第25話(前)
翌日の放課後。
姫奈は昨日買ったサンダルを持って、アルバイト先に向かった。
「これ、晶さんにプレゼントです」
「え……なんでサンダル?」
受け取ったショップバッグの中身を見た晶は、戸惑いの表情を見せた。
「昨日買い物していたら、たまたま見つけて。晶さんに似合いそうだなって」
きっと喜んでくれるだろうと、姫奈はニコニコ笑った。
しかし、晶はレースのアンクルストラップをつまみ、姫奈に半眼の視線を向けた。
「お前なぁ……。こういうのは、短いスカート履いてる奴が似合うんだよ。足元のアクセントになるからな」
今日の晶は白色の長袖カットソーと、黒色のキャミオールインワンだった。
姫奈自身がそうである通り、晶もまた短いスカートを履く習慣は無かった。
確かに、普段からよく着用しているロングスカートやワイドパンツの類だと、肝心のアンクルストラップは映えないだろう。
「お前は本当にセンスが無いな」
「ううっ……確かにそうですけど」
ファッションセンスに関しては全くと言っていいほど自信が無いので、姫奈は何も言い返せなかった。
「でも、正直凄く嬉しい。私なんかに、わざわざありがとうな」
晶はサンダルを持つと、姫奈を真っ直ぐ見て礼を述べた。
真顔だが、それが本心であると姫奈には分かり、報われた気分になった。
「ほら。夏ですし、ちょっとは涼しみましょうよ」
「お前が言うな。見ていて暑苦しいんだよ」
「教室の席、エアコンの真下だから冷えるんです!」
六月の半ばになっても、姫奈は未だに薄いストッキングを履いていた。
通学では蒸れるが、一日の大半を過ごす教室では必需品だった。
「そうだ。もうちょっとしたら麗美が向日葵の苗を持ってくるから、来たら運ぶの手伝ってやってくれ」
「わかりました」
玄関に飾っている芍薬はそろそろ限界だと、姫奈も思っていた。
次に向日葵を置くことを想像すると、成長の様子が楽しみだった。
玄関扉には風鈴を取り付け、開け閉めの度に涼しげな音が鳴る。他にも、水出しアイスコーヒーは毎日売り切れ、夏を――季節の移ろいを感じさせた。
「これ、仕舞ってくるな」
晶はショップバッグにサンダルを入れると、スタッフルームに入った。
「どれだけ向日葵を頼んだのか知りませんけど、晶さんも手伝ってくださいね」
なんだか逃げるように去って行ったように見え、姫奈は念のため釘を刺した。
それと同時、背後で風鈴がチリンと鳴り、扉が開いたのを知らせた。
「いらっしゃいませ」
麗美さんかなと思い、姫奈は振り返った。
店を訪れたのは麗美ではなく、ひとりの女性客だった。ベージュのブラウスに黒のタイトスカート、そして肩にかけたレディースバッグ――OLのような装いに、晶を訪ねたファンかと思った。
しかし、冷静な表情で店内を見渡す姿で、違うと判断した。いつもの彼女達なら、もっと感極まった表情を見せていた。
「お好きな席にどうぞ」
ただの一般客として通し、姫奈はキッチンカウンターに回り込んだ。
女性はカウンター席に座るや否や、テーブルに立ててあるメニューに目をくれず、姫奈をじっと見た。
「あなた、ここの店員さん?」
「はい。そうですけど」
おかしなことを訊くなと思いながらも、姫奈は頷いた。
「ここに天羽晶さんがいらっしゃると聞いて来たんですが……」
まるで機械のような、淡々とした口振りだった。
客の正体は分からないが、決して再会を喜ぶような素振りでは無いと、姫奈は悟った。
むしろ、未だかつてないほど嫌な予感がした。
ギィ、と。スタッフルームの扉が開く音が聞こえた。
姫奈は扉を振り返ることなく、カウンターの下で手のひらを広げ制止した。
お願いだから、出てこないでください――そう念じたのが伝わったのか、開きかけた扉は再び閉まり、気配は消えた。
しかし、女性客は視線を動かし、扉を一瞥していた。
「え……あの天羽晶ですか? 確か事故で亡くなったんじゃ? 残念でしたよねぇ。わたし、ファンだったんですよ」
どこまで見られたんだろう。
姫奈は焦燥を抑えながら、必死に苦笑いを浮かべていた。
そんな姫奈に、女性はバッグからカードのようなものを取り出し、差し出した。
「私はこういう者です」
姫奈が受け取ったものは名刺だった。
姫奈自身、詳しくはないが――耳にしたことのある週間報道誌の記者だった。
そう。俗に言う、マスコミと呼ばれる存在だった。
「もう一度訊ねます。この店に、天羽晶さんはいらっしゃるんですよね?」
再度と言うが、確信を持っての質問となっていた。
晶さんの姿を見られた?
でも、そんな一瞬で――現役だった頃からガラリとイメージの変わった姿で、分かるの? マスコミだから?
いや、きっとこれはブラフだ。見えなかったに決まっている。
姫奈はそう判断した。窮地に立たされた現在、そう思わざるを得なかった。
「ははは……。何言ってるんですか。天羽晶の幽霊でも追ってるんですか? オカルト特集ってウケるんですか?」
「別に、幽霊でも構わないんですけど。あなた、さっき言ってましたよね――アキラさん、って」
「……」
姫奈は敢えて強めに出て煽ったが、そう返されると言葉に詰まった。
――晶さんも手伝ってくださいね。
姫奈が扉に放った言葉と、この女性の入店はほぼ同時だった。絶妙のタイミングで聞かれていたのだった。
姫奈の頭の中が真っ白になった現在、この店にアルバイトの申し出をした時のことを思い出した。
――私のボディーガードをやってくれないか?
――嫌な客が来たら私は奥に隠れるから、私に代わってお前が相手をしろ。
あの時は言葉の意味が分からなかったが、こういうことだったのかと姫奈はようやく納得した。
だからこそ、何としてでも晶を守らなければいけないと思った。
「あの人は……」
姫奈は振り返り、スタッフルームの扉を見た。
守るという決意こそ固いものの、まだ混乱している頭では言葉が続かなかった。
「あの人は、わたしのお姉ちゃんです!」
そんな中、咄嗟に浮かんだのがそれだった。
女性に向き直り、力強く言った。
「お姉さん?」
「わたし澄川姫奈の姉、澄川晶です! 姉妹ふたりでこのお店をやってるんです!」
姫奈自身、自分の言葉に笑いそうになりながらも我慢し、押し通した。
再度、スタッフルームの扉に目をやった。
「お姉ちゃん。雑誌の取材来てるけど、どうする?」
「押し売りと宗教勧誘と取材は問答無用で帰って貰いなさい」
晶の作った高い声に、姫奈は思わず吹き出しそうになった。
こんな臭い芝居でいいのかと思ったが、当の女性はポカンとしていた。
姫奈はキッチンカウンターから出て入り口に向かうと、扉を開けた。
「注文が無いのなら帰ってください! さあ!」
これで帰らないのなら、どうしようと思った。
ドクンドクンと自分の心臓の鼓動が聞こえ、開けた扉を支える手は今にでも震えそうだった。
「……また来ますからね」
女性は釈然としない表情で、店から出て行った。
扉を閉めると、姫奈は緊張感と勢いから開放され、腰が抜けそうだった。カウンターテーブルになんとかしがみつき、カウンターテーブル席に座った。
スタッフルームの扉が開き、晶が姿を現した。
耳の先まで顔が赤く、どこかそわそわした様子だった。




