第69話
一月半ばの週末。
午後六時頃にEPITAPHを閉めた後、姫奈は晶とモノレールで市街地の方に出かけた。
連日冷える冬の夜、晶がとある店の鍋を食べたいと言い出したのであった。
姫奈も名前を聞いたことのある、辛い鍋が有名なチェーン店だった。
スーパーでこの店の鍋スープが販売されているが、晶はわざわざ店に行きたがった。
晶が進んで外出するのは良い傾向だと、姫奈は思った。
「……本当に入るんですか?」
しかし、姫奈はこの店に抵抗があった。
店の前で一度立ち止まり、赤い看板を見上げた。
「当たり前だろ。寒い時は辛いものに限る」
世間もその風潮が強いのか、店は大勢の客で賑わっていた。向かう際に予約していなければ、寒空の下で待つことになっていた。
「寒い時は生姜ですよ!」
「お前は夏だろうが冬だろうが、とりあえず生姜を使う癖やめろ」
「生姜は万能ですし、めちゃめちゃ健康にも良いんですから!」
「唐辛子で汗かくのも、健康にいいぞ」
晶に連れられ、しぶしぶ入った。
対面席に通され、ふたりでメニューを広げた。
「とりあえず七番か八番ぐらい、いってみるか」
看板メニューの鍋は、事細かに十一段階まで辛さが選べた。
「初見で何言ってるんですか! わたしはゼロ番のところですけど、百歩譲ってオススメの三番までですからね!」
「なんだそれ。根性無いな」
「辛いのが苦手なだけで、根性は関係ありません!」
周囲の席から漂う唐辛子の匂い、そしてメニューの写真とで、姫奈の額には既に汗がじんわりと浮かんでいた。
それほどまでに、辛い食べ物が苦手であった。
「ほら。このトマトチーズ鍋、美味しそうですよ」
「その手のは最初の数口だけが美味いだけで、チーズが腹に溜まるんだ」
「歳のせいですか?」
「ほっとけ」
晶と議論の後、結局は三番の辛さの看板メニューの鍋を二人前、そしてビールとウーロン茶を注文した。
鍋はすぐに運ばれてきた。姫奈は恐る恐る小皿に取った。
「あれ? 意外といけますね」
白菜と豚バラ肉を口に運ぶが、思っていたより辛くなかった。拍子抜けし、パクパクと続けて食べた。しかし――
「ううっ! 後からきます!」
口内にじんわりと辛さが広がり、姫奈は慌ててウーロン茶を飲んだ。
その様子を見て、晶は笑った。
「唐辛子はそういうもんだ。どうだ? 食べれるか? 本当に無理なら、他のメニュー頼むが……」
「いえ、かろうじて食べられるんで、大丈夫です。ただ……このブヨブヨしたのは、どうしても無理ですけど」
姫奈は小皿から、得体の知れない肉を箸で摘んだ。
普段食べることの無い食感が、なんだか気持ち悪かった。
「あー、ホルモンか。それは私が食べるから、お前は豚と鶏を取れ」
「これがホルモンですか。名前ぐらいは聞いたことあります」
「コラーゲンたっぷりで、美容に良いんだぞ」
「それでも無理です!」
まだコラーゲンを欲する歳でもないんで、と姫奈は言いかけたが思い留まった。
「私もお前ぐらいの歳だと苦手だったから、気にするな」
「歳とっても、食べられるようになる気がしないんですけど……」
「そうは言っても、好みは変わるもんだぞ。例えば、焼き肉ならどの部位が食べたい?」
「そうですね……。やっぱりカルビですかね」
「うん。それが子供の舌だ」
晶にばっさりと斬られ、姫奈は少し苛立った。
自分だってハンバークやカレーライスに甘いものも好きなくせに、と思った。
「だったら、大人は何になるんですか!?」
「私はカルビからハラミになった。あと、ホルモン」
晶はメニューを広げ、ホルモン焼きを追加注文した。
姫奈も、口直しに棒々鶏サラダを便乗した。
「現在は理解できないだろうが、歳で好みの変化は必ずあるんだよ」
「お酒もですか? 何口かぐらい飲んだことあるんですけど、全然美味しくなかったです」
「そうだな……。お前が社会に出て苦労するようになる頃には、その味が分かるはずだ」
ホルモン焼きを食べながら美味しそうにビールを飲む晶を、姫奈は理解できない反面、羨ましくもあった。
晶は愛する人であるが、ひとりの『大人』として憧れてもいた。酒を嗜む姿が格好良く見えた。
「ていうか、晶さん汗凄いですね」
鍋も食べている晶は、滝のような汗を流していた。
「代謝が良いんだよ。どうも体力が落ちてきたから、最近は朝起きてから公園でジョギングしてる」
「え――マジですか?」
「マジだ。寒いけどな、身体動かして汗を流すと気持ちいいぞ」
晶の朝起きれないイメージが染み付いているため、姫奈はにわかには信じられなかった。
