第28話
一学期の期末試験が終わり七月も中旬に差し掛かった頃には、梅雨も明けていた。
一大イベントが片付き、夏休みを控えた学校は浮足立った雰囲気だった。
その日は空閑八雲と半日授業が重なった。制服姿のまま、午後からふたりで都心のショッピングモールへと出かけた。
そう。以前約束した通り、水着を買いに来たのであった。
抵抗はあるが試着をするつもりなので、姫奈は前日にようやく無駄毛の処理を行った。
ショッピングモールの一角に設けられた水着販売の特設会場は、ふたりのような学生達で賑わっていた。
「わー。いっぱいあるねー」
「ふっふっふ……。期末前にバイト頑張ったから、今日は何だって買えそうだよ」
人混みの中見て回っていると、八雲が自慢気に言った。
「何のバイトしてたの?」
「えっとね。ベルトコンベアーで流れてくるまだ固まってないゼリーに、ひたすらマスカットを落としてたよ。……正直、頭がおかしくなりそうだった。ライン工は性に合わないなぁ」
「あー……。よく頑張ったね」
機械のように何時間も同じ作業を繰り返すのを想像すると、まるで拷問のようだと姫奈は思った。日雇いだと言っていたから、その手の簡単な作業のものしか無いのだろう。
「姫奈ちゃんはどんなの買う?」
「うーん……。正直ワンピースがいいんだけど、この際セパレートのビキニに挑戦しようかなって」
高身長という意味で目立つ以上、肌の露出はなるべく避けたいところであった。
しかし、ワンピースタイプの水着は小学生の頃に学校で着ていたものと結局は同じであり、新鮮味に欠けると思った。
事前にインターネットで調べたところ、ビキニタイプでも露出を抑えられる種類があった。それが狙い目だった。
「うんうん。ウチも、ビキニなんて生まれて初めて着るよ」
「そうだね。わたしも今からドキドキしてる」
いろんな種類の水着を眺めながら歩いていると、姫奈の目に止まったものがあった。
狙い目のひとつ、ホルターネックのものだった。カーキ色で装飾の無いシンプルなものだが、胸元が開いていなかった。
「おおっ。なんかセクシーだね」
手に取ってみると、八雲が食いついた。
「えっ。そんなにセクシーに見える?」
「色とデザインのせいかな。なんか、大人のお姉さんって感じ。でも、姫奈ちゃんには似合うんじゃないかな」
「なるほど。わからなくもないね」
八雲の言葉から、露出は無くとも大人びたイメージが漂った。なぜだか、アウトドア派な女性像が姫奈の頭に浮かんだ。
「ひとまず保留で」
とはいえ試着はしてみようと、姫奈はカゴに入れた。
「ウチはこれ! なんか流行ってるらしいんだよね」
八雲が手に取ったのは、トップスの下がX字に交差しているものだった。
クロスワイヤービキニ。確か流行りのひとつにそんなものがあったなと、姫奈は思い出した。シンプルながらもアクセントがあるようだ。
「どっちがいいだろ?」
八雲は赤色と青色のふたつを持ち、交互に胸元で掲げてみた。
赤色といっても真っ赤なものであり、派手すぎると姫奈は思った。水色じみた薄い青色の方が似合っていた。
「青の方がいいよ。なんていうか、八雲らしい」
「ありがと!」
八雲は嬉しそうに、青色の水着をカゴに入れた。
しばらく歩いていると、姫奈の狙い目だったものを見つけた。
青い花柄の、オフショルダータイプのものだった。二の腕が隠れると同時、ボリュームのあるフリルのため胸元も隠せると思った。
普段は大人びた服装を意識しているためフリルとは縁が無かった。しかし、水着に限っては可愛いデザインの方が露出が控えめになる傾向にあるため、選ばざるを得なかった。
「それいいじゃん。可愛いよ」
八雲にも後押しされ、姫奈は満足げにカゴに入れた。既に入っているホルターネックは、おそらく出番が無いと思った。
ふたりのトップスが決まったところで、ボトムスのコーナーに移った。
「そうだ。ウチらどっちも青系だしさ、せっかくだからリンクコーデにしてみようよ」
「どういうこと?」
首を傾げる姫奈に、八雲はネイビーのボトムスを手渡した。そして八雲は、青い花柄のボトムスを取った。
「あー、なるほど。確かにペアっぽい感じだね」
互いの上下が似たような柄で交差していた。
あからさまではないにしろ、ふたり並ぶと『お揃い』のようには見えるだろう。
「なんか恥ずかしいや……」
「いいじゃん。ウチらふたりで行くんだしさ。姫奈ちゃんはそんなに嫌?」
八雲に顔を覗き込むように訊ねられた。そう押されると、姫奈は断れなかった。
「わかったよ。その代わり、はしゃいで目立たないでね」
「うん!」
わざわざ注目を浴びなければ大丈夫だと自分に言い聞かせ、手渡されたボトムスをカゴに入れた。
購入するものを選び終わり、ふたりで試着室に向かった。隣接した個室に、それぞれ入った。
カーテンがちゃんと閉まっていることを確かめると、姫奈は学生服を順に脱いだ。
ボトムスはショーツ越しに試着するにせよ、トップスは直に着けてみようとブラジャーを外した。
上半身を裸になった事は、過去に下着の試着で何度かあった。しかし、場所が簡易個室であること、そして親友と来ていることで、なんだか緊張した。
鏡に、露わになった自分の乳房が映っていた。
これが晶に見られたのだと、ふと思い出した。
「……」
姫奈は赤面しながら水着に着替えた。
危惧していたトップスは、想像通りレースで胸の谷間が隠れたので満足した。
