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胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
第23章『橙色』
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第61話

 十二月二十四日、金曜日。

 その日はクリスマスであり、姫奈の高校の二学期最終日でもあった。

 姫奈は登校するも、終業式を終え午前のうちに帰宅した。

 昼食を摂る気分になれず、学生服のまま自室のベッドに倒れ込んだ。


 特に予定の無いまま、冬休みに突入した。

 アルバイトを無断欠勤したまま、もう二週間近くになる。


 ――現在はまだ笑っていられるけど、このまま放っておいたら、取り返しのつかないことになるよ?


 根拠は分からないが、そろそろ取り返しのつかない時間になる予感が、姫奈にはあった。

 一度だけ携帯電話の待受画面を見るが、誰からの着信やメッセージアプリの受信も無かった。

 音信不通のまま、天羽晶との関係が自然消滅してしまう。この現実が姿を見せようとしていた。


 晶さんに――好きな人に会いたい。

 でも、会いたくない。

 会うことが怖い。

 わたしが移転の話を拒み、怒らせたのだから。


 姫奈はそんなことをぼんやりと思いながら、部屋の隅にあるショップバッグを見た。

 あのマフラーを購入した当時は、晶の喜ぶ顔が浮かんでいた。今年は楽しいクリスマスになると思っていた。

 本来なら、今日手渡すはずだった。


「……」


 渡せないプレゼントを見ると、嫌な気分になった。

 現実から逃げるように、目を瞑った。思考も遠退いた。


 寝ているのか起きているのか、姫奈自身わからなかった。

 うとうとした頭を、ここ最近の出来事が走馬灯のように駆け巡った。

 晶に誕生日を祝って貰ったこと。晶とキスしたこと。晶と身体を重ねたこと。

 そして、晶に空きテナントに連れられたこと。


 ――でも、いいサプライズだっただろ?


