第21話
六月になった。
五月のカラッとした暑さから、徐々にジメジメとしてきたのを姫奈は感じた。
学校の制服は衣替えとなった。ブレザーを仕舞い、長袖のブラウスで登校した。
その日の放課後、アルバイト先に行くと、カウンター席に泣き崩れている客が居た。
姫奈は客の正体――どこからか聞きつけてやって来た天羽晶のファンだと察し、そそくさとスタッフルームに駆け込んだ。
晶の正体を知って以来、インターネットで出回っている天羽晶の情報をひたすら調べた。わざわざSNSのアカウントを取得し、ファンのコミュニティまでも確かめた。
その結果、少なくとも姫奈が調べた範囲では――天羽晶が生存している事、そしてこの店の事、どちらの情報もインターネット上には存在しなかった。
ファンである彼女達は、あくまでも『秘密』を守ったうえで慎重に情報を伝えているのだ。
麗美の事務所がどの程度操作しているのかは分からないが、マナーが良いなと姫奈は思った。
「お疲れ様です」
客が帰ったのを見計らって、姫奈は店内に姿を出した。
赤色と白色と青色のハーバリウムが飾られたカウンターテーブルを拭き、グラスを下げた。
「最近、よく来ますね」
「どう伝わってるのか知らんけど、普通の客とバッティングしないのが幸いだな」
疲れたと言わんばかりに、晶はテーブル席に腰掛けた。
「現在みたいに、夕方ぐらいに来てくれると助かるんですけどねぇ」
皮肉な事に、姫奈がアルバイトに来る十六時頃が一番空いていた。それから閉店の十八時までは、ほとんど来店が無かった。
とはいえ、この時間帯にファンが来るのをよく見かけるので、意外と時間指定も込みで伝わっているのかもしれないと姫奈は思った。
「おおっ。今日も二本売り切れたんですね」
洗い物に取り掛かろうとしたところ、キッチンシンクには、空のガラスボトルが二本置かれていた。
一本に四杯分の水出しアイスコーヒーが抽出されていたものだった。
表のメッセージボードに『八杯限定』と書かれている通り、用意した分はここのところ毎日完売していた。
「どうです? 三本目いきませんか?」
「これ以上重いのは勘弁してくれ」
現在は、冷蔵庫に八時間の抽出として作っていた。そのため、晶が自宅で就寝前に仕込み、翌日に店まで運ぶという段取りだった。
「ちなみにですけど、ちゃんと八時間でボトルから粉のフィルター抜いてます?」
「……こっちは人間なんだ。ちょっとオーバーすることだってある」
時間にルーズな晶とはいえ、八時間なら問題無いだろうと姫奈は思っていたが、それでも難しかったようだ。
「確か豆の煎り方の問題なんですけど、十六時間コースも可能らしいんですよ。わたしが十八時に店で仕込むんで、晶さんは翌朝十時までに来てください。――そっちの方がいいですか?」
一般的に水出しには深煎りが良いと言われているので、姫奈はそれに従っていた。
しかし、浅煎りにすることにより抽出時間を倍に伸ばせると最近知った。
ただ、その分味がすっきりとしたフルーティーなものになるので、それに合う豆を用意しないといけないが。
「そういうのはもっと早く言えよ……。そっちにしてくれ。現在よりはまだラクだと思う」
晶は気だるそうな声だった。
そのせいで本当に出来るのか姫奈は心配になったが、それでも晶を信じる他は無かった。
「わかりました。そっちの準備しておきます。――あっ、そうだ」
頭の中で予定を付け加えた際、ふと思い出した。
「次の週末にでも晶さんの夕飯作ろうと思うんですけど……」
夕陽に照らされた晶の泣き顔が、現在でも脳裏に焼き付いていた。
そんな晶を抱きしめた感触を、現在でも覚えている。
晶の体調がこうして回復したとはいえ、まだ不安が拭い切れなかった。
どうにかして晶を励ましたいと考えていると、ご飯を作るという約束を思い出した。――晶の方は覚えているのか分からないが。
「また急だな」
「もしかして先約ありました? 来週にしましょうか?」
「悲しいことに、私のスケジュール帳はほぼ空白でな。……部屋を片付けるのが面倒なだけだ」
「それは充分に分かってるんで結構です。というか、もっと別のところを気にしてください」
ワンルームでもないのにリビングにベッドを置いている事は何も思わないんだな、と姫奈は呆れた。
「それで……晶さんの好きな食べ物は何ですか?」
「甘いの全般。ここ最近は物凄くドーナツが食べたい。もっちりしたやつとか、クリーム入ってるやつとか」
「それは知ってます。――夕飯として何が食べたいのか、教えてください」
インターネットで調べると、確かに天羽晶が甘いもの好きという情報が載っていた。
そういうキャラクターを作っている節を、姫奈は疑っていた。しかし、以前は昼食代わりにケーキを食べていた事といいこの発言といい、どうやら本当のようだ。
「うーん……。そうだな、ハンバーグが食べたい」
晶は腕を組んでしばらく悩んだ末、姫奈にとって意外な答えを出してきた。
元トップアイドルだからさぞ洒落た料理名が出てくると、姫奈は身構えていた。
「えっ、ハンバーグですか? 適当言ってません?」
「バカ言うな。ハンバーグというのはな、主に三種類がある。まず、そこそこのレストランで食べる高級なやつ。次に、もう何年も食べてないが――ファミレスの不味いやつ。そして最後に、家庭の手作りのやつだ。そのどれもが、違った美味しさがある。分かるか?」
「晶さんみたいに舌肥えて無いんで、ぜんっぜん分かりません」
不味いと言っているのに美味しいとはどういう事だろうと、理解に苦しんだ。
「せっかくだから『ザ・家庭料理』が食べたいんだよ。何ならカレーでもいいぞ」
そういうことか、と姫奈は納得した。
「要するに、誰かの手作り料理に飢えてるんですね。わかりました――リクエスト通り、ハンバーグにします」
姫奈の中ではカレーの方が簡単そうなイメージがあったが、真っ先に挙げたものを汲んだ。
何であれ、晶の望むものを食べて貰いたかった。
「それにしても……。出てくるものが、甘いものにハンバーグにカレーに……晶さんって子供みたいですね」
「うるさい!」
歳不相応のチョイスで可愛いな、と微笑ましかった。




