第26話(後)
試着が終わり服を片付けた頃には、窓の外の天気はさらに酷くなっていた。
晶はリモコンで窓のシャッターを降ろした。
雨音が遮られ少し静かになったリビングは、広く物寂しい雰囲気を強調した。
「この部屋、テレビ置かないんですか?」
姫奈はリビングのテーブルに突っ伏しながら、ベッドで横になっている晶に訊ねた。
立派なテレビ台はあるのに肝心のテレビが無いことが、以前からの疑問だった。
「テレビなんか観てたらバカになるぞ」
「それは分かりますけど……。テレビに出まくってた人が言う台詞じゃないですよね」
いや、長年テレビに関わってきたからこそ説得力があるのかな? 後になって姫奈は思った。
姫奈もまた、普段からテレビを見る習慣は無かった。しかし、この広い部屋でテレビを点けておくだけでも構わない。耳に触れる何かがなければ、落ち着かなかった。
「最近のテレビって、ネットに繋げたら映画とか海外ドラマとか見放題らしいんですよ」
国内番組にこそ興味は無いが、雑誌で挙がっている海外コンテンツには興味があった。
出来ることなら大きい画面で観たいと思い――遠回しにねだってみた。
「ん? 観たいのあるのか?」
「はい。いくつかは……。週末の度に来るんで、一緒に観ませんか?」
「……考えておいてやるよ」
返事自体は前向きだが、晶はずっと携帯電話を触っていた。
素っ気ない態度から、本当に理解しているのか姫奈は不安だった。
「ていうか、さっきからケータイで何見てるんですか?」
姫奈にとって、晶が携帯電話に熱中していることが珍しかった。
割と最近まで携帯電話そのものが苦手そうだった。そして性格上、ゲームやSNSにのめり込んでいるとは考えられなかった。
「宅配のスイーツ見てる」
ほれ、と晶から携帯電話の画面を見せられた。
フルーツパーラーのストロベリーパフェの写真が映し出されていた。
「こういうの、よく利用してるんですか?」
「ああ。結構使うぞ。便利な世の中になったよなぁ」
次々とスイーツや料理を見せられた。ブックマークに大量のメニューが蓄えられていた。
普段から、帰宅後はひとりで黙々と眺めているのだと姫奈は想像した。おそらく、これが晶にとっての『娯楽』なのだ。
「晶さん。テレビ買いましょうね」
「は?」
哀れむ姫奈に、晶は首を傾げた。
「何なら、今からこれ食べるか?」
「やめてあげてください!」
パフェの注文ボタンを押そうとしている晶を、姫奈は止めた。
冗談を言っているような素振りではなかったので、台風の中を宅配させるつもりだった。
「……そろそろ寝るか」
時刻は二十一時過ぎだった。
普段であれば姫奈はまだ起きている時間帯だったが、晶は眠そうにあくびをしていた。
「そうですね」
他にやることが無いので、姫奈もその意見に賛成した。
晶から、新品の歯ブラシを貰った。
広い洗面台で、ふたり並んで歯を磨いていた。
眼鏡を外した自分と、医療用眼帯を外した晶。鏡に映ったこの光景が、姫奈にはまだ慣れなかった。
お互いしか知らない素顔が、なんだか嬉しかった。
リビングに戻ると、ベッドがひとつしかないことに気づいた。
「わたし、床で大丈夫です」
ソファーが無いので、仕方なくラグマットで寝ようと姫奈は思った。
「いや、ベッドで一緒で寝ればいいだろ。割と広いぞ?」
しかし、晶は真顔で言った。
確かにダブルベッドほどの大きさであり、ふたりで寝ても決して狭くはない。
――晶は、恥ずかしがっている様子が全く無かった。
「わかりました……」
わたしが過剰なのかな……。
姫奈はそう思うが、やはり一緒のベッドで寝るのは恥ずかしかった。
「寝る前に、薬飲む」
「何の薬ですか?」
「睡眠改善薬だよ。最近眠れはするんだが、眠りが浅いから何度も目が覚めてしまう」
「待ってください」
キッチンへ行こうとする晶を、姫奈は止めた。
種類はよく分からないが、少しでも薬の服用を減らす生活を送って欲しかった。
「わたしが添い寝するんで……薬無しで寝てみませんか?」
それで本当に効果があるのか、姫奈としても分からなかった。しかし、それが自身の行える苦肉の策だった。
「わかった。頼むよ」
姫奈の言葉に晶は一度驚いたが、微笑んで見せた。
リビングの明かりを常夜灯にし、ふたりでベッドに入った。
川の字になり、姫奈は晶を背後からそっと抱きしめた。
薄いキャミソール越しに伝わる――晶の温もり、晶の柔らかさ、そして晶の匂い。全身で天羽晶を感じた。
このベッドで晶からキスをされたことを思い出した。
腕の中の感触の他、あの舌が絡む感触を思い出し、姫奈の心臓は大きく高まっていた。
その緊張と慣れない環境のせいで、眠れないことは覚悟していた。
しかし、その心配を他所に、薄暗い部屋と遠くの雨音が、だんだんと眠りへと誘った。
ちょうど晶の頭が鼻下に位置するため、シャンプーの良い香りが鼻孔を撫でた。
今日は同じシャンプーを使ったんだとぼんやり思ったが、なんだか実感が湧かなかった。
ふと、晶が寝返りを打った。向き合うかたちとなった晶は、姫奈の胸に顔を埋めた。
どうも最近は胸を気に入られてるような気がしながらも、姫奈は晶を息苦しくない程度に抱きしめた。
ベッドに入って、どれぐらい時間が経っただろうか。
時間の感覚が麻痺した中で、姫奈はウトウトしていた。
「姫奈……ありがとう」
胸元からぽつりと聞こえた晶の声は、まるで晶の寝言のような――もしくは、自身の夢の中での言葉のように聞こえた。
遠ざかる意識の中、晶の感触も晶の声も、何もかもが不確かだった。




