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胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
第16章『二度目のキス』 【第3部】
53/113

第42話

 次の土曜日。

 姫奈は晶と午後六時までEPITAPHで働いた後、晶の部屋に向かった。


「わぁ。おっきいですね」


 以前まで何も乗っていなかったリビングのテレビ台に、大きなテレビがあった。そして、両隅に柱型のスピーカーも立っていた。


「よくわからんが、8Kテレビというやつらしい」

「へぇ。……わたしも、何の数字なのか分かりませんけど」


 凄い商品として紹介されてた気がするから、きっと凄いんだろう。姫奈の認識はその程度だった。

 晶と、携帯電話で宅配ピザのウェブサイトを眺めた。円形が四等分され四種の味が楽しめるピザ、そしてビールとコーラを注文した。

 届くのを待っている間、姫奈は地上波放送のチャンネルを適当に切り替えた。

 画面の大きさも然ることながら、スピーカーからの音を全身で受け止めているようで、とても臨場感があった。

 視界の隅――テレビ台のあるものが目に入る。煩わしいので、気にしないように努めた。


「結月さん、出てませんかね」


 バラエティー番組の出演者を確認するが、柳瀬結月の顔は無かった。

 姫奈は、結月の出演番組全てを把握しているわけではない。しかし、以前出演情報を確かめた時は、何かのバラエティー番組にも出演しているようだった。


「……あいつひとりで出演してるのを観ると、放送事故(じこ)らないか心臓に悪いんだよ」


 化粧を落とし、部屋着に着替えた晶が戻ってきた。

 そう言いながら、重く暗い表情を浮かべていた。まるで、胃が痛いと言っているようだと、姫奈は思った。


「あははは……。たまーに、さらっと爆弾発言してるみたいですからね」


 直接は観たことが無かったが、SNSで話題になっているのを目にしたことがあった。


「でもまあ、結月さん映画の出演決まって良かったじゃないですか。歌手と女優としてはピカイチですよ」

「え――そうなのか?」

「ちょっと待ってください。身内の活躍は知っておきましょうよ」


 姫奈は白状だと言わんばかりに、半眼で晶を見た。


「……そういえば、そんなこと麗美から聞いていたかもしれない。まあ、あいつにとっては何もかもが演技なんだよ」


 晶は目を泳がせながら、ベッドに腰掛けた。

 結月の映画出演は、世間で割と大きなニュースになっていた。姫奈としても芸能情報にはまだ疎い方だが、それ以上に晶が世間への関心が無さすぎると思った。


「しっかし――バラエティーに女優に、随分変わったな。昔は考えられなかった」

「晶さんだって、立派にカフェのマスターやってるじゃないですか」

「それもそうか」


 かつてのトップアイドル三人は悲劇の末、現在それぞれ別の道を歩んでいた。

 この結果を本人達がどう思っているのか、姫奈は知らない。

 しかし、姫奈としてはそのお陰で天羽晶と出会えたので、複雑な気持ちだった。


「ちなみに、晶さんは演技できるんですか?」

「どうだろうな。……そもそも、そんな仕事をあいつなら絶対に取ってこない」


 あいつって誰だろう?

 姫奈がそう疑問に思った時、インターホンが鳴った。

 ピザの宅配が来たので、玄関で受け取った。


「ピザ来ましたよ。熱いうちに食べましょうか」


 リビングのテーブルで箱を開けた。チーズとソースの香りが空腹感をくすぐった。


「食べるにしても、何観るんだよ?」

「えっとですね――これ観たいです」


 テレビリモコンに、世界的に有名な動画配信サービスのボタンがあった。サブスクリプション契約が済んでいるようで、ボタンを押すと使用できた。

 姫奈は観たい映画を事前にいくつか選んでおいた。その中から最も観たいタイトルを探した。


「えっ、これにするのか? またえらく古いの持ってきたな」


 晶が驚く通り、確かに十年以上過去に公開された作品だった。

 古さの懸念はあったが、それでも名作として評価されていたので、姫奈は気になっていた。


「晶さんは観たことあるんですか?」

「いや。有名だったから名前ぐらいは知ってる程度だ」

「それなら、ちょうどよかったです」


 姫奈は再生ボタンを押した。

 テーブルでピザを囲みながら、晶とふたりでぼんやりと鑑賞した。

 田舎からジャーナリスト志望で上京した主人公の女性が、ファッション誌の編集部で働くといった内容の海外映画だった。

 主人公の変化や成長が、現在の姫奈に共感できるものがあった。晶が作中の上司のように、厳しい人でなくてよかったと思った。

 他にも、登場人物の衣装や海外の都心での生活がとてもきらびやかに見えた。


「いやー。面白かったですね」


 約二時間の視聴を終えた。

 姫奈はずっと床のテーブルで観ていたので、腰が痛かった。ソファーが欲しかったが、それを強請るのは気が引けた。

 テーブルの上にはピザの空き箱と、半分ほど減ったコーラのペットボトル。そして、どれだけ残っているのか分からないビールの缶が置かれていた。


「晶さん?」


 いつの間にか、テーブルに晶は居なかった。

 姫奈は振り返ると、ベッドで横になっている晶の姿があった。


「……」


 穏やかな表情で、小さな寝息を漏らしていた。

 映画が退屈だったのか、仕事で疲れていたのか――それとも、酒に酔ったのか。

 姫奈の知る限り、晶の部屋の冷蔵庫に、以前から酒の類は無かった。晶が普段から飲酒をしている形跡は無かったので、酒に強い人間なのかは分からなかった。

 姫奈は立ち上がり、テーブルの上を片付けた。ビールの缶は空だった。

 時刻は午後九時前だった。明日も朝からアルバイトなので、そろそろ帰宅しようと思った。


「わたし、帰りますね」

「……」


 一応言葉をかけるが、晶が起きる気配は無かった。

 せっかく熟睡している様子だったので、このまま起こさず部屋を出ようとした。


 しかし、姫奈は床のラグマットに座り、ベッドにもたれ掛かった。

 寝ている晶の頬を、何度か突いた。

 柔らかい感触を確かめながら――寝顔が可愛く、愛らしく、そして愛おしいと思った。

 視線が唇に向かったのは、ごく自然なことだった。自身の率直な気持ちだった。

 晶の唇にも触れようとした。だが、伸ばした指先を下ろした。

 晶が本当に寝ているかの疑問も、その行為に対しても、姫奈は一切の躊躇が無かった。

 自身の内から湧き上がる衝動のまま――晶の唇に、自分のものをそっと重ねた。


 一度目は、春の日。

 朦朧とした晶から、乱暴に口内を犯された。

 二度目のキスは、自分から。

 あの時と違い、唇の柔らかな感触が分かった。


 そのどちらも、晶の意識は無かった。

 その行為があったことを、晶は知らない。

 それで構わないと、姫奈は思った。

 まだ自分の気持ちが相手に伝わらなくても――この時は、満たされていた。

次回 第17章『面影を求めて』

姫奈は晶のかつての恋人、一栄愛生を意識する。彼女がどういう人間だったのかを知ろうとする。

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