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胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
第08章『太陽と月(前)』
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第20話

 一年前。

 一栄愛生の葬儀は、身内のみで静かに執り行われた。

 葬儀の後、事務所での彼女の片付けが全て終わったわけではないが、その日は遅くなったので麗美は結月を送り届けた。


 二扉二席のスポーツタイプの愛車を運転しながら、もう私達を送り届けてくれる人は居ないのだと、麗美は実感した。

 助手席の結月のすすり泣く声を聞きながら、麗美は無言で運転していた。

 結月の自宅とは別方向――大きな橋を渡り、サイドミラーで後続車が居ない事を確かめると、河川敷の公園に停まった。


「外の空気吸って、話をしようか」


 涙を拭いながら、結月は頷いた。

 喪服姿のままふたりで少し歩き、公園のベンチに腰掛けた。深夜帯のせいか、他に人気は無かった。


 ――ファンから復帰を期待されても辛いから、死んだ事にしてくれ。


 晶は大怪我のため病院のベッドから動けなかった。愛生の葬儀後に訪れると、晶はそう言った。

 片方の瞳を失い、残されたもう片方は死んでいた。

 麗美は、晶の復帰は無理だと悟った。それどころか、愛生の後を追わないか心配になり、病院側に厳重な注意を促した。

 出来ることなら、付きっきりで看病をしたかった。しかし『残された側』として、やらなければいけない事は山積みだった。


 夜が明けると、結月と会見に臨む。天羽晶の事故死、そしてRAYの解散を世間に報じる。

 活動十年目を目前とした、突然の終わり。どうしようもなかった結末に、麗美は悔やんでも悔やみきれなかった。

 麗美は一栄愛生の死とRAYの終焉に対し、泣かなかった。泣けなかった。これからの事を考えると、周囲に少しでも不安な様子は見せられなかった。泣きたい気持ちを抑え、耐えた。


「私は経営側に回るよ。どんなポジションを用意してくれるのか、分からないけど……。とにかく、事務所を守ることに専念したい。たぶん、私が表舞台に立つ以上に貢献できると思う」


 RAYが抜けることで事務所がどれだけの痛手を食らうのか、麗美には安易に想像出来た。

 RAYのメンバーとして歳を重ねるにつれ、リーダーの林藤麗美は三人の中であらゆる数字に敏感になっていた。『凡人』として成長した事も関係するだろう。マネージャーであった一栄愛生や経営側に近い目線で、物事を考えるようになっていた。

 それに――もしもこの事務所が無くなれば、RAYは本当に終わってしまう気がした。それだけは、何としてでも阻止したかった。


「結月には、出来ればこのままソロでタレントとして続けて欲しい。マネージャーは私がやるし、全力でバックアップする。私達ふたりなら、まだまだいけるでしょ?」


 身勝手な願いだとは分かっていた。

 晶の他に自分まで表舞台から降り、ひとり取り残すのだから。もし自分が結月の立場なら、きっと断っていただろう。

 だが、結月は断らない。

 九年の付き合いから、麗美は確信していた。


「無理にとは言わないよ。結月がここで降りるのも、自由だから……」


 そう付け足すのは汚いやり方だな、と思った。


「――ふたつ、条件があるわ」


 結月は涙を拭い、顔を上げた。

 堅い決意の宿った瞳で、麗美を見上げた。


「まず、ひとつ。私は麗美ちゃんのことが好き。だから、この気持ちを汲んで、私と付き合って」

「……え?」


 突然の告白に、麗美は静かに驚いた。

 重い緊張感を持っていたからこそ、言葉の内容を冷静に理解出来た。


「うん。私も、結月のこと好きだよ? これだけ長いこと一緒に居たら、腐れ縁じゃん」


 嫌な予感を押し退け、わざとらしくとぼけた。


「私と同棲すること。私とキスもセックスもすること。――言ってる意味、わかる? 私の『好き』はそういうことよ?」


 しかし、結月は実にわかりやすい言葉で本心を伝えてきた。

 一体、いつから――

 麗美は頭を掻きながら結月との記憶を振り返るが、それといった予兆は思い当たらなかった。

 結月は真っ直ぐに麗美を見ていた。決して冗談を言っている様子ではなかった。


 ファンレターで、同様の感情を向けられたことがあった。顔も知らない距離から、絶対に届かないと流していた。

 だが現在は、最も近い人間からだった。

 結月のことは『嫌い』ではなかった。かといって結月と同じ『好き』でもなかった。

 本音は『わからない』だった。


「結月の気持ちはわかるよ……。でも正直、私はそういう風に結月を見れない」


 麗美は現在が交渉の場だということを忘れていなかった。提示された条件を断り、決裂させるつもりは無かった。

 別の着地点を探していた。


「麗美ちゃんは、私のこと嫌い? 正直に答えて」

「嫌いなわけないじゃん。それは本当だよ」

「それじゃあ、私を好きになるよう――愛するよう、努力なさい。あなたは今までずっと努力してきた人なんだから、出来るでしょ?」


 結月と晶から引き離されないよう、麗美は『凡人』としてふたりの何倍も努力を重ねてきた。その結果、努力さえすれば何だって出来る自信が芽生えていた。

 そう。結月の条件を飲むこと自体は『不可能ではない』と見透かされていた。

 そして――事務所(いばしょ)を守る立場上、絶対に断れないことも。


「……ちなみに、もうひとつの条件は何?」


 麗美は敢えて返事をせず、訊ねた。


「明日の会見で、私に恋人が居る事を言うわ。……麗美ちゃんの名前は出さないけどね。本当言うと、周りに認めて貰いたいし祝福だってされたい。でも、それが無理な話だって分かってるから――これが、せめてもの落とし所よ」


 また無茶苦茶な事を言ってるな、と思った。

 三人共、この九年間で色恋沙汰の話は一切無かった。だからこそ、その発表は大きなイメージダウンとなる。

 しかし――九年という時間を活動してきたこと。そして、二十四歳という年齢であること。その二点から、恋人が居ても不自然ではなかった。

 それに、解散と晶の件と同時に発表することにより、幾らかは和らげる。

 確かに大ダメージを受けるが『即死』には至らないと試算した。首の皮一枚でも繋がれば、ある程度の挽回は可能だとも思った。


「……それで結月は、本当に頑張れるんだね?」


 その確認に、結月は頷いた。

 大きな河の向こう、都心の明かりを見下ろすように、丸い月が浮かんでいた。

 とても綺麗だった。


 事務所のためだから――最後に麗美は自分に言い聞かせ、結月の唇にそっとキスをした。


「この歳にもなって、初めてだよ」

「……私もよ」


 結月の瞳に、涙が溢れてきた。

 麗美は冗談のように笑いたいのに、笑えなかった。RAYの終焉と置かれた立場から、泣きたいのに泣けなかった。

 結月もまた、悲しさと嬉しさが入り混じって複雑な気持ちなのだと思った。

 ――泣きそうになっている結月を、大事な仲間を大切にしたいと思う気持ちは、本物だった。


「あんたのこと、好きになれるように頑張るから……」


 結月をそっと抱きしめ、麗美は『契約』を交わした。

 麗美にとって大切な全てを守るために。

次回 第09章『思い描く将来図』

姫奈は学校の進路面談にあたり文理選択を迫られたが、決めかねていた。ある日、晶に夕飯を作り、ふたりで食べる。

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