第45話
店を閉め、姫奈は片付けと翌日の準備をしていた。
この水出しアイスコーヒーの仕込みはもうすぐ終わりだと思っていた。
「やっぱり、来月になっても水出しアイスコーヒー作ってくれ」
晶からその提案があったのは、十月が目前に迫っている時だった。
水出しアイスコーヒーは今月いっぱいまでと以前決めていたことを、撤回した。
「今年は思ってたよりもまだ暑い。この感じだと、売れそうだ」
「はぁ……」
晶の言う通り、今年は未だに残暑が厳しかった。
確かに昼間は汗ばむぐらいだが、朝晩は割と涼しかった。
「豆はまだあるか?」
「スッカラカンじゃないですけど、正直あと僅かです……。十日分ぐらい発注しておきましょうか?」
「ああ。とりあえず、それぐらい頼む」
「わかりました……」
姫奈は頷くが、納得しているわけではなかった。
十月は暦上では秋だと思った。学生服の衣替えだってある。
そんな中、この店は夏気分でいいのだろうか?
まだ扉に風鈴を飾っていていいのだろうか? 『水出しアイスコーヒーあります』と書いたメッセージボードを、まだ表に置いていいのだろうか?
あまりにも季節外れで格好悪いのではないだろうか?
そうした疑問が浮かぶが――姫奈は口にしなかった。
たかがアルバイト風情が、経営方針に口を挟んではいけない。ここはあくまでも『晶の店』なのだから。
姫奈は、自分にそう言い聞かせた。
「まだ一日三本でいいんですか?」
その代わり、ボトルの数を確認した。
現在でこそ順調よく毎日三本分が完売しているが、来月以降もこのペースが続くとは思わなかった。
姫奈としては、せめて減らす方向で進めたかった。
「ああ。三本で構わないぞ」
しかし、晶の意見は姫奈と違った。
「どうした? 大丈夫か? 豆が無理そうなら言えよ?」
戸惑う部分が表情に出ていたんだろうかと、姫奈は思った。
――全肯定って言うのかな? 否定もしないし怒りもしなかったのが、印象的。
「はい。大丈夫です。任せてください」
心配そうにしている晶に、姫奈は微笑んだ。
あの人なら、きっとこうしている――
経営者のセンスを信じるより先に、この行動原理が働いていた。
雰囲気や上辺だけではない。一栄愛生の内側まで真似ることを、姫奈は選んだのであった。
「今年これだけ暑いと、冬の寒さマシになるといいですね」
「どうだろうな。毎年そんな感じだが、結局は物凄く冷えてる気がする。あんまり期待はするな」
「そうですね」
もうこの世に居ないのだから、真似たところで本人に迷惑はかからない。
そう。姫奈は手段を選んでいられなかった。
晶が愛生をどう思っているのか分からない以上、この想いが晶に届く『自信』が無かった。
だから、晶が持っている愛生の面影を求めた。それを自分の姿に、自然に上書きしようと思った。
そこまでして、晶の最愛の人になりたかったのだ。
晶さんのことが、好きだから――
カウンターテーブルには赤、白、青のハーバリウムが飾られていた。
テーブル席にある四本目――黄色のハーバリウムが、視界に入っていた。
次回 第18章『最低な宴』
麗美に腹を立てた結月が、ひとりでEPITAPHを訪れる。結月の家出に姫奈と晶は巻き込まれる。




