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胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
第10章『赤面の理由』
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第25話(後)

「……バカ」


 姫奈のところまで近づくと、姫奈のエプロンを軽く叩いた。


「えっと……何かマズいこと言っちゃいました?」


 晶は俯いているので、姫奈からは表情が分からない。

 しかし、何に対しても堂々としている晶がここまで恥ずかしがっているのを、初めて見た。

 いや――この店でアルバイトを始めて三ヶ月近くになるが、晶の赤面自体を初めて見た。


「なんだよ、澄川晶って……。まるで、お前と結婚したみたいじゃないか……」


 晶は顔を上げるが――姫奈から視線を反らしていた。指先で唇に触れながら、消え入りそうな声で言った。

 赤面で小声を漏らす晶を、姫奈は純粋に可愛いと思った。

 ドクンと胸が高まり抱きしめたい衝動に駆られるが、理性は晶の言葉を理解した。


「ええっ!? どうしてそうなるんですか!? どう考えたって姉妹でしょ!」

「バカ言うな! 名字が変わるというのはな、そういうことなんだよ!」


 晶の言い分がわからなくも無かった。しかし、圧倒的な少数意見だと姫奈は思った。


「晶さんは、わたしが妹だと嫌なんですか?」

「うん。なんとなく嫌だ」

「……そうはっきり言われると、地味に傷つくんですが」


 姫奈は拗ねるつもりが、即答の返事に呆れた。


「もうこの際訊いておきますけど……晶さんの本名って何なんですか?」


 事前に知っておけば、こういう緊急事態に逃げ道として使えたのではないかと思った。

 それに――姫奈としても純粋に知りたかった。


「何言ってるんだ。これが本名だよ。文句あるのか?」


 しかし、晶は呆れた顔で答えた。


「え……普通は芸名使うものじゃないんですか?」

「確かに、普通はそうだろうな。でも、私達三人は名前も歳も偽ってない」


 自分達に絶対の自信があったからこそ偽らなかったんだろうな、と姫奈は納得した。

 天羽晶。どう聞いても芸名のような美しい氏名だが、本名だとしても名前負けしていないと思った。


「そうだな……偽ってたのは、麗美が胸にパット何枚も重ねたり変わったブラ使ってたぐらいだ」

「その情報は要りませんし、暴露も止めてあげてください」


 この場に居ないのに貰い事故に遭っている人物を、姫奈は憐れんだ。


「それで……どうします? こういう時のために、偽名でも用意しておきますか?」

「『お前の姉の澄川晶』で構わんよ。一度使った以上、さらに変えたらどこかでボロが出る可能性があるからな」

「わかりました。いざという時は、その設定でお願いします」


 亡くなったはずのアイドルが生きている。ひっそりと喜ぶファンだけではなく、別の意図で嗅ぎつける人間も必ず存在する。

 この事態は想定できていたはずなのに――事前に対処を考えていなかったことを、姫奈は反省した。

 設定を決めたとはいえ、晶はすっきりしないような表情だった。カウンター席に腰掛けていた姫奈の胸に、ポンと倒れ込むように抱きついた。


「怖かった……」


 胸に顔を埋めているため、姫奈からは晶の顔が見えなかった。


 ――晶の話だと、マスコミに付かれたから振り切ろうとしたみたいなんだけどね。


 麗美から聞いた話を思い出す。その存在から逃げるために大切な人を失い、自分も大怪我を負った。

 きっと心的外傷(トラウマ)となった経験なのだから、そう思うのも無理がないと姫奈は察した。


「大丈夫ですよ。わたしがついてます」


 小刻みに震えている小柄な背中を、姫奈はそっと抱きしめた。そして、プラチナベージュのショートボブヘアーを優しく撫でた。


「うーっす。頼まれてた向日葵の苗、持ってきたよ」


