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胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
特別編
111/113

第九十四話

 十二月になった。

 stella e principessaの店頭にはクリスマスツリーが飾られていた。期間限定メニューであるフランボワーズブランモカの売上は、今年も好調であった。

 夕方、姫奈はスタッフルームに休憩に入ると、新宮天使(しんぐうあんじぇら)がテーブルで教科書とルーズリーフを広げていた。


「あんちゃん、お疲れさま。宿題?」

「お疲れさまです。期末試験中なんで、その勉強ですよ」

「へー。試験期間なのに、こんな所に居ていいの?」


 自分も試験期間はアルバイトに明け暮れていたことを思い出しながら、姫奈は天使の正面に座った。


「日頃からそれなりに勉強してるつもりなんで、大丈夫です」


 その言葉を確かめるように、姫奈はルーズリーフに目を落とした。

 天使は数学の問題を解いていたようで、数式がずらりと書かれていた。手順をいくつか飛ばした強引な解き方だったが、筋が通っていることはまだ理解出来た。


「なんていうか……天使ちゃんって、頭良いんだね」


 問題自体も難しかった。それ以上に、同年代の学生が天使の数式を見たところで理解に苦しむだろう。それほどまでに難度の高い解法だった。


「でもさ。これをこうすれば――もうちょっとラクになるんじゃない?」


 姫奈は天使のペンケースから赤色のボールペンを取ると、数式の隣に独自の解釈を書いた。

 久々に見た数学の問題と天使の解法に、自分の中で燻っていたものが焚き付けられた。高校数学から離れて五年が経つが、まだ頭が追いつくことが姫奈としても意外だった。


「なるほど。超参考になりました! ていうか、チーフって頭もめちゃめちゃ良いじゃないですか! でも、確か……専学でしたっけ?」

「うん。夜間の専学だよ。高校卒業してから、ずーっとここで働いてるからね」


 申し訳無さそうに訊ねた天使に、姫奈は微笑んだ。


「経済的な事情で大学に行けなかったわけでもないから、気にしないで。あくまでも、わたしの意志で選んだことだよ」

「へぇ……。なんだか意外です」


 親や教師の他、同級生からも高校在学中に同じ反応をされたことを思い出した。

 大学に進学しないことが勿体ないという意図だったが、それでも自らの選択を貫いた。現在も、その選択に後悔は無かった。


「わたしにしてみれば、あんちゃんこそ頭良くて意外だよ。失礼な言い方だけど……ギャルっぽいから……」


 姫奈は天使の目を見たまま、正直に言った。

 高校生にしては明るい髪色と派手な化粧、着崩した学制服――外観では『頭は良くない』という印象だった。

 思い返せば、片鱗はあった。少なくとも自分の下では礼儀正しく、しっかりとした勤務態度だったが、義に厚い性格なのだと思っていた。現在思えば、人間が出来ているからこそなのだ。