「姫奈ちゃん、どう?」
「ちょ――八雲!?」
着替え終わり位置調整をしているところに、カーテンから八雲が顔を出した。
突然のことに驚いた姫奈は、思わず両腕で胸元を隠した。
「びっくりしたよ、もう……。入るなら声かけて」
「ゴメンゴメン。でもまあ、超似合ってんじゃん」
水着を着た八雲が、カーテンを割って姫奈の個室に入った。
もし着替えている最中でも同じだっただろうなと、姫奈は思った。いくら親友とはいえ、距離感の近さに戸惑った。
もしくは、自分が過敏になっているだけで、同世代ではこれが普通なのだろうか――そんな疑問が浮かぶが、答えは分からなかった。
「ほら、やっぱり。これでウチら仲良しだって分かるね!」
「う、うん……」
背後から八雲に抱きしめられた。露わになった腹部に腕を回されたツーショットが、鏡に映った。
水着の上下の柄が交差した様は、姫奈が思っていた以上に『お揃い感』があった。
恥ずかしかったが、嬉しそうな親友に釣られ、自分も楽しもうと思った。
「サイズはどう? ちょっとキツイぐらいがいいんだってさ」
「ひゃっ!」
背後の八雲から、ビキニの縁を軽く引っ張られた。
「だ、大丈夫だよ!」
「そう? ポロリしても知らないよ?」
八雲は意地悪そうに耳元で囁きながら、姫奈の腹部を軽くつまんだ。
「姫奈ちゃんってお腹の脂肪あんまり無いんだね。ウチなんて、これから必死にダイエットだよ」
フニフニと素肌を触られ、姫奈は生理的な不快感がこみ上げた。
思わず、力ずくで八雲を引き離した。
「ダイエット頑張りなよ……。水着は問題ないから、これ買おう。八雲も脱いでおいで」
狭い個室から八雲を追い出し、姫奈は脱力気味にぺたんと床に座り込んだ。
親友と少しじゃれ合っただけなのに――気疲れが酷かった。
*
水着の会計を済ませると、遅めの昼食を取ることになった。
以前から姫奈の行ってみたかったチェーン店のハンバーグレストランを、八雲は汲んでくれた。
個性的な外観の通り、店内はジャングルを彷彿させる内装となっていた。
まるで海外映画の農場のセットのようなテーブル席には、多くの学生達で賑わっていた。食事だけでなく、お喋りを楽しんでいるようなグループも数多く見えた。
なんだか落ち着かない雰囲気だが、姫奈はエッグハンバーグプレートを、八雲はチーズハンバーグプレートをそれぞれ注文した。
「ごめん……。わたしから来たいと言っておいて何だけど……あんまり美味しくないね」
脂っこい肉の塊でありながら、肉汁も無く乾いていた。姫奈が以前作ったハンバーグは不出来なものだったが、控え目に判断してもあれ以下だと思った。
「わかってないなー、姫奈ちゃんは。ハンバーグだと思うからダメなんだよ。これはね、ジャンクな食べ物のひとつなんだよ」
「よくわかんないけど……正直、八雲は美味しいと思ってるの?」
「不味いに決まってんじゃん。でも、年に何回かは食べたくなるかな」
「へー。そういうものなんだ」
ここに来たいと思ったのは、晶の言っていた『ファミレスの不味いやつが美味しい』が気になったからだった。
確かに美味しくはなかった。それは親友も認めていた。
しかし、八雲が言うように時間が経てば食べたくなる味なのかもしれない。晶もそういう意味で懐かしがっていたのだと、無理やり納得した。
三面に広げてテーブルに立っている大きなメニューボードには、ジャンボパフェが推されていた。晶が好きそうだと思った。
「それでね。プールなんだけど――ここに行かない?」
食べ終えた頃――テーブルの向かいの席で、八雲は携帯電話を触った。
すぐに姫奈の携帯電話が、メッセージアプリの受信を告げた。八雲から、プールのウェブサイトのURLが届いた。
「あれ? 夜なんだ」
姫奈は詳しく見ると、ホテルのプールが夕方以降に『ナイトプール』として営業しているものだった。写真の紹介ではきらびやかにライトアップされ、とても綺麗な景色だった。
「雰囲気めちゃ良くない? 夜だから日焼けもしないし」
「うん。いいね。……正直、おっきな滑り台みたいな所を想像してたけど」
「そういうトコは、また今度行こ?」
良い意味で期待を裏切られたと思った。泳げなくても楽しめそうであり、そして大人びた雰囲気が姫奈好みだった。
「ちょっと、八雲。年齢制限で十八歳以上しか入れないって書いてあるよ」
営業時間や料金を確かめていると、その旨が見えた。
「大丈夫だって。そんなのバカ正直に確認するわけないじゃん。大体、ウチら――特に姫奈ちゃんなんて、絶対に十八以上に見えるよ」
「それはそうだけど……」
アルコール類の提供を行っているとも書いていた。
飲むような真似はしないだろうが――想像以上に大人向けだと感じ、年齢を偽って入場しようとする行為が少し不安になった。
「この日、どうかな? 女性限定の日なんだけど」
そんな姫奈を余所に、八雲は話を進めた。
八雲が提示した日は七月下旬の平日だった。もう夏休みに入っている日だった。
「うん。大丈夫だよ。……その頃には、女の子の日も終わってると思う」
「わかった。そんじゃ、この日で予約入れとくね」
不安はあった。
しかし、イキイキした瞳で予約手続きをしている親友を信じた。
こうしてわざわざ水着まで買った。未知の事だって、八雲とふたりでならきっと楽しめる。
――この時、姫奈はそう思っていた。




