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胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
特別編
113/113

第九十六話(完)

 十二月二十四日。

 午後六時頃に飛行機が降り立ち、姫奈は帰国した。

 それから長い到着手続きを済ませると、空港から電車に乗った。

 一度帰宅してもよかったが、午後八時になろうとしていたため、その足でstella e principessaに向かった。

 結局、着いたのは午後八時過ぎ――閉店直後だった。


「ただいま! みんな、ありがとう。一週間、迷惑かけたね」


 姫奈は『closed』の札が揺れる扉を開けると、元気よく挨拶した。


「おかえりなさい!」

「あっちはどうでしたか?」


 レジやキッチンで後片付けをしていた従業員達が手を止めた。


「向こうは真夏だったからねぇ。時差ボケよりも、気温の差が堪えるよ」


 あちらの国は半袖で過ごせるほどの暑さだったが、それでもクリスマスを祝う雰囲気だったため、おかしな感じだった。

 そして、体感の寒暖差がとても大きく、この国の冬はこれほど寒かったのだと、改めて感じた。


「チーフ! あたし、やりましたよ!」


 キッチンで洗い物をしていた従業員から、声をかけられた。

 黒髪の少女――誰だろうと姫奈は思うも、それが新宮天使(しんぐうあんじぇら)だとすぐに理解した。


「あんちゃん! すっごく似合ってるよ!」


 別人のように姿が変わっているのを見ると、彼女の中で大きな心変わりがあったようだ。姫奈は、それがまるで自分のことのように嬉しかった。


「お疲れさん」


 入り口で立ち尽くしていた姫奈に、小柄な女性が近づいた。

 一週間離れ――姫奈が現在最も会いたい人物だった。


「マスター、ただいま戻りました」

「ああ。おかえり」


 優しく微笑む晶に今すぐにでも抱きつきたかったが、従業員が居る手前、我慢した。


「今日はもう遅いんで、皆にお土産だけ配りますね」


 姫奈は床でキャリーケースを開けると、従業員への土産を取り出した。

 ココナッツのチョコレート菓子、パイナップルのドライフルーツ、マテ茶のティーパック、オーガニックコスメ。いくつかあるそれらを、テーブルに並べた。


「お土産というより、クリスマスプレゼントになるのかな。みんな、ひとつずつ取ってね」


 片付け作業は一旦中断となり、従業員達がテーブルに集まった。

 天使もその中に入ろうとしたところで、姫奈は肩を掴んだ。


「はい。あんちゃんはこれ」


 姫奈は天使の右手首に、麻を編み込んだ紐状のものを巻いた。


「わぁ。これって、アレですよね?」

「あっちでは有名なお守りだね。願いを込めて、叶ったら切れるってやつ。まあ、四六時中着けてることもないからね」


 所詮は迷信に過ぎないが、希望が必要な少女にはこれを託したかった。

 天使は物珍しそうに触るも、どこか浮かない表情だった。


「チーフ……。あたし、今日コクって、上手くいきましたよ! 願いが叶ったばっかりなんです」

「やったじゃん! でも、これがゴールじゃないよね? あんちゃんのこれからの夢が見つかったら、願掛けするといいよ」


 ひとまず、天使の目先の目標が達成されたようで、姫奈としても嬉しかった。この容姿と告白は、少女が自信を持てた証拠だった。

 だが、これで終わりではない。かつての自分がそうであったように――先の見えない長い道を、この少女がどのように歩むのか、姫奈は見守りたかった。


「はい! ここでの経験は忘れません! これからも頑張ります!」


 ぱっと表情の明るくなった天使から、姫奈は頭を下げられた。


「コクったって……私の知らない人間だったのか。まあ、高校卒業して、もしバイトに困ったら……ウチに来い。今度はちゃんと雇ってやる」


 ふと、晶が隣に立った。

 晶がこうして誘うということは、自分が不在の間に天使を認めたのだと、姫奈は嬉しかった。


「マスター! まだ分かりませんけど、その時はお世話になります!」


 天使は礼儀正しく、晶にも頭を下げた。

 晶の言葉を他の従業員達も聞いていたようで、天使は彼女達からも、卒業したらおいでと誘われた。

