第62話
十一月になり、柳瀬結月が出演する映画の撮影が開始した。
マネージャーの林藤麗美は、スタジオの隅で撮影風景を眺めていた。マンションの一室を模したセットが置かれていた。
内容自体はよくある恋愛映画だと麗美は思っていた。
結月は主人公の女性の同僚OL役であり、助演という位置づけとなる。
「えー。あいつはありえないっしょ! ほら、あんたならもっと良いの狙えるって!」
ただし、明るい性格で頼りになるという設定だった。
結月はとても生き生きした表情で、あくまでも自然な演技で、普段では絶対に口にしないであろう台詞を言っていた。
ライトブラウンのショートヘアーのウィッグを被っていることもあり、麗美の目には別人のように見えた。
演技力に圧倒されながらも、何か違和感があった。
――結月自身に自覚あるのか分からんが、演技してる時は分かりやすい癖がある。
以前、天羽晶がこう言っていたからこそ、麗美には違和感となった。それがその癖だと分かった。
そうか、瞬きなんだ……。
演技を行っている時は普段に比べ、瞬きの回数が明らかに少なかった。不規則だが、瞳を十秒以上見開いていることが何度もあった。
おそらく、結月本人に自覚は無い。麗美は伝えるべきか悩んでいると――
「結月さん、今日も絶好調ね」
「これはこれはプロデューサー。お世話になっております」
近づいてきたひとりの女性に、麗美は姿勢を正して頭を下げた。
オーディションという形式ではなく、本件のオファーを麗美に直接与えてくれたプロデューサーだった。
「これからは女優一本でやっていけば? 海外からも評価されると思うわよ」
「いやー。まだまだキャリアが足りませんよ。この現場でも、勉強させて頂いてます。それに、外国語は全然喋れませんしね」
麗美は苦笑しながら答えた。
確かに、結月は女優としての経験はまだ浅い。
しかし、麗美には充分すぎる貫禄が備わっているように見えていた。現に、今日も結月は撮影で失敗していなかった。
それを踏まえての謙遜だった。
「次の映画の企画、結月さん主演で考えてもいいかしら?」
「有り難いお話なんですが……。結月はどうも恋愛が絡む役はやりたがらないんで、それ以外でならお引き受けしますよ。今回もご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」
「それはいいんだけど……。残念ね」
オファーを貰った当初は、結月の役にも恋人が居た。しかし、結月がそれを不服とし子供のように駄々をこねたので、仕方なく制作陣に調整して貰った。
既に決定していた恋人役は降板となり、台本も書き直す運びとなった。結果、撮影スケジュールが後ろに押したため、麗美としてはこうして関係者と顔を合わせづらかった。
本来なら現在貰った話は断れない立場だったが、この一件があったので正直に話した。
「麗美さん。あなたも一緒に出演なされたら、結月さんも考えてくれるんじゃなくて?」
「私はもう、現役から退いた身ですよ。それに、芝居なんて柄でも無いです」
「そう? これだけ美しければ、画面に映るだけでも価値はあるものよ?」
「あははは……。ありがとうございます」
苦手な人だなと居心地の悪さを感じながら、麗美は苦笑した。
悪態のひとつでもつきたいところだったが、相手は仕事として価値のある人間だったので我慢した。
「天羽晶さん。不幸があったけど、生きているうちに女優の仕事やって貰いたかったのが、現在でも後悔しているわ」
「晶ですか? 私と同じで、演技はさっぱりだったと思いますけど」
「いいえ。彼女こそ、演技なんて要らないの。欲しいのは、あの存在感よ」
「そうですね……。あそこまでの雰囲気を出せる人間は、滅多に居ませんもんね」
晶の名前が、麗美の感傷に触れた。遠くを見るような目で、俯いた。
このプロデューサーの言いたい事が、麗美には痛いぐらいに分かった。