 しばらくすると扉が開き、サングラス姿の林藤麗美が姿を現した。

 さっきの晶の言葉から姫奈は麗美の胸元に目が行ったが、失礼だと思いすぐ外した。


「えっ、なに? どしたん?」


 麗美は店内のふたりの様子を見て固まった。

 姫奈はマスコミの女性から貰った名刺を麗美に渡し、ついさっきの出来事を説明した。


「――なるほど。とうとう、その手の輩が来ちゃったか」

「どこで聞きつけたのか、分かりませんけどね」

「ひとまずコレは潰しておくよ。本当は私が正面からいきたいところだけど、それだと逆効果だから別のとこから圧かけておくね」

「お願いします」


 サングラスを外した麗美は、心配そうな表情だった。


「晶は大丈夫?」

「ああ。もう平気だ……」


 晶はようやく泣き止むも、泣き疲れたのかぼんやりとしていた。


「しっかりしなよ。私の方で、こういう事はなるべく無いようにはするけど……これから絶対に無いとは言い切れないよ?」


 厳しい発言だと姫奈は思ったが、確かに今後も起こり得る現実だった。

 出来れば晶に四六時中ついていたいが、学校に通う以上無理だった。晶ひとりで店に居る時間の方が圧倒的に長いので、昼間にこういう事がある可能性を考えると心配だった。

 現役の頃から髪型と髪色を変え、医療用眼帯まで着けている。八雲には見破られたとはいえ――がらりとイメージチェンジを行っているので、一見ではすぐに正体が分からないだろう。


「わたしは、毅然とした晶さんが好きですよ」


 世間には亡くなったと公表している手前、後ろめたさはあるのかもしれない。しかし、いつも通りの堂々とした態度で追い返せば、ひとまずは撒けそうだと姫奈は思った。


「このお店を守るためにも……頑張ってください」


 辛い経験をした人間に頑張れと言うのは酷だった。それでも、姫奈としても店の平和な存続を望んでいた。


「わかったよ……。お前にそう言われたら、立場が無いな」


 晶は頭を掻きながら、気だるそうな隻眼を姫奈に向けた。

 そんな晶に、姫奈は笑顔で頷いた。


「ほほー。可愛い従業員からだと、堪えるんだねぇ」

「うるさいな」


 麗美はニヤニヤとした笑みを浮かべ、カウンター席に腰かけた。


「ねぇ、ここ最近は超暑いんだけど、かき氷あったりしない? ふわっふわの氷に、ラム酒とベリーソースかけてさ」

「あるわけないだろ。他所の店に行って来い」

「えー。せっかく重い荷物持ってきてあげたのにさー」


 これでも麗美なりに晶を励ましているんだと、姫奈は思った。ふたりのやり取りが微笑ましかった。


「あっ、わたし降ろすの手伝います」


 麗美の自動車には、向日葵の鉢が三つ積まれていた。

 芍薬のように玄関扉の隣に並べるが、今日のところは店内に仕舞った。


「思ってたよりも小さいんだな」

「まあ、苗だしこんなもんでしょ。そのうち晶より大きくなったりしてね」

「そこまで伸びないと思いますけど、楽しみですね」


 大きさは五十センチメートルほどであり、まだ蕾の状態だった。あくまで植木鉢なので、向日葵畑のような背の高いものにはならないと姫奈は思った。


「これから暑くなるんで、水やり忘れないでくださいね」

「そうだよ晶。寝過ごしたら一発アウトだからね?」


 いくら暑さや日光に強い花とはいえ、姫奈としてもそれだけが心配だった。

 もっとも、最近は割と規則正しい生活を送り、毎日芍薬に水を与えていたのも知っているが。


「お前らなぁ……いい加減、うるさいぞ!」


 晶はすっかりいつもの調子に戻っていた。

 最近は泣くことが増えたが、姫奈としてはこのように元気な姿を見せて欲しかった。

 それは麗美も同じなのか、顔を合わせ笑いあった。

次回 第11章『眼鏡と眼帯』

街に台風が直撃する。帰宅できなくなった姫奈は、晶の部屋で一夜を過ごす。

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