「全然良くないですよ。なにがサプライズですか……。そんなの、嬉しくありません……」


 店の大事な話を何の相談もなくひとりで進めたことが、許せなかった。

 他にどんな選択肢があったのか分からないが、せめて一緒に空きテナントを見て回りたかった。バリスタからの視点で、何か意見できる事があったかもしれない。


 ――むしろ、姫奈ちゃんこそ怒ってないの? 晶に。


「怒ってるに決まってるじゃないですか!」


 姫奈は目を開けると、身体を起こした。

 髪はボサボサに乱れていたが、整えなかった。学生服のままコートを羽織り、マフラーを雑に巻いた。

 そして晶へのクリスマスプレゼントを持つと、部屋を出た。


 晶に会うことは確かに怖かった。

 しかし現在は、それよりも怒りが勝っていた。

 もし、晶との関係が終わるとしても――最後に一言でも文句を言わないと、姫奈は気が済まなかった。



   *



 モノレールに乗り、姫奈はEPITAPHに向かった。

 しかし、店はシャッターは降りていた。

 携帯電話を取り出すと、時刻は午後四時過ぎだった。そのまま晶に電話をかけようかと思ったが、携帯電話を仕舞った。


 ある予感がした。

 姫奈は、店の近くの客船ターミナルの広場に向かった。


 海の向こうに陽が沈もうとしていた。

 相変わらず人気の無い広場は、橙色に染められていた。

 広場の所々にある風車のオブジェが、長い影を作っていた。

 風と波の音が聞こえていた。


 その中で――海辺に面した柵にもたれ掛かり、白色のダウンジャケットとオリーブ色のフレアスカートに身を包んだ天羽晶が、煙草を吸っていた。


 姫奈はショップバッグの手提げ紐をぎゅっと握ると、緩やかな段差状の広場を降り、晶に近づいた。

 晶は姫奈の気配に気がつき、顔を上げた。姫奈の姿を確かめると一度だけ眉が動いたが、つまらなさそうなものを見るような瞳を姫奈に向けた。


 橙色の広場と気だるそうな隻眼、そして煙草の匂いは、初めて出会った時のことを姫奈に思い出させた。

 だが、あの春の日と違い、現在は冷たい潮風が髪を撫でた。


「よう。もう来ないと思ってた」

「……」


 姫奈は下唇を噛みながら、晶を睨むようにじっと見つめた。


「なあ。これだけは教えてくれ。――どうしてお前は、店の移転に反対だったんだ?」

「晶さんのことが好きだからですよ! お店が大きくなって他にもバイトを雇ったら、きっと嫉妬するからです!」


 姫奈はずっと言えなかった言葉を、ずっと伝えられなかった気持ちを、力強く叫んだ。

 恐怖は有った。後悔は無かった。

 しかし、何よりも心が楽になった開放感が大きかった。


「だからって、店を大きくするには他にもバイトが必要だろ? どうするんだ?」


 告白が伝わったはずだが、晶の表情に変化は無かった。


 ――姫奈ちゃんは店を今後どうしていきたいのか、意見を言った方がいいね。


 麗美に言われてから、姫奈なりに考えていた。ただ棄却するだけでなく、代替案を用意していた。


「あと二年……わたしが高校を卒業するまで、移転は待ってくれませんか? 卒業したら、朝から晩まで晶さんとどこでだって働きますから」


 晶と終始ふたりきりで大きな店を回すことは不可能だと理解していた。他のアルバイトの雇用は仕方ないと割り切った。

 彼女達と晶を交えての仕事は、まだ耐えられる。

 しかし、その中に自分が居なければきっと嫉妬すると姫奈は考えた。たとえば、学校に通っている日中等。


「お前――それでいいのか?」


 晶の隻眼が大きく見開いた。息を飲むように、静かに驚いていた。

 姫奈の回答が何を意味するのか、理解したようだった。


「はい。わたしの決めたことです。わたしはこれからもずっと、晶さんと一緒に居たいです……」


 姫奈は決意を改めるように、しっかりと頷いた。

 これが、澄川姫奈の選択だった。


「わかった。移転はお前の卒業まで待ってやる。あと二年、お前のために赤字を垂れ流してやる」


 その気持ちを晶は汲み取ったのか――複雑そうな表情のあと、ニカッと笑った。

 久々に晶の笑顔を見ると、姫奈の緊張感が緩んだ。泣き出したいぐらいの嬉しさが、込み上げた。


「お前の気持ちは、なんとなく分かってたよ……。それを知りながら、私はお前が何を思うのか考えずに行動した」


 晶は柵から身体を起こし、煙草を携帯灰皿に仕舞った。


「怒鳴ったりもして、悪かったな。本当にすまなかった」


 そして、姫奈の正面に向き合うと、真摯な態度で謝罪した。


「そうですよ! そっちはわたしに、他の店にバイトに行くなって言っておいて!」


 姫奈は、ここに来るまでの気持ちを思い出した。

 自分と晶、それぞれ互いに非はあった。晶もそれを認めたので、姫奈は喚くものの溜飲は下がった。


「……怒ってくれて、ありがとうな」


 そんな姫奈の様子に、晶はおかしそうに笑った。


「私はお前に、確かに愛生(あいつ)の影を重ねていたよ。でも、こうしてケンカして思ったんだ。お前はあいつじゃない……あくまでも別人だって」


 空きテナントでの怒りの感情を抱え込んだ理由は、姫奈自身にも分からない。

 ある人物を真似て全肯定を意識したことは、確かにあった。


「私がここで出会ったのは……支えられて、必要としてきたのは……一栄愛生じゃなくて澄川姫奈だったんだ。だからもう、無理しないでくれ。私に怒ってもいい。あるがままのお前で居てくれ」


