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胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
第28章『胸を張って歩ける日まで』
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第75話

 二月下旬の週末の夜。

 麗美が以前提案した通り、晶の部屋にRAYの三人が集まり、その中に姫奈も加わっていた。


「ほら。国産の霜降り肉だよ! 卵も、めっちゃいいやつ持ってきた!」


 麗美が自慢げに持参した高級食材で、すき焼き鍋を食べることになった。


「すいません。わたし、すき焼きのことよく分からないんで……」


 しかし、姫奈はすき焼きを食べる機会が滅多に無いため、材料の準備や作り方を知らなかった。

 市販のスープに材料を適当に入れるだけで済む一般的な『鍋』ではないことは確かだった。スーパーの鍋スープ売り場に、どう使用するのか分からない『すき焼きのもと』があったのを思い出した。しかし、この部屋にはそれすら無かった。


「私に任せなさい」


 結月が静かに立ち上がり、姫奈の代わりにエプロンを纏った。


「手伝います!」

「ありがとう、姫奈ちゃん。貴方に比べて、あのふたりはダメね」


 結月はぼんやりとした瞳で、リビングの麗美と晶を見た。ふたりは赤ワインを開け、談笑していた。


 白菜、ネギ、えのき、しいたけ、豆腐。牛肉以外の材料を切る結月の包丁さばきは見事なものだった。晶といい、元アイドルがどうしてここまで出来るんだろうと姫奈は思った。

 姫奈は、切られた食材をリビングのテーブルに運んだ。


「姫奈ちゃん。鍋に火をつけて、油をひいて貰えるかしら」

「はい。わかりました」


 結月に言われた通りカセットコンロを着火し、鍋が温まった時点で牛脂を溶かした。

 それからすぐ、調味料をいくつか持って結月がキッチンから現れた。

 結月はまず鍋でネギを軽く焼き、香ばしい匂いがすると牛肉も焼いた。

 牛肉の色が変わった程度で、醤油、みりん、砂糖、水を全て目分量で投入した。

 そして、鍋が煮立つと切った食材にしらたきと麩も投入した。


「ね? 簡単でしょ?」


 眠たげな表情で一連の作業を淡々とこなした結月から、姫奈は振られた。

 まだ理解が追いつかないが、およその流れは大体分かったような気がした。

 それよりも――


「結月さんって女子力高いですね。尊敬します」


 おそらく、結月の料理の腕前は晶と同等かそれ以上だろう。それでいて、お淑やかな振る舞いに関心した。


「だそうだけど。晶ちゃん?」

「ふんっ。私は自分に正直に生きてるだけだ」

「あら。私だって、そのスタンスなのだけど?」


 晶は手元の小皿に卵を割り、苛立った様子でかき混ぜた。

 姫奈は苦笑しながら晶を宥めた。

 晶も女性としてとても魅力的だが、付き合いが長い分、だらしない一面も知っていた。それを含めて、姫奈は晶のことが好きなのだが。


「逆に――姫奈ちゃんの目で、この三人で一番女子力が低いのは誰かしら?」


 結月からそう振られ、姫奈は手に取った卵を落としかけた。


「えっ、それ訊きます? えーっと……すいません。わかりません」

「ねえ! どうして私を見るかな!?」


 回答を控えるものの、麗美が騒ぎ立てた。

 姫奈はそっと、麗美から視線を外した。


「昔、何かのテレビ番組だったかな……私と結月で料理対決する企画があったんだよ。三人で対決すればいいのに……麗美の奴、司会役だぞ? 視聴者も察したよなぁ」

「料理が何さ! 私だって、女の子らしい一面あるもん!」


