第52話(後)
最上階の踊り場を超え、校舎の屋上へと出た。
自分達以外の他に誰も居ないことを確認すると、姫奈は外側から扉の鍵をかけた。
「何か勘違いしてません? うちの文化祭はコスプレ会場でもないんですけど……」
怒鳴りたいところだったが、気疲れがひどかった。重い頭痛に襲われたかのように、頭を抱えた。
「その格好で言っても、説得力無いよ」
「これは仕方ないんです! わたしだって、好きで着てるわけじゃないですよ!」
「眼鏡のせいかしら。コスプレ感が強いわよね」
「いや、単純に衣装が安っぽすぎる」
嫌々着ている身でありながら駄目出しをされ、姫奈は自身の死体を蹴られているような感覚に陥った。
「大体、結月さんのその格好は何ですか!? 変装のつもりでも、適当すぎでしょ!」
「……一周回って、逆にアリかなって」
「何周回っても絶対にナシです!」
割烹着姿の結月に対し――三人の中で一番指摘したかったことを言え、姫奈は少しだけスッキリした。
「騒ぎだけは起こしたくなかったのに……逆に目立ってどうするんですか」
呆れるように言いながら、麗美を見た。
三人の中で一番の常識人だと思っていた。しかし、ヘラヘラとした様子は、ふたりと同様に楽しんでいる様子だった。
「まあまあ。これでもガラッとイメージ変えたつもりだから。案外バレないよ」
「それにね……私達、高校というところに一度来てみたかったのよ」
晶と同じことを言っているなと、姫奈は思った。
通っていない身だと、その歳で憧れるのだろうか? 現役高校生の姫奈には、理解出来なかった。
「晶ちゃんみたいに制服コスの方がよかったかしら?」
「たぶん全然着れると思いますが、それだけは本当に勘弁してください」
制服姿の三人組だと、間違いなく大騒ぎになっていた。これでも最悪の事態だけは回避したのだと思った。
「こうして四人で高校に通っていたなら、それはそれで楽しかっただろうな……」
晶は微笑みながら、ぽつりと漏らした。
ふたりも同意見なのか、笑って見せた。
姫奈にしてみれば、三人とは十も歳が離れているので、それは絶対にあり得ない話だった。
しかし、もしもこんな先輩達が居ると学校生活がより楽しいだろうなと、想像できた。そういうカタチも悪くないと思った。
「まあ、文化祭のワイワイした感じも伝わったし、私と結月はこれでおさらばするよ。晶はひとりで帰れるね?」
「ああ。わざわざすまなかったな」
麗美と結月は手を振り、この場を去った。
姫奈は屋上で、晶とふたりきりになった。
少し肌寒いが遠くからの日差しは届き、清々しく晴れた秋空が広がっていた。
「どうして午後から来たんですか?」
「ん? お前が午後から来いって言ったろ?」
「ああ、そうでした……。信じてたんですね」
決して疑わない純真無垢な人間だったと、思い出した。
信じて貰えたことが嬉しい反面、騙したことに今更ながら罪悪感が芽生えた。
「すいません。これを見られたくなかったんで、嘘つきました。せっかく来てくれたのに、そろそろ戻らなくちゃいけません」
持ち場を離れて、しばらく経つ。クラスメイトが怒っている頃だろうと思った。
「うちのクラスに来てくださいよ。コーヒーでよければご馳走しますよ」
「待て――」
姫奈は扉に向かおうとしたところ、晶から腕を掴まれた。
「その……可愛いぞ」
振り返ると、晶はぼんやりとした隻眼で見上げていた。
少しだけ照れているのだと、姫奈は思った。
滅多に見ることのない格好でもあることから、その仕草から胸を撃ち抜かれたような衝撃に襲われた。
思わず、正面から晶を抱きしめた。
「晶さんこそ、すっごく可愛いです……」
腕の中の小柄な身体を――確かな温もりを、全身で感じていた。
ただ、可愛くて愛おしかった。
だから、それを求めることは自然な衝動だった。
「晶さん……」
姫奈は晶の唇に自分のをそっと重ね、キスをした。
晶は何も言わずに応えてくれた。
以前は、キスの練習だと嘘をついた。これはどう言い訳をしようかと思ったが――ぼんやりとした頭では、もし晶から何か言われたら考えようと、投げやりだった。
「……」
唇と共に晶を離した。
晶は頬を赤らめながら、黙って俯いていた。
パーカーのフードに付いた猫耳が、なんだか垂れ下がっているように姫奈には見えた。
「い、行きましょうか」
「そうだな……」
姫奈は晶の腕を引き、屋上から自分の教室へと向かった。
*
「ねえ。あの人、澄川さんの知り合い?」
姫奈は教室のキッチンスペースでコーヒーを淹れていると、クラスメイトから小声で訊ねられた。
彼女の視線の先――窓際の席で、晶が脚を組んで座っていた。
どこか物憂げな雰囲気は、それだけで絵になっていた。
「うん。中学の時の先輩」
姫奈は晶を、アルバイト先の店主だとは紹介したくなかった。
とても二十五歳には見えないので、晶には悪いが同年代として扱った。
「へー。でも、このへんの制服じゃないよね?」
「遠くの学校だからね」
「てかさ、私のこと紹介してよ」
「それはダメ」
どこか興奮気味のクラスメイトを、姫奈はふたつ返事で片付けた。
そして、袋からチョコレートを三つ取り出すと、ソーサーに添えた。
「ごめん。これ、わたしが持っていくね」
接客班のクラスメイトを差し置き、姫奈はトレイに乗せたコーヒーを晶の席まで運んだ。
「ご注文のコーヒーでございます、お嬢様」
自分らしくないなと思いつつも、芝居がかった言動でコーヒーを差し出した。
テーブルまでソーサーを運んだ左腕――袖に隠していた腕時計が見えたのか、晶に袖をめくられた。
手首に着けていた腕時計を確認すると、晶は顔を上げて一度だけ微笑んだ。
「ああ。ご苦労」
とても些細なやり取りだった。
しかし、このくだらない催し物をやってよかったと、姫奈はこの瞬間に初めて思った。
「ところで……この百円のオプションメニューは何だ?」
メニューを持った晶から訊ねられた。
姫奈は黙って逃げたが、すぐに晶からオプションメニューの注文が入ったので、クラスメイト達から無理やり連れて行かれた。
次回 第21章『たったひとつの手段』
姫奈は、晶がひとりで実生活を送れていることに気づく。その変化が嬉しい反面、戸惑いもあった。




