第36話
夏祭り当日。
姫奈は、その日は早めにアルバイトを上がらせて貰った。
モノレールで地元の駅へ着くと、駅周辺から既に人混みが出来ていた。自宅に帰宅することなく、そのまま神社へと向かった。
今日の姫奈は以前ショッピングモールで購入した青色のリネン生地のブラウスと、通信販売で購入した白色のクロップドパンツだった。鞄から安物のブレスレットを取り出すと、細身のそれを手首に巻きつけた。
人混みを歩いていると、道脇に飲食の屋台が並んでいた。その中で飲み物の店が目に入り――なんとなく、ラムネの瓶をふたつ購入した。
やがて、神社へと続く階段に差し掛かった。
八雲と出会うことに、恐怖に似た緊張感があった。
――それでも、きちんと向き合わないといけない。わたしの気持ちを伝えないといけない。
そう改めて決意し、階段を上った。
神社の境内も、やはり混み合っていた。その中を通り、神社の裏手に回った。
薄暗く、人気の無い所だった。
ひとりの少女が大きな岩に佇み、たこ焼きを食べていた。
明るい薄味の紅色――中紅花と呼ばれる色の浴衣に身を包み、髪はいつも通りのお団子ヘアーにまとめていた。
背後から、花火の音が聞こえていた。
「八雲……」
姫奈は声をかけ、ラムネを掲げて微笑んだ。ぎこちなくないだろうかと、心配だった。
「姫奈ちゃん!」
対して、八雲は無邪気な笑顔を見せた。いつもの様子だった。
夏休みが始まった頃にナイトプールへ遊びに行って以降、夏休みが終わりそうな現在まで、会うことも連絡を取り合うことも無かった。
約一ヶ月ぶりの再会だった。
「浴衣、似合ってるよ」
「えへへ……。お母さんが、折角だからって着せてくれたんだ」
正直な感想を述べながら、八雲にラムネの瓶をひとつ渡した。
八雲もまた、たこ焼きの入った紙容器を差し出した。いつくかは減っていたが、おそらく十二個入りだった。
「なんか懐かしいね」
一年前もこうして食べて飲んでいたなと、姫奈は思い出した。
たった一年。まるで昨日のことのように、あっという間に過ぎたような気がした。
高校に進学し、アルバイトで金を稼ぎ、現在では屋台の何だって買える。一年前に比べて大きく成長したと姫奈は思った。
「姫奈ちゃん、あのね……。ウチ、姫奈ちゃんと同じ学校に行けばよかったなって……あれからずっと後悔してた」
八雲はばつが悪そうに苦笑した。
あれから? 一体、いつから? ナイトプールの後から? それとも、この春から?
姫奈は一瞬そう疑問に思うが、そもそもの八雲の台詞を否定したかった。
「違うよ! 落ちたわたしが悪いんだよ! わたしの実力不足だったんだから、八雲は何も悪くないって」
「ううん。ぶっちゃけ、どの学校でもよかった……。姫奈ちゃんと一緒に通えることに意味があったんだと思う」
そう話す八雲の表情からは、笑みが消えていた。
「ウチは姫奈ちゃんと、ずっと一緒に居たかった!」
大声ではないが、悲痛な叫びだった。
姫奈はその言葉の真意を理解していた。
「別に、学校が離れていても……たまにしか会えなくても……わたしと八雲は友達じゃん」
しかし、理解していない振りをした。
可能であれば――これで納得して欲しいと願った。
「うん。姫奈ちゃんはウチの大事な友達だよ? ――でもね、ウチは姫奈ちゃんとそれ以上の関係になりたいの」
姫奈の言葉に対し、八雲はさらに続けた。実に分かりやすく伝えた。
「ウチは、姫奈ちゃんのことが好き……」
一ヶ月前は笑顔で同じことを言われた。
現在の八雲は、今にでも泣き出しそうな表情だった。
――そのお友達にとってはね、姫奈ちゃんと一緒に居ることが、限りなく近い目線で物事を見ることが、きっと何よりも幸せなのよ。
八雲が求めているものは理解していた。
「八雲、ありがとう。わたし、嬉しいよ……。でも、違うの。そうじゃないの」
