第51話
土曜日になり、姫奈はようやくアルバイト先に顔を出すことが出来た。
『すまない。昼まで寝たいから、午前中は任せた』
昨晩、晶からこのメッセージを受け取っていた。今週はひとりで店を回していたのだから疲れているのだろうと、姫奈は許した。
自分ひとりでも、ここ最近の憂鬱な気持ちをリフレッシュしたいと思いながら、朝から張り切った。
十一月の朝は肌寒かった。店を開け、藍色と薄紫色のリンドウの花鉢を店前に並べた。
「あら、お姉さん。お久しぶりね」
早速、本を片手にひとりの常連客が訪れた。
おそらく晶と同じマンションに住んでいるであろう、上品そうな年配の女性だった。
「ご無沙汰しています。ちょっと最近、本業の方が立て込んでいまして……」
「本業って……大学の勉強は大変よね。単位落とさないように、頑張りなさい」
「え――は、はい」
大学生だと勘違いされていることに悪い気がしなかったので、姫奈は苦笑して頷いた。
「ところで、後ろのそれは何? 以前から気になって」
女性はキッチンに置かれたエスプレッソマシンを訊ねた。
「これは、カフェラテやカプチーノを作る機械ですよ。まだ修行中ですので、もうしばらくお待ちください」
「まあ。それは楽しみにしているわ」
姫奈はそう言うが、設置してから数えるほどしか触っていなかった。まだ手応えが今ひとつなので、本当に近日中にメニューが増やせるのか不安だった。
「近くに本格的なカフェが出来て、嬉しいわ。コーヒーも美味しいし、雰囲気も良いものね」
「ありがとうございます! 頑張ります!」
客から称賛の声を聞くことが出来て、嬉しかった。
不安な気持ちを払拭するように、姫奈は力強く頷いた。
まだエスプレッソ関連はメニューに加えられないが、客からの感想を直に聞くと励みになった。ここまでの店の成長を実感させ、それは姫奈の自信へと繋がった。
「おはようさん。すまなかったな、ひとりで任せて」
「晶さん。お疲れさまです」
宣言通り、午後から晶が顔を出した。
疲れが溜まっているのか、それとも寝すぎて疲れているのか、姫奈には分からない。いつもに増して気だるげな様子だった。
しかし、久しぶりに晶の顔を見ることが出来て姫奈は嬉しかった。
「すいません。今週はずっと休みっ放しで」
「気にするな。お前はまだ学生なんだから、本分を優先しろ。本当なら試験期間もこんな感じなんだろ?」
「たぶん、そうなんでしょうね。文化祭の実行委員になったばっかりに、試験勉強より大変になりました」
姫奈自身、自分が何を言っているのか一瞬分からなかった。
特に害にならない試験期間と違い、実行委員の仕事は強制力が伴うのが厄介だった。
「文化祭か……。楽しそうじゃないか」
「そうでもないですよ。面倒なだけです」
「お前みたいに友達の居ないボッチには、そうかもな」
「ち、違います!」
スタッフルームでエプロンに着替えながら、晶はニヤニヤとして笑みを浮かべていた。
姫奈は咄嗟に否定するが――クラスにもっと馴染めていたとしてもメイド喫茶には協力的にはなれないなと、冷静に思った。
「お前のクラスは何するんだっけ?」
「えっと……。カフェですよ、カフェ。何の変哲も無い、普通なやつです」
「そりゃ、カフェは普通だろ。何か変わったカフェでもあるのか?」
「そんなの、無いに決まってるじゃないですか」
不思議そうに首を傾げている晶に、姫奈は苦笑しながら誤魔化した。
メイドカフェの件は晶には言えなかった。もし言えば、絶対にからかいに来る確信があった。
「まあ、文化祭でもカフェやるなら、確かにお前にとっては退屈かもな」
「でも、クラスの皆は素人なんで、教え甲斐はありますよ」
「ふーん……。ところで、その文化祭はちょうど一週間後だったか?」
「はい。来週の土曜です」
どうして日付の確認をするんだろう。姫奈は嫌な予感がした。
「……もしかして、来るつもりですか?」
「うーん。どうするかなぁ。高校に行ってない人間からしてみれば、今更ながら遊びに行きたい気持ちもあるんだが……」
率直に訊ねたところ、晶は悩んでいる様子だった。
「というか、私が行ったらいけないのか?」
「当たり前ですよ! もし正体バレて大騒ぎになったらどうするんですか!」
クラスの催し物を見られたくないのが一番の理由だが、姫奈はそれも危惧していた。
以前から一緒に街を歩いていても、晶が他人から声をかけられたことは一度も無い。それぐらい、髪型と医療用眼帯によるイメージチェンジが効果があるのだろう。
しかし、学生が大半を占める空間である学校では、一般人に自然と視線が集まる。それだけ危険になる可能性がある。
「確かに、それも一理あるか。逆に言えば、それさえクリアすれば行ってもいいわけだな?」
意地悪そうな笑みを浮かべた晶に、姫奈は顔を覗き込まれた。
「まあ、そうですけど……。大体、お店の方はどうするんですか?」
「別に、一日ぐらい閉めたって構わん」
「せっかくの土曜日ですよ? 繁忙日なのに勿体ないじゃないですか」
「――さっきから、気のせいか? お前、私が行くのを妙に妨げようとしてるよな?」
「そ、そんなことありません! あくまでも一般論です!」
誤魔化す流れに運びたかったが、晶から怪しまれた。
これ以上は晶の興味を引き、逆効果だと思った。
「別に、来てもいいですけど……わたしのクラス当番は午前ですからね。午後じゃないと、晶さんの相手を出来ませんよ?」
それは嘘だった。本当は、姫奈の当番は午後だった。
どうせ、文化祭というより従業員のクラスの催し物を見に来たいのだろうと姫奈は思い、敢えて逆の情報を教えた。晶が万が一学校に来ても、最悪メイド服姿だけは見られないように手を打った。
もっとも、晶が来ようが来まいが、当日に着るつもりは無いが。
「わかった。まあ、行けたら行く」
「その言い草だと絶対に来ませんよね?」
「さあ……どうだろうな」
晶はとぼける様子で笑った。
晶の真意が読み取ることが出来ず、姫奈は不安だった。
「あっ、そうだ。文化祭が終わってからでいいから――来週以降の日曜日に、店を任せてもいいか? ちょっと出かけたい所があるんだが」
キッチンに戻ろうとしたところ、晶に呼び止められた。
「別に、いいですけど。買い物ですか? わたしも付き合いますよ?」
「買い物とはちょっと違うな……。いずれお前にも話すから、まずは私ひとりで行かせてくれ」
「はい。わかりました」
無邪気にニコッと笑う晶が、何かを企む小さな子供のように姫奈には見えた。
現在はまだ釈然としない。だが、決して悪い意味で隠しているわけではなさそうなので、深追いは止めておいた。




