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胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
第14章『初恋』
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第36話

 夏祭り当日。

 姫奈は、その日は早めにアルバイトを上がらせて貰った。

 モノレールで地元の駅へ着くと、駅周辺から既に人混みが出来ていた。自宅に帰宅することなく、そのまま神社へと向かった。

 今日の姫奈は以前ショッピングモールで購入した青色のリネン生地のブラウスと、通信販売で購入した白色のクロップドパンツだった。鞄から安物のブレスレットを取り出すと、細身のそれを手首に巻きつけた。


 人混みを歩いていると、道脇に飲食の屋台が並んでいた。その中で飲み物の店が目に入り――なんとなく、ラムネの瓶をふたつ購入した。


 やがて、神社へと続く階段に差し掛かった。

 八雲と出会うことに、恐怖に似た緊張感があった。

 ――それでも、きちんと向き合わないといけない。わたしの気持ちを伝えないといけない。

 そう改めて決意し、階段を上った。


 神社の境内も、やはり混み合っていた。その中を通り、神社の裏手に回った。

 薄暗く、人気の無い所だった。

 ひとりの少女が大きな岩に佇み、たこ焼きを食べていた。

 明るい薄味の紅色――中紅花(なかくれない)と呼ばれる色の浴衣に身を包み、髪はいつも通りのお団子ヘアーにまとめていた。

 背後から、花火の音が聞こえていた。


「八雲……」


 姫奈は声をかけ、ラムネを掲げて微笑んだ。ぎこちなくないだろうかと、心配だった。


「姫奈ちゃん!」


 対して、八雲は無邪気な笑顔を見せた。いつもの様子だった。

 夏休みが始まった頃にナイトプールへ遊びに行って以降、夏休みが終わりそうな現在まで、会うことも連絡を取り合うことも無かった。

 約一ヶ月ぶりの再会だった。


「浴衣、似合ってるよ」

「えへへ……。お母さんが、折角だからって着せてくれたんだ」


 正直な感想を述べながら、八雲にラムネの瓶をひとつ渡した。

 八雲もまた、たこ焼きの入った紙容器を差し出した。いつくかは減っていたが、おそらく十二個入りだった。


「なんか懐かしいね」


 一年前もこうして食べて飲んでいたなと、姫奈は思い出した。

 たった一年。まるで昨日のことのように、あっという間に過ぎたような気がした。

 高校に進学し、アルバイトで金を稼ぎ、現在では屋台の何だって買える。一年前に比べて大きく成長したと姫奈は思った。


「姫奈ちゃん、あのね……。ウチ、姫奈ちゃんと同じ学校に行けばよかったなって……あれからずっと後悔してた」


 八雲はばつが悪そうに苦笑した。

 あれから? 一体、いつから? ナイトプールの後から? それとも、この春から?