だがそれは、姫奈の求めるものとは違った。
「今の聞かなかったから、わたしと友達で居よう? これからも一緒に買い物行ったり、遊びに行ったりしようよ」
姫奈は自身の気持ちを伝えた。ナイトプールで言えなかった本心を伝えた。
そして、八雲の手を取るが――すぐに離された。
「やめて! ウチの初恋を、無かったことにしないで!」
ドン、と。花火の鳴る音が聞こえた。
八雲の瞳から涙が流れていた。怯えたような目で、姫奈を見ていた。
初めて見た親友の泣き顔に、姫奈は戸惑った。
「うん。やっぱり……。わかってた……」
八雲は指先で涙を拭い、納得したかのように漏らすと、無邪気に微笑んだ。
「ありがとう、姫奈ちゃん――」
言葉はさらに続いたが、連続して上がった花火の音のせいで、姫奈には声が聞こえなかった。
ただ、口の動きから――『さようなら』と言われた気がした。
口が閉じると、八雲はこの場を離れようとした。
「八雲!」
姫奈は思わず、八雲の腕を取ろうとした。
しかし――伸ばしかけた指先が、ズキンと痛んだ気がした。あの夜の感触を、ふと思い出した。
それが切り口となり、溢れた躊躇から手を伸ばせなかった。早足で立ち去る八雲を止められなかった。
だって……それだと、ただの同情になってしまう。
その言い訳とは別に、何かが引っかかった。
――姫奈ちゃんの返事次第で、彼女が幸せになる権利を奪ってしまう。
立ち去る背中を眺めながら『八雲の幸せの権利』を奪ったことを理解した。
――姫奈ちゃんにとって幸せってなぁに?
そう。咄嗟に『自分にとっての幸せ』が頭の中を過ぎり、躊躇わせたのだった。
現在はもう治っていたが、首筋や胸元の傷があった箇所がズキンと痛んだような気がした。
あの痛みを、あの乱暴な行為をあるがままに受け入れたことを、今一度振り返った。
――大切にしたい、幸せにしてあげたい、一緒に幸せになりたい、というか一緒に居たい。身も心もひとつになりたい。
結月が口にした抽象的な言葉のひとつひとつが、現在ようやく理解できた気がした。
それと同時に、胸の奥に隠れていた感情が姿を表した。
そうだ。違う。
わたしが大切にしたい相手は、幸せにしたい相手は……八雲じゃない。
だから、腕を取って引き止められなかった。
この結末を、姫奈は心のどこかで覚悟していた。
自分の思い通りにならず、親友を救えず、無力感が僅かながらに込み上げた。
しかし、それ以上に――この感情に姫奈自身が静かに驚いていた。
さっき八雲と手を繋いだ時は、今まで同様ドキドキしなかった。夜空に打ち上がる花火を眺めながら、友達なのだから当然だと思った。
自分にとって、触れて、抱きしめて、ドキドキする相手は――
ある人物の顔が思い浮かんだ。
姫奈はそれを認め、受け入れることを選んだ。決して否定できない大切なものとなっていた。
彼女に恥ずかしいところを知られているように、自分もまた彼女の恥ずかしいところを知っていた。
童顔、高身長、名前――彼女にならコンプレックスの全てをさらけ出せる。
文字通り、身も心もひとつになりたい相手だった。
この感情が芽生えたのは、少女の十五年の人生できっと初めてだった。
それは少女にとって、痛いほど切ないものだった。
そして、それを掴み取りたいと思った。
それこそが、自分にとっての幸せなのだから――
八雲の背中はもう見えなかった。
ひとり取り残され、姫奈は自身の感情を確かめた。
ああ、そうか。
わたしは晶さんのことが好きなんだ。
(第2クォーター終了です)
https://twitter.com/m_hitsujida/status/1408759651517095939
次回 第15章『太陽と月(中)』
八月。結月が誰かとふたりきりで会食をする。正体の分からない相手に、麗美はいい気がしなかった。




