第26話(中)
風呂から上がり、晶から借りたTシャツを着てみたが、小さく窮屈だった。
「これ以上大きいのないですか?」
「残念ながら、それが私の持っている中で一番大きい。サイズ合わないなら裸でもいいぞ」
「嫌ですよ! ていうか、晶さんは早く何か着てください!」
晶は洗面所で髪を拭いた後、トリートメントをつけていた。浴室ならまだしも、未だに全裸のため、姫奈は視線のやり場に困った。
Tシャツが窮屈ではあるが息苦しいほどではないので、他に無いのなら我慢しようと思った。
しかし、Tシャツとショーツのみの格好は落ち着かなかった。自室に居ても、これほど薄着になることは無かったのだ。
「すいませんが、ショートパンツないですか?」
「あるけど、そっちも小さいんじゃないか?」
「履かないよりマシです」
晶からショートパンツを借りるが、やはりTシャツ同様小さかった。
「晶さんも履いてくださいよ」
「えー。ここ私の部屋だぞ?」
「そういうことは客人の居ない時に言ってください」
晶もキャミソールとショーツのみの格好なので、ショートパンツを履かせた。
姫奈は最後に眼鏡をかけようとしたところ、晶に止められた。
「ここに居る間は、要らないだろ?」
晶もまた、医療用眼帯を着けようとはしなかった。両目で姫奈を見ていた。
――私は他人に見せたくないからこうやって隠してる。
義眼を隠すために着けていることを思い出した。
自宅での開放感からの延長かもしれないが、事情を知っているわたしになら隠す必要が無いのだと姫奈は思った。
姫奈としても、伊達眼鏡は童顔を隠すための手段であると晶だけが知っていた。
眼鏡と眼帯。お互いがそれぞれを外すことで、本当の意味での『素顔』をさらけ出すことになる。
「わたし……すっぴんです……」
しかし、姫奈は単純に恥ずかしかった。化粧を覚えた現在、すっぴんで居ることの恐ろしさをよく理解していた。
そう。たとえ、見知った人間の前であろうとも――
「は? もう風呂に入ったんだぞ?」
「晶さんは良いですよ。ノーメイクでも全然いけるんですから」
晶のすっぴんを初めて見た。
化粧が無くても充分に美人だと姫奈は思った。本当に二十五歳なのかと疑いたくなった。
「お前だって、このままで可愛い」
晶はそう言い、姫奈の頬に触れた。
お世辞なのかもしれないが、姫奈はその言葉に照れる一方で、嬉しかった。
「現在だけですからね……」
晶の提案通り、眼鏡を外すことを選んだ。
すっぴんで、かつ眼鏡の誤魔化しもない――格好の悪い恥ずかしい素顔を知るのは、天羽晶ただひとりだった。
晶になら見られてもいいと思ったのだ。
リビングに戻ると、時刻は十八時になろうとしていた。
風呂上がりに炭酸水を受け取ったが、空腹感もこみ上げてくる時間帯だった。
「何か夕飯作りましょうか?」
「お前はいいから、宿題でもやっておけ。私が作る」
姫奈は申し出るが、即答で断られた。確かに宿題の時間という気遣いはあるものの、料理が下手だから結構という意図も少なからず感じた。
仕方なく、広いリビングのテーブルで教科書とルーズリーフを広げた。
窓を打ち付ける雨風は夕方より強くなり、まさに嵐の真っ只中だと思った。
慣れない環境と雨風の音で最初は落ち着かなかったが、一度勉強を始めると意外と集中できた。
キッチンからは、包丁を動かす音やフライパンで炒める音が聞こえた。料理をしている様子は見えないが、明らかに手慣れている動作だと、音だけで分かった。
トマトケチャップを炒った香ばしい匂いが、空腹感をくすぐった。
「よし。そろそろ食べるから、キリのいいとこで片付けろ」
晶はキッチンから大皿を運んできた。
ケチャップライスの上に卵の乗ったオムライスだった。しかし、姫奈の知るオムライスは卵で包まれているものであり、大きな卵焼きのようなものが乗っているものは変だと思った。
「たぶん、いい感じになってるはずだ」
晶は大皿をテーブルに置き、ナイフで卵焼きに切り込みを入れた。卵焼きは綺麗に割れ、中から溢れた半熟卵がケチャップライスを覆った。