 その様子を見て、姫奈は静かに微笑んだ。晶だけではなく、皆からも歓迎されていることに、天使の成長を改めて感じた。


「そうだ。わたしが美味しいと思ったコーヒー豆のサンプルを貰いました。もしよかったら、仕入れを考えてくれると嬉しいです」


 姫奈は、コーヒー豆の入った袋をいくつか取り出した。

 晶にも早く紹介したかったので、航空便の荷物ではなく手荷物として持ち帰った。


「海外からの直輸入か……。いい感じじゃないか」

「わたしも直に話したんで、経路は確保できそうです。面倒なところを振って悪いですけど、詰めのところをお願いします」

「ああ。値段の交渉も任せろ」


 締結となれば姫奈は何も出来ないので、晶の存在が頼もしかった。

 普段から世話になっている卸業者の他に、海外からの経路を作るとなれば、仕事として面白かった。


「そんな晶さんへのクリスマスプレゼントは、これです!」


 姫奈はキャリーケースから、一本の大きな瓶を取り出した。


「特産のお酒ですよ!」

「なかなか良いチョイスじゃないか。あの国の酒は、たぶん飲んだことないからな……。どんな味か、楽しみだよ。ありがとうな」


 予想通り、晶は喜んだ。

 姫奈は現地で、ライムと砂糖とのカクテルで飲んだ。癖が無く美味しかったので、お酒好きの晶にも飲ませたいと思い、これを選んだ。


「それにしても……。これだけ買ってきたら、手荷物検査に手間取っただろ?」

「はい。そのせいで、これだけ遅くなりました。何も引っかからなかったんで、よかったですよ」


 空港での到着手続きを思い出し、姫奈は苦笑した。

 特にコーヒー豆の袋は怪しまれ、念入りに検査された。


「まあ、今夜はクリスマスですし、早速これ飲みましょう」

「そうだな……」


 姫奈は酒瓶を、再びキャリーケースに仕舞った。疲れているが、帰宅後が楽しみだった。

 それからしばらくすると閉店後の片付けが終わり、姫奈は晶と最後の戸締まりをした。


「なあ。今からちょっと、デートしないか? 行きたい所があるんだが……」

「クリスマスデートですか。いいですね」


 晶の提案に、姫奈は頷いた。

 stella e principessaの周りは、他にも色んな店が立ち並ぶ通りとなっていた。午後九時を回った現在もクリスマスの雰囲気が続き、きらびやかだった。まだ大勢の人達で賑わっていた。

 その中を、姫奈は晶と手を繋いで歩いた。


 行き先は訊かなかったが、やがて電車の駅に着いた。駅のコインロッカーにキャリーケースを預け、電車に乗った。

 電車、そしてモノレールに乗り継ぎ――向かっている方向から、姫奈は行き先を理解した。

 予想通りの駅で降りた。高校に通っていた三年間、毎日降りていた駅だった。

 しかし、高校とは逆方向に向かった。姫奈としても、そちらの印象の方が強かった。


 寒空の下、晶と手を繋いで大きな橋を渡った。

 たとえ暗くとも、かつて見ていた景色が懐かしかった。五年前から、何も変わっていなかった。

 変わったものは――シャッターの降りたテナントが並んだ中で、ひとつだけが営業していた。

 少し離れたところで立ち止まり、姫奈は晶と店の明かりを眺めた。


「どうします? 入りますか?」


 かつてEPITAPHと呼ばれていたカフェは、現在はバーらしき店に様変わりしていた。

 姫奈はこの現状を初めて知った。晶の引っ越し以降ここを訪れることも無かったので、去った後のことは何も知らなかった。


「いや……やめておく」

「わたしも同じ意見です」


 おそらく変わったであろう現在の店内を見るのが、嫌だった。あそこでの三年間は、大切な思い出として仕舞っておきたかった。

 それは晶も同じのようで、ふたりで顔を見合わせて苦笑した。


 それから、再び歩き出した。

 すぐ近くにある埠頭――鉛筆のような尖った屋根の建物が、ライトアップされていた。

 その下の広場もまた、暖色の明かりに照らされていた。とても綺麗な所だが、相変わらず人気が無かった。


 緩やかな階段状の広場を降り、端の――海に面した柵で立ち止まった。

 かつて、医療用眼帯を着けたプラチナベージュのショートボブの小柄な女性が、ここでよく煙草を吸っていた。煙草を口に咥えると、ライターで火を点けるのが自分の役目だった。