しかし、アイドルだった過去があるため、走って体力作りに励むのは有り得るのだと思った。
「だから、食べている割には全然太らないんですね。わたしも走りますかねぇ……」
「お前、腹に肉ついてきたもんな」
晶に笑われ、姫奈は恥ずかしくなって俯いた。
冬場で厚着をするため、二の腕や脚を他者から見られることは無いが――晶には腹部まで見られ、触られた。
そう。今年は冬季であっても体重や無駄毛の油断は出来ないのであった。
「ジョギングっていうのは、代謝を高めて脂肪を燃やしやすくするだけだ。運動自体のカロリー消費はそれほどでもないし、毎日続けないと意味が無いし、食事のコントロールも必要だ。ダイエットの即効性なら筋トレの方がいい」
「言ってることがよく分かりませんけど……要するに、わたしに運動は向いてないってことですね」
毎日走る習慣づけも、筋力トレーニングも、どちらも厳しそうだと姫奈は思った。
「お前はまだ成長期かもしれないからオススメはしないが……とりあえず、炭水化物を控えてみろよ」
「炭水化物って、ご飯とかパンとかでしたっけ?」
「麺もな」
「うう……。そのへん食べられないのはキツイですけど、控えるようにします」
姫奈としては、炭水化物を数口でも食べないと食事をした気になれなかった。
そういうところが子供っぽいのかなと後になって思うも、まだ誰にも譲れない部分であった。
「って、言ってる側からこれかよ」
鍋が空になったところで、姫奈は締めのチーズリゾットを注文した。
炭水化物の他、チーズのカロリーは考えないようにした。
「明日から本気出します」
「絶対やらない言い草じゃないか」
「そんなことより――これ、ヤバいぐらい美味しいですよ。晶さんもどうぞ」
唐辛子の辛味がチーズによって幾分中和されたため、姫奈にとっては食べやすい味だった。
むしろ、この鍋料理で一番美味しいとさえ思った。
リゾットの後、ひとつのアイスクリームをふたりで分け、席を立った。
いつもなら、晶に会計を任せて姫奈は先に店を出ているところだが――今日は晶と一緒にレジに向かった。
そして、鞄から財布を取り出した。
「は? どうしたんだ?」
困惑する晶の隣で、姫奈は千円札を三枚出した。
「わたしも少し出します!」
「いや、いいから仕舞っておけ」
「ダメです! 出させてください!」
「ワケのわからないこと言って困らせるな。お前は先に出ておけ」
晶から力ずくで財布に札を仕舞われるも、姫奈はそれを遮って再び出そうとした。
レジ前で、そのやり取りを繰り返した。
「あのー……。お客様」
「すまなかった。一括で頼む」
晶は店員にクレジットカードを渡した。
現金自体の支払いを晶に阻止され、姫奈はようやく諦めた。
「どこかカフェでも行きません? わたし出しますんで」
店から出ると、姫奈はそう提案した。まだ気が収まらなかった。
「いい具合に酔ってるから、そういう気分でもないんだが……。というか、どうした? 何があった?」
姫奈は晶から、自分に何か非があるのかと、心配そうに顔を覗かれた。
その心配を否定するように、晶の手を握った。手を繋いで駅の方向へと歩き出した。
冬の夜風は冷たかったが、辛いものを食べて身体が温まったせいか、あまり身に堪えなかった。
「わたし達、その……付き合ってるじゃないですか? でも、いっつも晶さんに出して貰ってるのが、なんだか申し訳なくて……」
姫奈は正直に話した。
以前から感じることはあったが――食の好みの違いから、改めて年齢差を感じた。十も離れているのだと思い出した。
雇用主と従業員、上司と部下の関係なら気にせずご馳走になっていた。
しかし、歳が離れているとはいえ晶とは恋人の関係なのだ。
金銭を含み、晶が想像も出来ないほどの莫大な財産を所持していることを、姫奈は漠然と知っている。
それでも、たとえ姿勢だけでも晶と対等でありたかった。
恋人なのに、子供扱いされることが嫌だった。
「なんだ、そんなことか。その気持ちだけで嬉しいから、気にするな」
「笑い事じゃないですよ!」
安心したかのように笑う晶に、姫奈は怒った。
「早く大人になりたいです……」
アルバイトで賃金を受け取っている。酒の味を知っている。性交の経験がある。そして、恋人が居る。
だが、自分がまだ十六歳の高校生だという事実には変わりなかった。
未成年だから、晶からこのような扱いを受けるのだろうか。
成人すれば、ふたりの時間に支払う金銭を、少しでも受け取って貰えるのだろうか。
姫奈はそのようなことを思いながら、頭上を見上げた。
明々とした街の光の向こう――乾燥して澄んだ夜空に、星が輝いていた。




