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胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
第19章『誕生日プレゼント』
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第49話(前)

 十月二十二日、金曜日。この日、澄川姫奈は十六歳になった。

 いつもは特に意識していなかったが、今年は朝から浮足立っていた。


 学校では、どのクラスメイトからも誕生日を祝われなかった。彼女達は知らないし、彼女達に教えていないし、当然だった。

 姫奈にとっても、それはどうでもよかった。

 頭の中は晶のことでいっぱいだったが――日中、携帯電話のメッセージアプリが何かを受信することは無かった。

 少しだけ不安になりながら、放課後を迎えた。


 EPITAPHへアルバイトに向かうと、シャッターは上がっているが、扉には『closed』の札がぶら下がっていた。

 まだ閉めるには早いのにと思いながら、姫奈は扉を開けた。


「おお、姫奈。ちょうどよかった」


 店に入るとすぐ、晶がキッチンから顔を覗かせた。隻眼は、まるで子供のように輝いていた。


「こっちに来てみろ。ついさっき業者が来て、設置して貰ったところだ」

「わぁ……」


 キッチンまで行かずとも、カウンター席からキッチン内のエスプレッソマシンが見えた。見慣れたキッチンに昨日まで無かったものであり、存在感が妙に強かった。

 この設置のために店を閉めていたのだと、姫奈は理解した。


「ていうか、めちゃめちゃ大きいですね」


 カタログでの製品仕様で大きさは事前に分かっていたが、いざ置くとなお大きく見えた。


「すいません。もうちょっとデザインも考慮すべきでしたね」

「それは二の次でいい。使用感が最優先だ」


 晶からなだめられた。しかし、白を基調とした温かな雰囲気の店内に対し、無機質感溢れるアンティーク調の大きな機械は、明らかに浮いていた。

 とはいえ今さらどうにもならないので、だんだんと風景に馴染むのを願った。


「おい。お前が最初に触ってみろ。私はまだ何も触ってないからな」


 晶は無邪気にニカッと笑った。


「そう言われても……。わたしだってまださっぱり分からないんですから、ちょっと待ってください」


 姫奈はキッチンカウンターに置かれたマニュアルを読みながら、まずはマシンの電源を入れた。

 水温と圧力を高めている間、電動ミルでコーヒー豆を細挽きで挽いた。そして、ポルタフィルターにコーヒー粉を詰め、圧をかけ、表面を均してマシンにセットした。


「いきます」


 ふたつのカップをセットし、抽出ボタンを押した。

 加圧で抽出された黒い液体は、見た目も匂いもハンドドリップより明らかに濃いものであった。これがエスプレッソなのだと実感した。

 約三十秒後、手動でボタンを止めた。


「とりあえず、まずはこれを飲んでみましょうか」

「……とても飲めたもんじゃないな。胃がやられそうだ」


 ふたりで一口ずつ飲んでみた。好みの問題もあるが、あまりの苦さにお互い顔をしかめた。

 次に、姫奈はスチームドミルクとフォームドミルクを順に作った。

 スチームノズルから出る蒸気の勢いと音に姫奈は驚いたが、なんとかミルクピッチャーを掴んで離さなかった。

 あらかじめ知識を仕入れておいたとはいえ、温度管理も出来ていなければ、泡の状態も思ったようにはならなかった。


「カフェラテを作ったつもりですが、もしかしたらカプチーノになったのかもしれません。というか、なんかよくわからないものです」


 簡単なラテアートを描く知識もあったが、泡がきめ細かくなかったので諦めた。

 エスプレッソにミルクを足したカップを、晶に渡した。


「いやいや……なんだよ、それ」

「思いの外ミルクが出来上がったんで、比率が無茶苦茶なんですよ。やっぱり、手動は難しいですね」


 初めてのカフェラテ作りは失敗した。飲んでみると味は想定していたものに近いが、種類としてはやはり定義から外れていると思った。

 エスプレッソの工程も含め、想像していたより遥かに難しかった。

 カタログに載っていた全自動型を、ぼんやりと思い出した。現在になり、なんだか羨ましくなった。しかし――


「でも、頑張ります! メニューに加えるのは、もうちょっと待ってください」


 様々な要素が織り成す工程だと実感した。それだけ奥深いと思った。

 諦めずに追求して、美味しいものを淹れたかった。落ち込む気持ちは微塵も無かった。


「何事も、初めはそんなもんだ。でも、味は悪くないぞ? 焦らなくていいから、お前のペースで完成品(もの)にしてくれ」

「はい!」


 晶からそう言われ、この失敗から改めて救われたような気がした。


「それと、遅くなったが……誕生日、おめでとう」


 晶は優しく微笑んだ。

 今日一日、姫奈はずっとその言葉を聞きたかった。

 昼間の不安を思い出すが、もうどうでもよかった。


「ありがとうございます! 立派なプレゼントですね!」

「……いやいや。これはお前のオモチャじゃないんだが」

「最初に触らせてくれたのが、すっごく嬉しいですよ」


 設置日が今日なのは、晶が指定したのか、それとも偶然なのか。

 どちらか分からないが、この初めての経験が姫奈に『特別』な感じを与えたのは事実だった。

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