 麗美のその言葉に、姫奈を含み他の三人は一斉に黙った。広いリビングで、鍋のグツグツと煮える音だけが聞こえた。


「犬とか猫とかゆるキャラとか、可愛いの大好きだし……。もし夢の国に行ったら、たぶんあの耳付きカチューシャで大はしゃぎするだろうし……」

「――お肉煮えたから、硬くならない内に食べましょう」

「スルーしないでよ! ちょっと!」


 麗美さんの女の子らしい基準はそこなんだ……。

 結月と晶がどう思ったのかは知らないが、少なくとも姫奈はそう察した。


「おおっ、流石は霜降り――めちゃめちゃ美味いな。でかしたぞ、麗美」

「薄さが絶妙ね。片面だけ焼いて食べても美味しそう……。よくやったわ、麗美ちゃん」

「本当、口の中でとろけるみたいですね。ありがとうございます、麗美さん」

「……全然嬉しくないのは気のせいかな?」


 結月が鍋から肉を取り、不機嫌そうな麗美に取り分けた。

 姫奈も立ち上がり、麗美のグラスにワインを注いだ。


「おい、姫奈。冷蔵庫に凍らせた白米あるから、チンしてきてくれ」


 晶だけが麗美に気をかけず、ひたすら箸を動かしていた。

 姫奈が呆れた視線を送るも、一切動じなかった。


「……わたしもお米食べますけど、おふたりは要りますか?」

「私はお酒飲むから、いいや」

「私も麗美ちゃんに付き合うから結構よ」

「わかりました。それじゃあ晶さん、わたしと半分こしましょう」


 姫奈は立ち上がったままの足でキッチンまで行き、冷凍保存してある白米の塊を、冷蔵庫からひとつ取り出した。

 電子レンジで解凍している間、茶碗をふたつ準備した。


「晶……。あんたは相変わらずだね」

「仕方ないだろ。今日も一日働いて、腹減ってるんだ」


 解凍を待っている間、リビングからそのような会話が聞こえた。

 確かに、今日も晶は朝から夕方まで働き詰めだったので、食欲旺盛なのは無理がないと姫奈は思った。


「それにしても、晶の店凄いよね。もうさ、閉店後じゃないと顔出せないぐらい客入ってるじゃん」

「あら? 私が一緒ならまだしも、麗美ちゃんひとりなら大丈夫じゃない?」

「……それ、どういう意味かな?」


 再び麗美の声のトーンが下がったところで、姫奈はふたつの茶碗をリビングに運んだ。

 晶に茶碗を渡すと、勢いよく白米にも食らいついた。


「麗美さん、お気遣いありがとうございます。最近は、夕方でもお客さん居ること多いですので」


 姫奈も腰を下ろし、肉と共に白米を食べた。いくらでも食べられそうなほど、ふたつの相性が良かった。


「かといって、追い出せん。こちらとて、夜に営業する気はないからさっさと帰って欲しいんだが」

「――いや。それ単に、あんたが営業時間決めてないからでしょ? どこにも書いてないよね?」


 麗美の言葉に姫奈と晶は箸を止め、驚いた表情で顔を見合わせた。


「晶ちゃんのお店の隣、まだ空きテナントあったでしょ? 私、バーやりたいな。晶ちゃんのとこが閉まったタイミングで開けるのよ」


 ふと、結月がぽつりと漏らした。

 姫奈はバーに入ったことは無いが――小さな店で結月が酒を提供して、客の話を聞いている姿はなんだか様になっていると思った。


「おい、飲食店なめるなよ。カフェを始めてお前達に伝えたいのは……休みなんて無い、超絶ブラック業界だということだ」

「――いや。それ単に、あんたが定休日決めてないからでしょ? どこにも書いてないよね?」


 麗美の言葉に、晶は再び驚いた表情を見せた。


「それで――私がバーの隣にラーメン屋でも開けば、飲んだ後の客を拾えるわけだ。完璧な流れじゃん」


 姫奈は麗美がラーメンを作っている姿は想像できないが、一連の商売計画としては上手いと思った。

 それは結月と晶も同じなのか、RAYの三人は笑いながらワインを口にしていた。


「そういう未来も、素敵ね」