 その女性は現在、医療用眼帯を外し、プラチナベージュのロングヘアーとなっていた。ロイヤルブルーの大判のマフラーを、髪の上から巻いていた。


「すいません。ライター持ってないです」

「あー……そんな大昔のことは思い出さなくてもいい。というか、煙草を吸う気分でもない……」


 珍しいなと思い、姫奈は晶を改めて見ると、なんだかそわそわした様子だった。


「ここも、久しぶりに来るといい感じですね……。ありがとうございます」


 しかし現在はそれを気にするよりも、この静かな雰囲気に浸りたかった。

 晶をそっと抱きしめるが――晶からすぐに引き離され、向き合うように立たされた。


「なあ。お前とも、長いよな……。数えたら、もう八年になるんだよ」


 広場に設置された高所からの照明が、晶の顔を照らした。

 晶はやはりどこか落ち着かない様子だった。一度は俯くも、不安そうな目で見上げた。


「八年ですか……。長いようですけど、あっという間でしたね」


 改まって何だろうと姫奈は首を傾げながら、晶を見下ろした。

 晶と八年の時間を過ごしてきたが、やはりこの場所での思い出が、特に感慨深かった。

 この場所で出会い、そして――


「別に、キリのいい数字でも節目というわけでも無いんだが……。これが今年の、私からのクリスマスプレゼントだ」


 晶はダウンジャケットのポケットから、明るい緑色の箱を取り出した。

 それはどうやら化粧箱のようで、中には黒色の箱が入っていた。

 さらにその中には――ふたつの指輪が入っていた。


「晶さん……」


 姫奈は息を詰まらせ、両手で口を覆った。

 瞳の奥が熱かった。頭がどうにかなりそうなほど嬉しかった。


 八年前と同じだった。まるで、あの時の再現のようだった。

 違うのは、指輪だった。

 白金のそれは現在嵌めているものよりも細く、よりシンプルなデザインで――ブリリアントカットされた小さなダイヤモンドが、輝いていた。

 全く同じ指輪が、ふたつあった。

 アクセサリーとして着けるものではないと、姫奈はすぐに理解した。日常での使いやすさを追求したものだった。

 そう。この指輪が意味するものは――


「ダメです。ちゃんと言ってください。晶さんの気持ちを、わたしに聞かせてください」


 瞳が潤むのを、姫奈は感じた。

 口を覆う両手で顔を隠したかったが、照れ臭そうにしている晶を真っ直ぐ見つめた。

 晶の気持ちを確かめたかった。


「私の人生に付き合ってくれて、ありがとう……。これからも付き合って欲しいし、私もお前の人生に付き合いたい……。姫奈……私は、お前と同じ人生(みち)を歩きたいんだ!」


