第20話
一年前。
一栄愛生の葬儀は、身内のみで静かに執り行われた。
葬儀の後、事務所での彼女の片付けが全て終わったわけではないが、その日は遅くなったので麗美は結月を送り届けた。
二扉二席のスポーツタイプの愛車を運転しながら、もう私達を送り届けてくれる人は居ないのだと、麗美は実感した。
助手席の結月のすすり泣く声を聞きながら、麗美は無言で運転していた。
結月の自宅とは別方向――大きな橋を渡り、サイドミラーで後続車が居ない事を確かめると、河川敷の公園に停まった。
「外の空気吸って、話をしようか」
涙を拭いながら、結月は頷いた。
喪服姿のままふたりで少し歩き、公園のベンチに腰掛けた。深夜帯のせいか、他に人気は無かった。
――ファンから復帰を期待されても辛いから、死んだ事にしてくれ。
晶は大怪我のため病院のベッドから動けなかった。愛生の葬儀後に訪れると、晶はそう言った。
片方の瞳を失い、残されたもう片方は死んでいた。
麗美は、晶の復帰は無理だと悟った。それどころか、愛生の後を追わないか心配になり、病院側に厳重な注意を促した。
出来ることなら、付きっきりで看病をしたかった。しかし『残された側』として、やらなければいけない事は山積みだった。
夜が明けると、結月と会見に臨む。天羽晶の事故死、そしてRAYの解散を世間に報じる。
活動十年目を目前とした、突然の終わり。どうしようもなかった結末に、麗美は悔やんでも悔やみきれなかった。
麗美は一栄愛生の死とRAYの終焉に対し、泣かなかった。泣けなかった。これからの事を考えると、周囲に少しでも不安な様子は見せられなかった。泣きたい気持ちを抑え、耐えた。
「私は経営側に回るよ。どんなポジションを用意してくれるのか、分からないけど……。とにかく、事務所を守ることに専念したい。たぶん、私が表舞台に立つ以上に貢献できると思う」
RAYが抜けることで事務所がどれだけの痛手を食らうのか、麗美には安易に想像出来た。
RAYのメンバーとして歳を重ねるにつれ、リーダーの林藤麗美は三人の中であらゆる数字に敏感になっていた。『凡人』として成長した事も関係するだろう。マネージャーであった一栄愛生や経営側に近い目線で、物事を考えるようになっていた。
それに――もしもこの事務所が無くなれば、RAYは本当に終わってしまう気がした。それだけは、何としてでも阻止したかった。
「結月には、出来ればこのままソロでタレントとして続けて欲しい。マネージャーは私がやるし、全力でバックアップする。私達ふたりなら、まだまだいけるでしょ?」
身勝手な願いだとは分かっていた。
晶の他に自分まで表舞台から降り、ひとり取り残すのだから。もし自分が結月の立場なら、きっと断っていただろう。
だが、結月は断らない。
九年の付き合いから、麗美は確信していた。
「無理にとは言わないよ。結月がここで降りるのも、自由だから……」
そう付け足すのは汚いやり方だな、と思った。
「――ふたつ、条件があるわ」
結月は涙を拭い、顔を上げた。
堅い決意の宿った瞳で、麗美を見上げた。
「まず、ひとつ。私は麗美ちゃんのことが好き。だから、この気持ちを汲んで、私と付き合って」
「……え?」
突然の告白に、麗美は静かに驚いた。
重い緊張感を持っていたからこそ、言葉の内容を冷静に理解出来た。
「うん。私も、結月のこと好きだよ? これだけ長いこと一緒に居たら、腐れ縁じゃん」
嫌な予感を押し退け、わざとらしくとぼけた。
「私と同棲すること。私とキスもセックスもすること。――言ってる意味、わかる? 私の『好き』はそういうことよ?」
しかし、結月は実にわかりやすい言葉で本心を伝えてきた。
一体、いつから――
麗美は頭を掻きながら結月との記憶を振り返るが、それといった予兆は思い当たらなかった。
結月は真っ直ぐに麗美を見ていた。決して冗談を言っている様子ではなかった。
ファンレターで、同様の感情を向けられたことがあった。顔も知らない距離から、絶対に届かないと流していた。
だが現在は、最も近い人間からだった。
結月のことは『嫌い』ではなかった。かといって結月と同じ『好き』でもなかった。
本音は『わからない』だった。
「結月の気持ちはわかるよ……。でも正直、私はそういう風に結月を見れない」
麗美は現在が交渉の場だということを忘れていなかった。提示された条件を断り、決裂させるつもりは無かった。
別の着地点を探していた。
「麗美ちゃんは、私のこと嫌い? 正直に答えて」
「嫌いなわけないじゃん。それは本当だよ」
「それじゃあ、私を好きになるよう――愛するよう、努力なさい。あなたは今までずっと努力してきた人なんだから、出来るでしょ?」
結月と晶から引き離されないよう、麗美は『凡人』としてふたりの何倍も努力を重ねてきた。その結果、努力さえすれば何だって出来る自信が芽生えていた。
そう。結月の条件を飲むこと自体は『不可能ではない』と見透かされていた。
そして――事務所を守る立場上、絶対に断れないことも。
「……ちなみに、もうひとつの条件は何?」
麗美は敢えて返事をせず、訊ねた。
「明日の会見で、私に恋人が居る事を言うわ。……麗美ちゃんの名前は出さないけどね。本当言うと、周りに認めて貰いたいし祝福だってされたい。でも、それが無理な話だって分かってるから――これが、せめてもの落とし所よ」
また無茶苦茶な事を言ってるな、と思った。
三人共、この九年間で色恋沙汰の話は一切無かった。だからこそ、その発表は大きなイメージダウンとなる。
しかし――九年という時間を活動してきたこと。そして、二十四歳という年齢であること。その二点から、恋人が居ても不自然ではなかった。
それに、解散と晶の件と同時に発表することにより、幾らかは和らげる。
確かに大ダメージを受けるが『即死』には至らないと試算した。首の皮一枚でも繋がれば、ある程度の挽回は可能だとも思った。
「……それで結月は、本当に頑張れるんだね?」
その確認に、結月は頷いた。
大きな河の向こう、都心の明かりを見下ろすように、丸い月が浮かんでいた。
とても綺麗だった。
事務所のためだから――最後に麗美は自分に言い聞かせ、結月の唇にそっとキスをした。
「この歳にもなって、初めてだよ」
「……私もよ」
結月の瞳に、涙が溢れてきた。
麗美は冗談のように笑いたいのに、笑えなかった。RAYの終焉と置かれた立場から、泣きたいのに泣けなかった。
結月もまた、悲しさと嬉しさが入り混じって複雑な気持ちなのだと思った。
――泣きそうになっている結月を、大事な仲間を大切にしたいと思う気持ちは、本物だった。
「あんたのこと、好きになれるように頑張るから……」
結月をそっと抱きしめ、麗美は『契約』を交わした。
麗美にとって大切な全てを守るために。
次回 第09章『思い描く将来図』
姫奈は学校の進路面談にあたり文理選択を迫られたが、決めかねていた。ある日、晶に夕飯を作り、ふたりで食べる。




