第33話
翌日。
友達とランチを食べてくると姫奈は晶に言い、一時的にアルバイトを抜け出した。
モノレールで市街地の方まで出ると、あるホテルの上階まで向かった。
指定された階で降りた。そのフロアはバーや鉄板焼の店が並び、自身と無縁の場所だと思った。
その雰囲気で嫌な予感はしたが――指定された店もまた、無縁だった。
形式としては和食レストラン。しかし、ホテルの一角の入り口だというのに、まるで高級な料亭のような佇まいだった。
「……」
黒のワイドパンツと、白のシルク素材の七分袖カットソー。こんな格好で入っていいのだろうかと、姫奈は店から距離を置いて立ち止まった。
アクセントとして着けた、ゴールドチェーンとパールのラリエットネックレス――雑貨屋で買った安物のアクセサリーも、たまらなく恥ずかしかった。
いっそこの場から立ち去りたい気持ちだったが、会う約束を折角取り付けて貰ったので、引くに引けなかった。
肩にぶら下げたバッグの紐を握り、店に入った。
「いらっしゃいませ」
「えっと、澄川といいます」
「澄川様ですね……こちらへどうぞ」
入口で受付を済ませると、店員は笑顔を絶やすことなく姫奈を案内した。
和風庭園のような店内を通り、店員は襖を開けた。
畳張りの個室は中央に掘りごたつと座椅子があり、そこに昨晩約束を交わした人物が座っていた。
「……」
アッシュピンクの巻髪の女性は眠たげな瞳を向け、無言で手を上げた。やあ、と言っているようだった。
「お久しぶりです、結月さん」
かつてのRAYのひとり、そして現役の芸能人である柳瀬結月に、姫奈は頭を下げた。
晶の正体を知って、麗美にドライブに連れ去られた時以来の再会だった。
結月は店員を手招きし、メニューを指差した後、指を二本立てた。なぜか終始無言だが注文は伝わったようで、店員は個室を離れた。
「私を指名してくれて嬉しいわ、姫奈ちゃん」
ふたりきりになった途端、結月は口を開いた。
言葉とは裏腹にぼんやりとした瞳と口調のため、本当に嬉しいのか姫奈は疑問だった。
いくら相談相手の条件に適っているとはいえ、ふたりきりで間が保ちにくい相手であると思い出した。人選に失敗した気がしたが、今さら後悔は出来なかった。
「あのー……麗美さんは?」
「さあ? 適当にぶらぶらしてるんじゃない? ――安心しなさいな。姫奈ちゃんと会ってること麗美ちゃんは知らないし、晶ちゃんにも黙ってるから」
「あ、ありがとうございます」
ぞんざいな扱いを受けている麗美に、姫奈は心中で謝った。
麗美は間を保たせる意味では居て欲しかったが、話の内容を聞かれたくはないので、何とも言えなかった。
「それで、お姉さんに恋愛相談って? 本当なら夜にお酒交えてガールズトークしたいところだけど、ごめんなさいね、時間なくて」
「お酒の肴になるような、愉快な話じゃないですよ……」
ぼんやりした瞳で、子供のような眼差しを向けられた。
やはり人選に失敗したと、姫奈は確信した。
しかし観念し、八雲との一件を話した。
「まあ……。ナイトプールでお友達と水着デート? キスからの告白? まあ、姫奈ちゃんったら」
話している途中に一度襖が開き、木製の盛り付け台に並べられた寿司盛り合わせがふたつ運ばれた。
その寿司を、結月は雰囲気に似つかず、勢いよく食べていた。瞳は微塵も変わらないのに、とても興奮しているように姫奈には見えた。
「状況はお分かりでしょうか? わたしとしては、無かったことにして友達関係に戻りたいんですが」
「んー、無理じゃない?」
一週間の悩みを、結月に一言で片付けられた。
「いやいやいや。そこを何とか」
「無理なものは無理よ。告白というのはね、確信じみた勝算があるのか、もしくは単なる自己満足よ? どちらにしても、それまでの関係を切り捨てる覚悟がないと出来ないわ。その覚悟を汲んであげなさい」
「でも、わたしが許せば……」
「そこのところ分からないんだけど……。姫奈ちゃんは、そういう気持ちを秘めているのを知っていて、もう一度お友達になれるの? お友達に、これからずっと気持ちを我慢させるの? それって、生殺しみたいで可愛そうじゃない?」