立っているだけで自然と周囲の視線を惹きつける――そのようなタレントは麗美の知る限り、後にも先にもたったひとりだった。
「もう昔の夢だけど……RAYの三人で映画を撮りたかったのよ。何度もオファーしたんだけどね……あの時のマネージャーさんに全部反対されたわ……」
RAYはアイドルとしてのイメージ保守のため、映画やドラマ、バラエティー番組の出演は厳禁だった。
それは事務所の方針であり――当時の役員に提言と説得をしたのは一栄愛生だった。
当時の三人に不満はあれど、現在の麗美はそれが間違いではなかったと思っていた。
「あの時は、それが正解だったんですよ……。彼女は優秀だったんだと思います。同じマネージャーとして、私の憧れです」
こればかりは、麗美は愛生の肩を持ちたかった。
顔を上げ、誇らしげな笑みを浮かべた。
「ほら! 悩んでないで、自分に正直に生きなさいよ!」
遠くのセットから、結月の台詞が聞こえた。
*
その日の夜。ベッドの中で、麗美は結月に念のため確かめた。
「もしも主演映画の企画がホントにきたらさ、引き受ける気ある?」
「なに? あのババアとそんな話してたの? 麗美ちゃんにベタベタして、目障りだったわ」
「あー、見てたんだ。結月の気持ちは分かるんだけど、まだ揉めたくないから我慢してね」
結月はぼんやりとした瞳と口調だったが、腹を立てているようだった。
よく余所見する余裕があったなと思いながら、麗美は苦笑した。
「麗美ちゃんが決めなさいよ。麗美ちゃんがやれと言うならやるし、やるなと言うならやらない」
そうは言っても、恋愛モノはご法度じゃん……。
麗美は返事を濁す代わりに、結月の頭を撫でた。
「麗美ちゃんが望むものは、何だってあげるわ。事務所のために、いくらでもお金を稼いであげる。――私を愛してくれるならね」
ベッドの中で抱きついてきた結月を、麗美は片腕で抱き寄せた。
「ありがとう、結月。ここ最近は特に無理させて、悪かったね。でも、もう少しで一段落つきそうだから、そろそろ結月が本当にやりたいこと――結月の望むキャリアを考えようか?」
事務所の養成所に力を入れた甲斐あり、最低限送り出せる新人タレントがいくつか育った。あとは彼女達に経験を積ませるだけだった。
結月はエースとして、RAY解散後の事務所の保守を立派に果たした。切り捨てるわけではないが、現在までのように酷使しなくても済みそうだった。
「自分自身のキャリアなんて、どうだっていいわ。明日もし世間から名前を忘れられても、後悔は無いでしょうね」
麗美は、見上げた結月のぼんやりとした瞳が、約五秒間隔で瞬きしているのを数えた。
「それは流石に寂しいよ。私は結月の歌、好きだけどなぁ。多くの人に聞いて貰いたい」
「歌? 歌でいいなら、いくらでも歌ってあげるわ」
馬乗りになった結月から、仰向けの麗美は頬を両手で覆われた。
暗い天井を背に、結月の恍惚した表情が見えた。
「月はね、太陽の光を浴びて輝いているのよ。麗美ちゃんが望むなら、求めるなら、私はそれだけ輝けるわ。全ては麗美ちゃん次第よ? 麗美ちゃんのためよ? 麗美ちゃんが喜んでくれるなら、私はそれで幸せ……」
心なしか、ぼんやりとした瞳が見開いている時間が長いように感じた。
結月の顔が近づき、キスをされたから――正確には数えられなかった。
私が結月に望むものは何なのだろう。
麗美はすぐに浮かばなかったので、今一度考えた。
「それに……『あっち』も協力してあげる。私が麗美ちゃんを支えるわ。終わらせましょう、私達ふたりで」
しかし、耳元でそっと囁かれ、思考は中断した。
「ありがとう……」
麗美は結月を両腕で抱きしめた。
そう。『この件』では、ずっとひとりで走っているような感覚だった。
孤独を感じていた中で、腕の中の存在はとても頼りになった。
それだけの理由で、麗美は結月を欲した。ずっと側に居たのに、気づかなかった。
しかし、それを愛情と呼んでいいのか――麗美には分からなかった。