「アリだったかもな」


 どこか湿っぽい雰囲気を感じる中、姫奈は解せない点があった。


「しんみりしてるところ、すいません……。晶さん、営業時間も定休日も、いい加減決めませんか?」


 せっかく判明した問題点を有耶無耶のままにしたくはないため、姫奈は口を挟んだ。

 営業時間はまだしも、晶が毎日働いていることが最近は心配だった。日曜日の午前は晶を休ませて姫奈ひとりで店を回しているが、それでも晶が過労気味だと思っていた。

 定休日が欲しい理由は、それが半分だった。


「まあ、元々は気まぐれで適当にやってたが……そういうのに憧れてたが、現在はもう違うしな。ちゃんと決める頃合いか」

「そうですよ! このままだとデートに行けませんし! あ――」


 残り半分の理由が勢いで漏れ、姫奈は慌てて口を閉じた。

 RAYの三人はお酒を飲んでいるので、軽く流して欲しいと思うものの――晶は恥ずかしそうに頬を赤らめ、麗美と結月はポカンとした表情を浮かべていた。

 残念ながら、三人ともまだ素面だった。


「そりゃ、定休日決めないとねぇ」


 麗美はニヤニヤと笑いながら、晶を見た。


「ちなみに、姫奈ちゃんはどこに行きたいの?」

「ええ!?」


 結月から突然訊ねられ、姫奈は困惑した。思わず晶を見るが、晶はからかう麗美に怒っていた。

 姫奈が晶と付き合って一ヶ月が過ぎた。正月の旅行を除くと、デートは外食や買い物ぐらいだった。

 他にもデートに行きたいとはいえ、姫奈は特に考えていなかった。


「えっとですね……この時期はイルミネーション観たりとか……」

「まあ。ちゃんとした所のイルミは綺麗よね」

「他には……ちょっと遠いですけど、イチゴ狩りとか……」


 姫奈は何気なく思いついたものを口にした。なぜそれが思いついたのか、姫奈自身わからなかった。

 しかし、その言葉に結月だけでなく、RAYの三人の動きがぴたりと止まった。

 それも束の間――麗美と結月はすぐに大笑いした。


「もう! 笑うなんて酷いですよ!」

「ごめんごめん……。晶の苺摘んでる姿を想像したら、なんか可笑しくて」


 涙を流すほど笑っている麗美にそう言われ、姫奈は妙に納得した。残念ながら、否定できなかった。

 それを察したのか、晶は頬をぷくっと膨らました。


「私の偏見だけど……イチゴ狩りデートって、なんか若い感じ。姫奈ちゃんぐらいの歳だと、丁度いいのかしらね……」


 結月はそう言い、晶を見た。子供っぽいという意味に捉えたのか、晶の頬はさらに膨らんだ。


「そういうことだから、どこかで休み取って姫奈ちゃんを連れて行ってあげなさいな。イチゴ狩りに」

「知るか!」


 やがて笑いが落ち着くと、姫奈は鍋から肉を取った。


「あれ? 皆さん食べないんですか?」


 鍋の中に具材はまだ沢山残っていた。しかし、RAYの三人は箸をつけることなく、ちびちびとワインを飲んでいた。

 笑い疲れて食べられなくなった――という風には、姫奈は見えなかった。


「霜降りねぇ……。美味しいんだけど、何口かだけでいいかなって……」

「おかしいな。昔はまだ食べれたはずなんだが……」

「次からは、フグかクエのお鍋がいいわね……」


 三人の弱々しい言い分を聞き、姫奈は事情を察した。


「わたしは『若い』んで、まだ食べますからね!」


 イチゴ狩りを悪く言われたことの恨みから、皮肉を込めてそう言うと、遠慮することなく食べた。

 体重の減量を考えていたが、それは一旦忘れて食べた。

 そして、流石の姫奈も――霜降り肉を満腹まで食べると、腹部から食道にかけて気持ち悪くなった。晶から怒られながら、胃薬を貰った。

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