど」
隣の生徒と雑誌を読み進めると、スキー場の紹介記事があった。
「私はアウトドアに興味あるけど、こういうのは車が無いと始まらないね」
「車があっても、わたしは無理だよ」
「ていうか、歩いて行けないじゃん。詐欺じゃん」
雑誌のタイトルに『歩く』に関する言葉が使われているから、隣の生徒は文句を漏らした。
晶にスキーもしくはスノーボードの経験があるのかもしれないが、姫奈はどちらも無かった。そして運動は苦手なので、こういうデートは敬遠気味だった。
「これだよ、これ! こういうの!」
さらにページを進めると、姫奈の目を引く記事があった。
水族館のイルカショーだが、雪や氷の演出がとても幻想的だった。是非とも実際に観てみたいと思った。
「澄川さんって、意外とロマンチストなんだね。こういうの、全然興味無いと思ってたよ」
「……わたしにどんなイメージ持ってるの?」
「って、もうちょっとでホームルーム始まるじゃん!」
教室に予鈴が鳴り響き、隣の生徒は慌てて自分の机に戻った。
姫奈もページをざっとめくると、雑誌を鞄に閉まった。
詳しくは休み時間や帰宅後に読むが――他にはイルミネーションスポットにスパ、カフェやスイーツの紹介記事あった。
そのどれもが姫奈にとっては新鮮であり、キラキラと輝いて見えた。晶と楽しみたいものが沢山あった。
その一方で――この手の地域情報誌を、初めて読んだからであろう。どの店も魅力的に紹介できる触媒としての雑誌が、凄いと思った。
紹介された店は、確実に客足が増える。きっと、紹介されるだけの価値があるからだろうが――そう考えると、姫奈はなんだか羨ましかった。
*
その日の夜。
姫奈は自宅で夕飯と風呂を済ませ、自室に戻った。
後は宿題を片付けて就寝だが――学校鞄から、帰りのホームルームで渡された一枚の紙を取り出した。
進路希望調査票だった。文理選択の最終回答、そして大学と学科を第三志望まで記入する欄が設けられていた。
姫奈は勉強机に座ってぼんやりと眺めた後、まずは『文系』を丸で囲った。
文系経由での経営学科への進学を望んでいたのは、数ヶ月前までの話。現在は第二もしくは第三志望――いや、この用紙に記入すべきではないのかもしれない。姫奈の中では、最悪の場合の『控え』の進路となっていた。
――あと二年……わたしが高校を卒業するまで、移転は待ってくれませんか? 卒業したら、朝から晩まで晶さんとどこでだって働きますから。
晶と仲直りしたクリスマスを思い出した。
あれは決して、その場凌ぎの言葉ではなかった。追い込まれた結果でもなかった。
この進路を、姫奈は確かに自分自身で決心していた。それは現在でも変わらない、揺るぎないものだった。
しかし――姫奈はまだ十六歳の高校生だった。所詮は義務教育の延長期間だった。
悔しいが、ひとりで生活出来るだけの力が備わっていないと、姫奈自身が理解していた。高校を卒業したところですぐに変わるわけでもなく、いつ備わるのか、見通しすら立たなかった。
まだ未成年である以上、まだ保護者の力が必要不可欠であった。
姫奈は自身の決心を、まだ保護者に伝えていなかった。
本来なら自分ひとりで決めるべきものではないと、理解はしていた。
怖かった――
第二志望校ではあったが、こうして進学校に通わせて貰っているため、この進路は言い難かった。
だが、それでもこの進路は譲れなかった。この将来図は、頭の中で鮮明に描かれていた。
そのために、早かれ遅かれ必ず伝えなければいけなかった。
これ以上は引き延ばせない。ようやくその時が訪れたのだと、覚悟を決めた。
「……」
姫奈は勉強机から立ち上がると、用紙を持ってリビングへと向かった。
説得する材料は用意してあるが――どこまで通じるのか、勝算は未知数だった。