 姫奈は一瞬そう疑問に思うが、そもそもの八雲の台詞を否定したかった。


「違うよ! 落ちたわたしが悪いんだよ! わたしの実力不足だったんだから、八雲は何も悪くないって」

「ううん。ぶっちゃけ、どの学校でもよかった……。姫奈ちゃんと一緒に通えることに意味があったんだと思う」


 そう話す八雲の表情からは、笑みが消えていた。


「ウチは姫奈ちゃんと、ずっと一緒に居たかった!」


 大声ではないが、悲痛な叫びだった。

 姫奈はその言葉の真意を理解していた。


「別に、学校が離れていても……たまにしか会えなくても……わたしと八雲は友達じゃん」


 しかし、理解していない振りをした。

 可能であれば――これで納得して欲しいと願った。


「うん。姫奈ちゃんはウチの大事な友達だよ? ――でもね、ウチは姫奈ちゃんとそれ以上の関係になりたいの」


 姫奈の言葉に対し、八雲はさらに続けた。実に分かりやすく伝えた。


「ウチは、姫奈ちゃんのことが好き……」


 一ヶ月前は笑顔で同じことを言われた。

 現在の八雲は、今にでも泣き出しそうな表情だった。


 ――そのお友達にとってはね、姫奈ちゃんと一緒に居ることが、限りなく近い目線で物事を見ることが、きっと何よりも幸せなのよ。


 八雲が求めているものは理解していた。


「八雲、ありがとう。わたし、嬉しいよ……。でも、違うの。そうじゃないの」


 だがそれは、姫奈の求めるものとは違った。


「今の聞かなかったから、わたしと友達で居よう? これからも一緒に買い物行ったり、遊びに行ったりしようよ」


 姫奈は自身の気持ちを伝えた。ナイトプールで言えなかった本心を伝えた。

 そして、八雲の手を取るが――すぐに離された。


「やめて! ウチの初恋を、無かったことにしないで!」


 ドン、と。花火の鳴る音が聞こえた。

 八雲の瞳から涙が流れていた。怯えたような目で、姫奈を見ていた。

 初めて見た親友の泣き顔に、姫奈は戸惑った。


「うん。やっぱり……。わかってた……」


 八雲は指先で涙を拭い、納得したかのように漏らすと、無邪気に微笑んだ。


「ありがとう、姫奈ちゃん――」


 言葉はさらに続いたが、連続して上がった花火の音のせいで、姫奈には声が聞こえなかった。

 ただ、口の動きから――『さようなら』と言われた気がした。

 口が閉じると、八雲はこの場を離れようとした。


「八雲!」


 姫奈は思わず、八雲の腕を取ろうとした。

 しかし――伸ばしかけた指先が、ズキンと痛んだ気がした。あの夜の感触を、ふと思い出した。

 それが切り口となり、溢れた躊躇から手を伸ばせなかった。早足で立ち去る八雲を止められなかった。

 だって……それだと、ただの同情になってしまう。

 その言い訳とは別に、何かが引っかかった。


 ――姫奈ちゃんの返事次第で、彼女が幸せになる権利を奪ってしまう。


 立ち去る背中を眺めながら『八雲の幸せの権利』を奪ったことを理解した。


 ――姫奈ちゃんにとって幸せってなぁに?


 そう。咄嗟に『自分にとっての幸せ』が頭の中を過ぎり、躊躇わせたのだった。

 現在はもう治っていたが、首筋や胸元の傷があった箇所がズキンと痛んだような気がした。

 あの痛みを、あの乱暴な行為をあるがままに受け入れたことを、今一度振り返った。


 ――大切にしたい、幸せにしてあげたい、一緒に幸せになりたい、というか一緒に居たい。身も心もひとつになりたい。


 結月が口にした抽象的な言葉のひとつひとつが、現在ようやく理解できた気がした。

 それと同時に、胸の奥に隠れていた感情が姿を表した。


 そうだ。違う。

 わたしが大切にしたい相手は、幸せにしたい相手は……八雲じゃない。


 だから、腕を取って引き止められなかった。

 この結末を、姫奈は心のどこかで覚悟していた。

 自分の思い通りにならず、親友を救えず、無力感が僅かながらに込み上げた。


 しかし、それ以上に――この感情に姫奈自身が静かに驚いていた。

 さっき八雲と手を繋いだ時は、今まで同様ドキドキしなかった。夜空に打ち上がる花火を眺めながら、友達なのだから当然だと思った。

 自分にとって、触れて、抱きしめて、ドキドキする相手は――

 ある人物の顔が思い浮かんだ。


 姫奈はそれを認め、受け入れることを選んだ。決して否定できない大切なものとなっていた。

 彼女に恥ずかしいところを知られているように、自分もまた彼女の恥ずかしいところを知っていた。

 童顔、高身長、名前――彼女にならコンプレックスの全てをさらけ出せる。

 文字通り、身も心もひとつになりたい相手だった。


 この感情が芽生えたのは、少女の十五年の人生できっと初めてだった。

 それは少女にとって、痛いほど切ないものだった。

 そして、それを掴み取りたいと思った。

 それこそが、自分にとっての幸せなのだから――


 八雲の背中はもう見えなかった。

 ひとり取り残され、姫奈は自身の感情(きもち)を確かめた。


 ああ、そうか。

 わたしは晶さんのことが好きなんだ。

(第2クォーター終了です)

https://twitter.com/m_hitsujida/status/1408759651517095939


次回 第15章『太陽と月(中)』

八月。結月が誰かとふたりきりで会食をする。正体の分からない相手に、麗美はいい気がしなかった。

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