 そう。根は真面目なこの少女が、なぜこのような格好をしているのか――それが現在の疑問だった。


「ああ。これですか? 周りに合わせているだけですよ。こうしておけば、浮くことは無いんで」


 天使は苦笑しながら、そう答えた。

 学校か、それとも女子高生という群れなのか――何が基準なのか姫奈には分からなかったが、目立つことを避けているのだと察した。


「というか……あたしに何が似合うのか、自分でも分からなくて……。結局は、ラクな方を選んでるだけですよ」


 そうか。この娘にとっての容姿は、わたしにとっての眼鏡と同じなんだ。この娘は本当に、わたしに似ている。

 改めて、姫奈はそう思った。


「あんちゃんは、きっと自分の姿に自信が無いだけだよ」

「自信ですか……。確かに、ありませんね」

「自分に似合うものが分からなくても――あんちゃんの中で『なりたい自分』は、あるんじゃない?」


 姫奈の言葉に、天使は大きく目を見開いて、静かに驚いた。


「チーフって、凄いなぁ……。あたしのこと、何でも分かるんですね」


 そして、再び苦笑した。

 自分のようになりたいと姫奈は天使から慕われているが、それは立ち振舞や雰囲気だった。それとは別に、具体的な目標像があるように思えた。


「あたし、本当言うと……普通の女子高生(JK)というか、清楚な感じに憧れてるんですよね」

「それなら何も難しくないんだし、髪だって黒に戻せばいいんじゃない?」

「でもでも! 清楚なJKって逆に腹黒っぽいというか、援助して貰ってるというか、ビッチっぽいというか……そんな気がしません!?」

「いや……それは全然無いけど……。むしろ、とんでもない偏見だと思うよ」


 この娘に一体何があってそのようなイメージを持つようになったのだろうと、姫奈は呆れた。

 偏見を正すため、ロッカーから携帯電話を取り出し、高校生の頃の写真を探した。

 丁度、卒業式の写真があった。黒髪、ナチュラルメイク、そして着こなした学生服。見るのも恥ずかしかったが、天使の言う『清楚な感じ』だと、姫奈は思った。


「わたしのJK時代なんて、こんなのだよ?」

「わぁ……。髪、長かったんですね。というか、既にめちゃめちゃ大人な貫禄がありますね」

「そりゃ、卒業する頃だったから……」


 高校生活三年間ずっと、同級生からは女子大生やOLと言われていたが、黙っておいた。


「とにかく。これのどこがビッチっぽいの?」

「んー……。どことなく、計算高そうな感じしません?」

「……怒るよ?」


 半眼を投げかけると、天使から抑えてくださいと制された。

 確かに計算で行動していたこともあったため、姫奈にしてみれば、少なからず図星であった。


「あんちゃんは、すっぴんでも全然可愛いと思うけどなぁ。ナチュラルメイクの方が絶対に似合うって」


 細微ではなく派手な化粧だからこそ、逆に天使の素顔が想像しやすかった。

 姫奈はかつて悩んでいた童顔という点で見てしまうが――確かに天使は幼く見えるが、年齢や身長の相応であり、特に違和感は無く思えた。


「お世辞でも、ありがとうございます」

「お世辞なんかじゃないよ。あんちゃんに自信が無くても……このわたしが言ってるんだから、自信にならない?」


 姫奈は天使を真っ直ぐ見て、微笑んだ。


「あんちゃんは、頭が良くて真面目で頑張りやさんで――側で見てきたわたしが保証するから、もっと胸を張りなよ。何も恥ずかしがることなんて無い、堂々としていていい人間だよ」


 この少女と出会ってまだ日が浅いが、それは本心だった。

 本人に自信が無くとも、背中を押すに値する人間だと思った。自信を得るための『根拠』を与えなければいけなかった。


「チーフ……」


 天使は感極まった様子で、目尻に涙を溜めていた。泣くのをぐっと堪えていた。


「あたし……好きな人に告白しても(コクっても)いいような人間ですかね?」


 学校に好きな人が居るが、自分に魅力が無いから自信が持てない。

 天使がそのような悩みを持っていたことを、姫奈は思い出した。


「もちろん! あんちゃんは、魅力的な人間だよ! それに、自分の気持ちを伝えることに、誰かの許しなんて要らないんだから――相手が既に誰かと付き合っているなら、話は別だけどね」


 首を横に振って否定する天使に、姫奈はひとまず安心した。


「早く告白した方がいいとは言わないけどさ……後悔だけは無いようにね。と言っても、後悔は後から分かるんだけど……。わたしの経験からの、アドバイス」


 姫奈は決して恋愛経験が豊富ではないが、それだけが遠い昔の反省点だった。

 かつて、告白の勝算を模索したまま想いを伝えられず、苦しい思いをした。この少女には、そのような思いをして欲しくなかった。


「えっ、何ですか? 詳しく教えてくださいよ! チーフの恋バナ、聞きたいです!」

「んー……ヒミツ」

「えー。残念です」


 晶に気持ちを伝えた時のことは、今まで誰にも話したことが無かった。

 恥ずかしさもあるが、あの時の喜びは、大切な思い出として胸に仕舞っておきたかった。


「ですが、ありがとうございました! あたし、頑張ってみます!」


 天使はもう泣くのを堪える様子は無く、明るい表情で頷いて見せた。

 この元気なところも彼女の魅力のひとつだと、姫奈は思った。


「その調子だよ。上手くいくように、応援してるね」

「はい。もうクリスマスも近いんで……」


 天使の言葉に、姫奈は壁に掛かったシフト表に目をやった。

 まだ二十四日は空白だが、じきに埋まると思った。それほどまでに、時間の流れが早く感じていた。


「そっか……。もうクリスマスか……」


 姫奈は、右手薬指の指輪に触れた。

 これを好きな人から、気持ちの表れとしてクリスマスプレゼントで貰った。

 あれからもう、八年になる。短く感じた長い時間を、愛する人と過ごしてきた。


 これまでがそうであったから――これからもふたりの気持ちは変わらないだろうと、予感した。

 少なくとも、姫奈はそう信じていた。互いに指輪を嵌めたあの日のことを、冷たくて温かい指輪の感触を、現在でもはっきりと覚えていた。

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