姫奈自身、戻れないと薄々は気づいていた。
この一週間悩む一方で、頭の隅で考えていたひとつの可能性を、結月に真正面から向けられた。
「元の関係に戻るなんて、不可能よ。聞かなかったフリをしても、伝えられた以上、その気持ちが『無かったことに』なんて出来ないわ」
眠たげな声の紡ぐ言葉が、姫奈にはとても重かった。逃れられない正論だった。
「ていうか……姫奈ちゃんは現在、他に好きな人が居るの?」
「いえ。居ませんけど……」
「それじゃあ、付き合うっていうのも全然アリじゃない? 嫌いじゃないんでしょ?」
その選択肢も考えてはみた。
しかし、八雲とはあくまでも友達であり、そういう目では見られなかった。いや、そもそも――
「よく分からないんですけど。その……友達以上に誰かを好きになるって、どういうことなんですか?」
姫奈には根本的にその気持ちが理解出来なかった。自分がまだ十五歳の未成年であるため、人生経験が浅いからだと思っていた。
「んー、そうね。その人とハグしたい、キスしたい、セックスしたい、いっそ食べちゃいたい――とか」
これ以上無い真っ直ぐな性的行為の単語を聞き、姫奈は恥ずかしくなった。
「他には……大切にしたい、幸せにしてあげたい、一緒に幸せになりたい、というか一緒に居たい――身も心もひとつになりたい。ありきたりに言うと、こんな感じね」
抽象的な言葉が次々と並ぶが、そのどれもが姫奈にはピンとこなかった。
しかし、それが結月の麗美に対する気持ちなのだろう。それを理解すると同時、やはり自分にはそういう対象が居ないのだと再認識した。
「ねぇ。姫奈ちゃんにとって幸せってなぁに?」
結月はぼんやりとした瞳で、首を傾げた。
「何でしょうね……。考えたこと無いです。今食べてるお寿司だって、ありえないぐらい美味しくて幸せですし……。強いて言うなら、一生遊んで暮らせるだけのお金があれば幸せなんじゃないでしょうか」
自分でそう発言して、気づいた。
おそらく莫大な資産を持っていても、満たされている様子の無い人間が身近に居た。彼女にとっての幸せとは何なのか、自分のこと以上に気になった。
「……そのお友達にとってはね、姫奈ちゃんと一緒に居ることが、限りなく近い目線で物事を見ることが、きっと何よりも幸せなのよ」
もしも八雲の気持ちを受け入れるのなら、きっと最高の笑顔を見せてくれるだろう。
喜ぶ表情の八雲が、安易に想像出来た。
「姫奈ちゃんの返事次第で、彼女が幸せになる権利を奪ってしまう――ズルい言い方だけど、これだけは覚えておいてね」
八雲の気持ちを拒むとどうなるかも、安易に想像出来た。
確かに可愛そうであった。しかし、自分にその気が無いのに受け入れてはどうなるだろう。
それはとても失礼だと、姫奈は思った。
「それは分かります。だからこそ、半端な気持ちで――同情なんかで受け入れたら、逆に傷つけてしまうことも分かりました」
姫奈のその意見が意外だったのか、結月の眠たげな瞳が静かに見開いた。
「そう……。姫奈ちゃんは案外優しくないのね――あの人と違って」
そして、口元だけで微笑した。
姫奈は結月の言葉の意味が分からなかったが、結月としてはどこか満足げだった。
「そこまで分かったのなら、あとはそうね――後悔だけは無いようにね」
「はい」
姫奈は胸の内に、ある決意を固めた。
それを大事に抱えるように、力強く頷いた。
周りの目があるため、結月は同時に店を出ることを避けた。
ご馳走様でしたと礼を述べ、姫奈は先に店を出た。
下るエレベーターの中で、決意を改めて振り返った。
やはり、わたしは八雲と友達以上の関係にはなれない。
かといって、同情でも八雲の気持ちを受け入れられない。
それを伝えてどうなるのか――自分の思い通りに事が運ぶのかは、分からない。
それでも、八雲が本音を伝えてくれたように……わたしも本音を伝えることが何よりも大切だと思った。
そう。わたしは八雲と、友達で居たい。
次回 第14章『初恋』
姫奈もまた八雲に自分の気持ちを伝え、ふたりの在り方を話し合う。
(第2クォーターのクライマックスです)




