第39話
六年前。
その日の歌番組の生放送は、麗美にとってもRAYにとっても最悪だった。
番組プロデューサーの意向により、別音源に合わせて口のみを動かし、実際には歌わない――俗に言う『口パク』を強要されたのであった。
画面映えを考慮し、ダンスに専念して欲しいとの理由だった。
しかし、当時結成三年目だったRAYは、生放送とはいえダンスと歌共に最高のパフォーマンスを行える自信があった。
その旨を番組側に訴えたが、最後まで受け入れて貰えなかった。
偽りの映像が全国に流され――ただ、屈辱的だった。
「あー、もう! やってられん!」
午後十一時。楽屋に戻るなり、晶が椅子を蹴っ飛ばした。
番組最後の出演者全員が集まる箇所は、晶は苛立ち、結月は瞳が死んでいた。歌での出番以降この様子だったので、最後の配置を後方の目立たないところに、愛生が番組側に変えて貰った。
リーダーの麗美としては、ふたりの態度に怒りたい面もあった。
しかし、自分としても最後までぎこちなく作り笑いを浮かべていたので、気疲れでそれどころでは無かった。
「ふぅ……」
放送事故だけは避けられたので、麗美はひとまず安心した。
椅子に座り、水を飲んだ。
「まあまあ……。晶さんは、最後までキレずによく頑張りましたよ」
「おい、愛生。ここの局の仕事はもう二度と取ってくるな! あいつらが謝らない限り、絶対に出ないからな!」
腕と脚を組んで座っている晶を、愛生は身を屈めてなだめていた。
私達と番組側に挟まれて、あの人も大変だな。よくキレないな。
ふたりの様子を眺めながら、麗美は愛生に同情した。
愛生が怒っている姿を、麗美は一度も見たことが無かった。頼りない部分があるとはいえ、自分達は気持ちよく仕事を出来ているので、マネージャーとして優秀だと思った。
ストレスどうやって発散させてるんだろう。参考に知りたいな。
ふと、その疑問が浮かんだ時だった。
「お疲れ様……」
ぽつりと呟いた結月の声が聞こえ、麗美は振り返った。
いつの間にかステージ衣装から着替え終えた結月が、楽屋から出ていこうとしていた。
「え? ちょ――結月! どうやって帰るの?」
「タクシーで。領収書貰っておけばいいんでしょ?」
「いやいやいや。そういう問題じゃないからさ」
麗美は慌てて立ち上がると、自身も急いで着替えた。
「愛生さん。私、結月送ってくから、そっちお願いね。落ち着いたら連絡するわ」
「わかりました。まだ免許取り立てなんですし、安全運転でお願いします」
了解の意味として手を挙げ、麗美は楽屋から飛び出した。
走りたいところだったが、廊下ですれ違う人達に作り笑顔で挨拶をしながら、早足で局の玄関まで向かった。
「結月! 待って!」
タクシーに乗り込もうとしていた結月の腕を、麗美は掴んだ。
運転手や乗車を待っている他の客に頭を下げ、結月とその場を離れた。
「……どういうつもりよ」
結月の瞳はぼんやりとしていたが、三年の付き合いから、苛立っていることが麗美には分かった。
「私が送ってくよ。最近免許取ったし、車も買ったの知ってるでしょ?」
麗美は十九歳になっていた。
この業界に入って以降、自動車には興味があった。そして、高級車の所持がステータスだと、当時は思っていた。半年かけて教習所に通った後、自身に相応しいと思う自動車を購入した。
「ほら。カッコいいでしょ」
地下の駐車場に降り、赤い自動車を見せた。車高の低い、二扉二席のスポーツカーだった。
「うわー……。典型的なイキりって感じ。私は、もっと頑丈そうなやつがいいな」
麗美としては自慢げに紹介したが、結月は呆れていた。
自動車に近づき、ボンネットに貼っている初心者マークに触れた。
「なにこれ? ダサすぎない?」
「ダサいけど、仕方ないの! 道路交通法なの!」
扉を開け、助手席に結月を乗せた。
麗美も運転席に座り、エンジンをかける。
「念のため言っておくけどさ……誰かを乗せて走るの、これが初めてなんだよね」
「……」
「大丈夫だから! 今のところ事故未遂すら一回も無いから!」
無言で降りようとした結月を、麗美は慌てて制止した。
気を取り直し、右足でアクセルを踏みながら左足でクラッチも踏み、シフトレバーをローギアに入れた。
そして、局から出たあたりでサードギアまで上げ、加速させた。
「地面に近いこの乗り心地が、私は好きなんだ」
「ふーん……。そういうの、私は分からないわ」
子供のように目を輝かせる麗美とは裏腹に、結月は冷めていた。
「今日は残念だったね。結月は生歌こそいいのに、私悔しいよ」
「……それが言いたいがために、わざわざ追いかけてきたの?」
「うーん……。ダメだった?」
痛いところを突かれたと思いながら、麗美は苦笑した。
「もっともっとキャリア積んで、あのクソプロデューサーを見返してやろうよ。見る目無かったですねって、笑ってやろうよ。私ら三人なら出来るって信じてるから――もう少しだけ、耐えて欲しい」
「私、そういう熱苦しいノリは苦手……」
局を出てしばらくすると、大きな橋に差し掛かった。
夜空の下、ライトアップされた橋は、まるで光の道のように綺麗だった。
「でも……麗美ちゃんに言われると、嫌いじゃないかも」
シフトレバーを握っている麗美の左手に、結月がそっと手を重ねた。
レバーを操作しようとしている意図は無いと、麗美は理解した。
「麗美ちゃんって、本当に仲間思いなリーダーなのね」
「ほら。私ら学校行ってないから……結月も晶も、大事な友達みたいな感じなんだよね」
麗美にとって同い年のふたりは、友達や同級生というより『仲間』という表現が一番しっくりくる存在だった。
「免許証というか身分証取って、私名義で車買って……なんか大人になった気がしたんだ。あんたらと知り合った頃はまだガキだったのに、成長したなって思ったよ。結月だって、急に色っぽくなったよね。私なんかより全然大人に見えるし」
三人ともRAYとしてデビューした頃に比べ、外観や内面、そしてアイドルとしても確かに成長していると――麗美のリーダーとしての視点は認識していた。
十九歳というのは、業界内では幼い方だった。
実力の高さに麗美は自信があったが、まだ実績は浅かった。こればかりは、どうにもならない。貫禄をつけるためにも、経験を積み重ねるしかない。
「これからも三人で成長できたらな、って思うんだ。もうちょっとで二十歳だし、一緒にお酒飲もうよ」
麗美はフロントガラス越しに正面を見据えながら、ニッと笑った。
「あら? 私、ワインにはうるさいわよ?」
「え? もしかして、もう飲んでたりする?」
「それはヒミツ」
「いやいや。そこは否定しようよ」
結月の発言に麗美は焦るが、現在この空間は密室だと気づき、胸を撫で下ろした。
もしマスコミに聞かれていたら、恰好のネタにされていただろう。
「……私はさ、煙草にもちょっと興味あるんだよね」
「もう。アイドルが何言ってるのよ」
結月に小突かれながら、麗美は笑った。
未来のことは分からない。
しかし、こうして楽しく夢を語るように――きっと明るいものだと、この時の麗美は思っていた。
次回 第16章『二度目のキス』
晶がテレビを購入する。姫奈は週末の夜、晶の部屋で映画を観て過ごす。