 そう。晶からの愛情を受け取るために、現在は亡きかつての恋人の上辺を借りていた。

 しかし、それをもう止めるよう晶から言われ、姫奈は救われた気がした。

 ようやく別人として見て貰えた。


「それを踏まえて――これが私の気持ちだ。お前へのクリスマスプレゼントだ」


 晶はダウンジャケットのポケットから、明るい緑色の箱を取り出した。

 それはどうやら化粧箱のようで、中には黒色の箱が入っていた。

 さらにその中には――ふたつの指輪が入っていた。色違いの、同じデザインのものだった。姫奈は知らないが、シルバーゴールドとローズゴールドと呼ばれる色だった。


 誕生日に指輪を強請ったことを思い出した。

 そして、このペアリングが何を意味するのか、晶の気持ちがどういうものなのか――姫奈は理解した。


「晶さん……」


 姫奈は息を詰まらせ、両手で口を覆った。

 瞳の奥が熱かった。頭がどうにかなりそうなほど嬉しかった。


「ダメです。ちゃんと言ってください。晶さんの気持ちを、わたしに聞かせてください」


 なんとか冷静になり、姫奈は笑顔を向けた。


「失恋にはまだ時間がかかると思う……。それでも私は、お前のことが好きだ」


 晶は照れくさそうに一度は視線を伏せるが、姫奈の顔を見上げてはっきりと言葉を紡いだ。

 そして姫奈の右手を取り、薬指にローズゴールドの指輪を嵌めた。


「お前の手の大きさ、うろ覚えだったからな。合わなくても、文句は言うなよ?」

「少し大きいですけど、落ちはしません。これも良い思い出になりますよ」


 姫奈は軽く右手を振ってみるが、第二関節から指輪が外れることはなかった。

 シンプルなデザインのものだった。どれも意味は分からないが、三桁と四桁の数字に挟まれ、英字も掘られていた。


 寒空の下、金属の冷たい感触が――姫奈にはとても温かかった。


 姫奈もまた、シルバーゴールドの指輪を手に取り、晶の右手薬指に嵌めた。

 お互いに指輪を見せ、笑いあった。

 とても綺麗に輝いていた。


「これは、わたしからのクリスマスプレゼントです。チクチクしないと思います」


 姫奈もまた――ショップバッグからロイヤルブルーのマフラーを取り出し、晶の首の巻きつけた。


「ああ。暖かいな……」


 晶はマフラーを触りながら微笑んだ。

 やはり、晶に似合っていた。


「やっぱり私には、お前が必要なんだ……。すまなかった。もう私の前から消えないでくれ……」


 堪えていたのか、感極まった様子で、晶の左目から涙がボロボロと溢れた。

 姫奈は、俯く晶の涙を指先で拭い、正面から抱きしめた。そして、キスをした。

 晶の小柄な身体も、確かな温もりも、唇の柔らかさも――久々に味わった感触で、心がじんわりと満たされた。

 澄川姫奈として、初めて満たされた。


「わたしは晶さんの側に居ます。これからも、よろしくお願いしますね」

「私の方こそな」


 泣きながら笑顔を浮かべている晶に微笑むと、互いの額を軽く当てた。


 こうして、姫奈は晶への想いが届いた。報われた。

 結果として、最高のクリスマスとなった。

 この時の幸せな気持ちを、姫奈はこれからも決して忘れなかった。



   *



 澄川姫奈が知るのは翌日になるが、EPITAPHには五本目のハーバリウムが在った。

 数日前、天羽晶が購入してきたものだった。

 テーブル席の、黄色いハーバリウムの隣に並べられていた。


 ふたつは似た色だが、確かに違った。

 紫陽花、ローズ、プルメリア。ボトルに詰められた花びらの、黄色ではなく赤みがかっていたその色は――

(第3クォーター終了です)

https://twitter.com/m_hitsujida/status/1431590641612451840


次回 第24章『太陽と月(後)』

正月。麗美は過労から体調を崩し、寝込んでいた。

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― 新着の感想 ―
[一言] \( 'ω')/エンダァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!! いとをかし。あはれ。
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