 白い息と共に、その言葉が届いた。

 滲んだ視界の向こう――晶の真っ直ぐな瞳が見えた。

 自分の瞳から溢れ出した感情を、姫奈は両手で受け止めて俯いた。


「晶さん……わたし……わたし!」


 笑顔で応えたいのに、嬉しくてたまらないのに、呼吸が乱れた。

 何かを考える余裕は無かった。この気持ちを表現する言葉が浮かばなかった。


「お前のこと、初めて泣かせてしまったな……」


 姫奈の耳に、晶の苦笑する声が聞こえた。

 晶の前で泣いたのは、確かに初めてだった。いや――泣くこと自体いつ以来だろうと、姫奈は思った。


「いつも、晶さんがわたしの分まで泣いてくれていましたから……」


 辛くて泣きたい時は、現在まで何度かあった。

 しかし、それらの場面は晶が先に泣いていた。そんな晶を支えるため、泣けなかった。


「もう我慢しなくたっていいんだ……。これからは、お前の涙を私に拭わせてくれ」


 晶から両手を掴まれ――顔から離された。

 最高に格好悪い顔を愛する人に見られたと、姫奈は恥ずかしかった。


 しかし、優しく微笑む晶が、ぼんやりと見えた。

 晶の指先が伸びてきた。手首に巻かれたチェーンブレスレットの青い宝石が揺れるのが、涙越しに見えた。

 細い指先はとても冷たく、とても温かかった。

 涙をそっと拭われた。呼吸もようやく落ち着いた。


「一緒に笑って、一緒に泣いて……どんな時も、お前と一緒に居たい。私と家族になって欲しい……」


 家族。この指輪の意味を、改めて言い表された。

 恋人として八年間交際し、内五年間を同じ部屋で暮らしてきた。特に遠慮の無い間柄だったが、それでも血縁の無い他人として、どこかで一線を引く部分はあった。

 晶の前で泣かなかったのも、きっとそのひとつだった。

 家族になるというのは、それを取り払い――そして、以降一生をその関係で居続けるという未来への確約を行うのだと、姫奈は思った。

 現在までの状況と似ているようで、確かに違った。


「……わたしでいいんですか?」

「お前じゃなきゃダメなんだよ!」


 思った通りのふたつ返事だった。意地悪な質問をしたと姫奈は思った。

 ――この喜びを、確かめたかった。

 再び、目尻から溢れたものが頬を伝った。


「こんなものに、何の意味も無いのかもしれない……。それでも……お前のことは、これからもずっと愛してる」


 晶に左手を掴まれ――薬指に、指輪を嵌められた。

 小さな指輪の小さな輝きが、とても綺麗だった。

 軽いが、確かに重かった。言葉だけではない晶の気持ちを、こうして受け取った。

 晶からの愛情は、これまで幾度となく感じてきた。それらを家族になるという『覚悟』が昇華し、こうして形作ったように見えた。

 しかし、薬指にこうして宿るものは決して重荷ではなく、これからもずっと大切にしたいものだった。


「わたしは晶さんの側に一生居ます……。だから、晶さんもわたしの側に一生居てください!」


 姫奈もまた、これまでの気持ちと――これからの『覚悟』を指輪に込め、晶の左手薬指に嵌めた。

 自分の人生を、これから一生の問題を、このように簡単に決めていいのかという躊躇は意外にも無かった。

 迷いなど無かった。あるはずが無かった。

 これは、目の前の人間と一生を添い遂げたいという――心からの『願い』なのだ。


「ありがとう……」


 晶は頷くと、指輪を見せるように左手を上げ、子供のように無邪気に笑った。

 姫奈もまた同じようにし、涙を流しながら微笑んだ。


 こうして『誓い』を交わした。

 法的な家族にはなれない。しかし、当事者間での気持ちは固く結ばれたと、姫奈は感じた。


「晶さん!」


 姫奈は晶を正面から抱き締め、キスをした。


 この人と出会えてよかった。

 この人を愛してよかった。

 この人の前で涙を流せてよかった。


 幸せだった。二十三年の人生で、きっと現在が最も幸せな瞬間だった。

 否、これからも幸せな日々を続けたいと思った。

 左手の指輪も愛する人も、一生大切にし、離したくなかった。

 それは晶も同じようで――正面から、強く抱き締められた。


 こうして、八年振りに再び最高のクリスマスが訪れた。

 そして、季節が暖かくなり、春が巡る頃――ふたりは純白のドレスを纏い、神の前で改めて誓いを立てた。

surely have a bright future.


続あとがき

https://note.com/htjdmtr/n/n17b1f2b6fe2e


and the sun falls, a long night begins.


新作予告編『魔女は黄昏に笑う』 

明日12.25公開

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― 新着の感想 ―
[一言] わぁー!!!!!!!完結お疲れ様です! すごく楽しませてもらいました! 素敵なクリスマスプレゼントありがとうございます!!!!
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