表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
第32章『解散』
104/113

第87話

 三月三十一日の夜。

 麗美はEPITAPHから出ると、結月と自動車に乗り込んだ。

 ヘッドライトを点け、帰路を走り出した。


「……」

「……」


 車内では互いに無言だった。

 カーステレオも鳴らさず、自動車のエンジン音のみが重く響いていた。


 ようやくやり遂げた――

 麗美は達成感を味わいながら、ハンドルを握っていた。


 二年前、天羽晶と一栄愛生の事故によりRAYは解散した。

 しかし、あの突然の終焉に麗美は納得できなかった。悔やみきれなかった。

 心の折り合いは時間が解決してくれるだろうと思っていたが、期待はしなかった。


 そんな時だった――愛生の部屋を整理していると、晶へのプレゼントを発見したのは。

 中身がコーヒーセットであることは、晶が以前話していた『引退後』を思い出し、愛生の意図を理解した。


 これが晶の引退に際して必要であること。そして、愛生の気持ちが届かなかったこと。

 この二点から、これを晶に届けた時――RAYは本当の意味で解散できると、麗美は折り合いをつけた。


 いつ晶に届けるのが正しかったのか、麗美には現在でも分からない。

 少なくとも事故から一年は、苦しんでいる晶にとても渡せなかった。

 あの少女との出会いから一年――本格的にカフェを始めるにまで回復した現在、誕生日を見計らってようやく渡した。


 泣き崩れた晶と、睨むように見上げた少女を、麗美は現在でも鮮明に覚えている。ほんの数分前の光景だが、脳裏に焼き付いて離れなかった。

 後悔が無いと言えば、嘘になる。


「仕方ないじゃん……」


 麗美は運転をしながら、ぽつりと漏らした。

 こうなることは充分に予想していた。いくら晶が回復しようとも、受け止めきれないのは分かっていた。

 だが、実際に目の当たりにすると、こうして逃げるように立ち去っていた。

 ――耐えきれなかったのは、自分自身だったのだ。


「ねえ……。これでよかったのかな?」


 麗美は前方を見て運転しながら、助手席の結月に訊ねた。


「これでよかったのよ。麗美ちゃん、随分苦しんでいたじゃない……。それに……私だって麗美ちゃんと同じ気持ちよ。RAYをちゃんと終わらせたいのは麗美ちゃんだけじゃないわ」


 淡々と口にする結月の表情を、麗美は分からなかった。


「……ただの自己満足(エゴ)だったのかな?」


 あのふたりに辛い過去をぶつけたことを、申し訳なく思う。


「いいえ、違う――これはあくまでRAYのためよ。遅かれ早かれ、誰かがやらないといけないことだったのよ」


 ――それでも、許されたかった。

 自らの行いも、こうして終わることも、誰かに許して欲しかった。


 麗美はハザードランプを点けると、左方向の指示器を出して路肩に一時停車した。

 現在の麗美には達成感と罪悪感、そして虚無感の三つが入り混じっていた。

 いくら申し訳ない気持ちで果たしたとしても、後に残ったのは虚しさだった。


 フロントガラスの隅に、月が見えた。丸い月が、ぼんやりと浮かんでいた。

 二年前――結月と『契約』を交わした時のことを、麗美は思い出す。

 笑いたいのに、笑えなかった。泣きたいのに、泣けなかった。あの時は、置かれた立場からそれらを我慢した。


 きっと、あれからずっと我慢していたのだと思う。

 我慢し続けた二年間――その結果がこれだった。

 麗美は目の奥が熱くなるのを感じながら、シートベルトを外した。

 もう我慢しなくてもいいんだ……。

 両手で顔を覆い、溢れ出した感情を受け止めた。


「私は……私は!」


 このような気持ちで解散(おわり)を迎えるとは、二年前は思わなかった。

 しかし、望んだ結末(おわり)を確かに迎えた。


 達成感だけならまだしも、罪悪感と虚無感の方が大きかった。このふたつに押し潰され、ただ涙を流した。

 麗美は、助手席の結月から抱き寄せられた。その勢いで、結月の膝に倒れ込んだ。

 まるで、小さな子供のように――結月の膝で泣きじゃくった。


「麗美ちゃんは頑張ったのよ……。やり遂げたのよ……。私だって嬉しいわ。ありがとう」


 結月の感情の無い声が、麗美にはとても温かかった。

 肯定する言葉が欲しかった。理解者が欲しかった。

 そう。十一年間連れ添ってきたこの女性はかけがえのない仲間であり、麗美の唯一の理解者だった。

 RAYを終わらせたいという思いも、事務所のことも――ずっと側で支えられていた。


「二年間、お疲れさま。だから現在は……存分に泣きなさい」


 いつだって、欲しい言葉をくれた。


「RAYは今度こそ終わったのよ。麗美ちゃんは気持ちを切り替えて、新しい一歩を踏み出しましょう」


 自分にとって、必要不可欠な存在になっていた。


「結月……。今までありがとう」


 これこそが愛する気持ちなのだと、麗美は思った。

 二年前に交わした『契約』ではない。互いの目的のために利用する『駒』ではない。

 麗美にとって、柳瀬結月は心から欲する存在となっていた。ずっと側に居て欲しい存在となっていた。

 この溢れ出す感情を受け止めてくれる人だった。


「私、あんたのことが好きだから! 今度こそ、ちゃんと愛してみせるから!」


 だから、大切にしたいと思うのは至極当然だった。

 ようやくRAYが解散した現在、麗美にとっての『新しい一歩』はこれだった。


「ありがとう、麗美ちゃん。私も心から愛しているわ……これからも、ずっとね」


 頭を撫でられながら聞こえたその声は、麗美にとってとても優しいものだった。


 EPITAPHから運転を始めて現在まで、麗美は結月の表情を一度も見ていなかった。

 だから、結月の瞬きが何秒間隔であったのか、麗美には分からなかった。


 しかし――少なくとも、結月の言葉は全て本心に聞こえていた。一片の疑いすら無かった。

 どうしようもない結末に打ちひしがれた麗美は、結月に縋り、涙を預けた。

 まるで、深い闇夜を月明かりに導かれて歩くかのように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