第63話
十二月の後半に差し掛かった頃。
自動車で近くを通りかかったので、麗美は結月を連れてEPITAPHに立ち寄った。
「あれ? 晶ひとり?」
平日の夕方だが、ちょうど客が居ない他、珍しく店内に澄川姫奈の姿も無かった。
どこか苛立った様子の天羽晶が、キッチンで黙々と洗い物をしていた。
その様子を見た麗美は、なんだか嫌な予感がした。
「まさか、姫奈ちゃんとケンカした?」
「ちょ――結月」
躊躇なく訊ねた結月に、麗美は慌てた。
麗美もまた、同じ疑問を思っていた。しかし、晶と姫奈はいつも仲が良さそうに見えていたので、もし本当に喧嘩をしたのであれば、信じられなかった。
「ふんっ。あんな奴のこと、知るか」
晶は返事の代わり、荒々しくマグカップを洗った。
麗美は結月と顔を合わせると、カウンター席に並んで腰掛けた。
「晶ちゃん。何があったのか、話してみなさいな」
「……愚痴でいいなら聞いてくれ」
晶は手を動かしながら、姫奈が店に居ない――無断欠勤している経緯を話した。
「店を移転って……。そんな話、初耳だよ。私がEPITAPHの契約してるんだから、相談して欲しかったなぁ」
「うるさいな。ちゃんとお前にも話すつもりだった……後で」
「後じゃダメでしょ! 勝手に話を進めておいて、何言ってんの?」
移転の計画を晶ひとりで進めていたことを知り、麗美は驚くよりも怒りの感情が湧いた。
晶に代わりこの店のテナント契約を行っている身として、少なくとも部外者ではなかったのだ。
「この件は、どう考えても晶ちゃんが悪いわね」
「そんなわけあるか!」
「ていうか、サプライズ下手すぎ」
「やかましい!」
結月からの言葉に、晶は荒れた。
麗美も結月と同意見なので、隣で頷いた。
「姫奈ちゃんとふたりでここまでやってきたんだから……晶ちゃんが決めたものを後から見せるんじゃなくて、どうして一緒に見て回らなかったの?」
「その方が、あいつが驚くと思ったから……」
「確かに驚いてるわね。悪い方に」
「晶は――それで、契約はしたの?」
「いや、まだだ。一旦保留にして貰ってる」
「うん。思い留まったのはまだ偉い」
晶の返事を聞き、麗美はひとまず落ち着いた。
もしも晶が独断で契約していたなら、姫奈を抜きにしても、この場で激しく怒っていただろう。
「状況は分かったけど……。晶ちゃんねぇ、子供相手にマジギレしてシカト決め込んでるのは、大人げないとは思わないの?」
「お前らな、さっきからどっちの味方だよ!?」
「姫奈ちゃんの味方に決まってるでしょ。晶は、まさか自分に一切の非が無いと思ってないよね?」
「そりゃ、多少はあると思ってるが……」
晶は洗い物の手を止めた。
「まあ……確かに、ちょっと言い過ぎた気がしないことはない」
そして、ばつが悪そうに言った。
麗美は結月と顔を合わせ、大きく溜め息を漏らした。
「ケータイでいいからさ、さっさと謝んなよ」
「バカ! そんなこと出来るか!」
そういえば昔からこうだったと、麗美は晶と喧嘩した過去を思い出した。
晶から頭を下げないのは、人間としての誇りではなく、単なる頑固な性格だった。
この歳になっても相変わらずだと、麗美はただ呆れた。
「晶さ……姫奈ちゃんは、愛生さんじゃないんだよ? 上下じゃなくて、なるべく対等に見ないとダメじゃん」
「……」
「もう知らない! 結月、行こ」
投げやり気味になりながら、席を立った。結月もそれに続いた。
「もうちょっとでクリスマスなんだし、プレゼント用意しておきなさいよ? 姫奈ちゃんの欲しいもの、知ってるんでしょ?」
店を立ち去る際、結月がその言葉を残した。
晶は釈然としない表情だった。
*
麗美は自動車に乗り込むや否や、頭の中を整理しながらエンジンをかけた。
少し立ち寄っただけだが、驚いたことがいくつかあり、理解が追いつかない。
まず、晶が怒りながらも店のキッチンに立っていたこと。本来なら、寝込んでいてもおかしくないはずだった。
精神面が随分強くなったと、関心した。
そして、それよりも驚いたことが――
「姫奈ちゃんが店に来ない理由って、移転を拒んだ理由って……つまり、そういうことだよね?」
「晶ちゃんが下手くそなサプライズを用意したのも、そういうことよ」
麗美は、自身が恋愛面に鈍いという自覚があった。
それでも、晶と姫奈の揉め事は理解できた。それぐらい、わかりやすかった。
「前からそんな予感はしてたけど……ビックリしたなぁ」
麗美は落ち着いたところで、自動車を走らせた。
「ていうか、このしょーもないすれ違いがすっごい歯がゆい。安っぽいメロドラマ観せられてるような感じが、たまらなくイライラするね」
「仕方ないでしょ。相手は高校生なんだから。晶ちゃんも、愛生さんからしてみれば年下だったんだし……。自分が年下相手に大人になれないのよ」
結月の言葉に、麗美は納得した。
かつての晶と一栄愛生のことは詳しくは知らないが、晶のことだから甘えていたのだと思った。
「児童淫行罪」
隣の助手席で、結月がぽつりと漏らした。
その言葉に、麗美は思わずハンドルを大きく切りそうになった。
「結月サン! お願いだからやめて! 怖いこと言わないで! 淫らな行為やったのか、分からないから!」
「どう考えてもやってるでしょ」
「そうだとしても、互いの同意があれば、たぶんセーフだから!」
「よくわからないけど、それってちゃんと付き合っていれば、の話でしょ? 現在もし姫奈ちゃんが訴えでもしたら、晶ちゃんどうなるのかしらね」
元RAYの天羽晶、女子高生への淫行で逮捕。
晶が生存していたことが発覚する以上のニュースになり、また事務所への打撃も計り知れないと麗美は恐れた。
とても笑えない話だが、現在のままでは起こり得る可能性がゼロでは無かった。
「仕方ない……。明日にでも、姫奈ちゃんの方もあたってみるよ」
晶が子供のように意地を張っている以上、姫奈には可愛そうだが――姫奈の方から動いて貰おうと、麗美は考えた。
「結月も……店出る時のアシスト、ありがとうね」
助手席の結月を、一度だけチラリと見た。
相変わらず、眠たげな瞳で前方を眺めていた。
「何のことかしら。私はね、麗美ちゃん……あなたがどんなクリスマスのお祝いをしてくれるのか、現在から楽しみなのよ?」
「ううっ」
「言っておくけど、忙しいのは言い訳にはならないからね?」
「承知致しました……」
こちらもまた、無事にクリスマスを――いや、仕事を含め無事に年を越せるのか、麗美は不安だった。