姫奈の知る以上のオムライスとなった。家庭料理の範疇でないのは明らかだった。
「晶さんって本当にアイドルだったんですか? 料理人じゃなくて?」
「バカ言うな。本職のシェフに失礼だろ。これぐらいなら、コツさえ掴めば誰にでも出来る」
さらっと言うけど結局はセンスや器用さなんだろうな、と姫奈は思った。以前髪を切ってくれた時といい、何でも出来そうな気がした。
晶はケチャップを取り出し、半熟卵の上に容赦なくかけた。
「えっ、まだかけるんですか? ご飯の方にしっかり味ついてそうですけど」
「分かってないな。甘いのが美味いんだよ」
赤いケチャップライスは、ただでさえ濃い味のように見えていた。その上からさらに、ケチャップを一本使い切る勢いでかけた。
ついさっきまでレストラン料理のような出来栄えだったが、ケチャップまみれになった途端、姫奈の目には家庭料理に見えた。
「ケチャップの味しかしません……」
大皿のオムライスをふたりで食べた。姫奈の舌は、卵の味を追い求めていた。
隣の晶は美味しそうに頬張っていた。料理の腕は凄いのに、味覚や食べている姿はまるで幼い子供のようだと姫奈は思った。
「はい、晶さん。あーん」
それが可愛くて、姫奈はスプーンを差し出した。
晶は嬉しそうに口を開けた。
*
夕飯の準備は晶が行ったので、後片付けは姫奈が名乗り出た。
何かガサガサしているのは分かったが、キッチンカウンターから晶の姿は見えなかった。
「どうだ?」
しばらくすると、姫奈の学生服を着た晶が、洗い物をしている姫奈の前に現れた。自慢げな表情だった。
「え――なに勝手に着てるんですか?」
姫奈は一瞬驚くも、晶の全身の姿をよく眺めると、冷ややかな視線を送った。
長袖のブラウスとジャンパースカートは、ただでさえ大きめであるため似合っていない。そして、プラチナベージュのショートボブヘアーと口に咥えた煙草が、清楚な学生服の雰囲気から明らかに浮いていた。
「全然似合ってなくて、逆に安心しました」
学生服を着てみたいと言い出した時はさぞ着こなすと思っていたが、予想に反し、そうはならなかった。
せめて黒髪だと似合っていただろうと、姫奈としても少し残念だった。
「でも、ほら……。やっぱJKの制服は可愛いな」
姫奈の言葉に晶は不満そうな表情を一度見せるが、衣服を見下ろしながらくるりと回る姿は、さぞ満足そうだった。
姫奈は洗い物、そして明日の分の水出しアイスコーヒーの仕込みを終え、リビングに出た。
「お前はこれ着てみろ。私が大昔に着ていたやつだ」
晶から丈の短い黒色のプリーツスカートを手渡された。
風呂場でのやり取りがあったからだろう。
姫奈は過去から短いスカートに興味こそあったが、身長の都合上絶対に履かないものだった。
「き、今日だけですからね」
これを履いて外に出かけるわけでもないし――と、内心楽しみにしながら足を通してみた。
「晶さん……。ファスナーが最後まで上がりません」
しかし、これもサイズが合わなかった。
「うん。まあ、そうだろうな」
ずれ落ちるのを防ぐためにスカートを摘んでいる姫奈を、晶は面白そうに笑った。
姫奈は怒るよりも、短いスカートの慣れない履き心地に戸惑った。サイズが違うとはいえ、これだけ露出の多いものはやはり履けないと思った。
「他に何かスカートないですか?」
「そうだな……。これなんてどうだ?」
次に渡されたものは、グレージュのチュール素材のフレアスカートだった。
軽くて爽やかだと思ったが、同時にレースのカーテンも連想させた。
「可愛いですけど……下着透けません?」
「裏地あるから大丈夫だろ。たぶん」
姫奈が履くとやはりファスナーが上がらず、そして膝丈になった。しかし、シースルーの上品さが気に入った。
「いいですね、これ。わたしに合うサイズを買ってみます」
他にも、晶の服をいくつか着させて貰った。
サイズが合わないとはいえ、アパレルショップよりも落ち着いて試着が出来た。
ふたりきりの部屋だからこそだと思った。




