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胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
第31章『誇り』
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第84話

 仕事(アイドル)に対する誇りなど最初から無かったのだと、天羽晶は思う。


 プロとして、トップアイドルとして――九年間続けてきたアイドル業を、事故をきっかけに引退した。身体が治れば続けることも可能だろうが、驚くほど簡単に諦めがついた。

 未練は無かった。

 晶にとって続ける意味が無かったのだ――事故により、最愛の人を失ったのだから。


「晶さんの人気は衰えることを知りませんね! この勢いがどこまで伸びるのか、見ものです!」

「まったく……どこまで伸びれば、お前は満足なんだよ?」

「うーん、そうですね……。国内は制した感じなんで、次に目指すは世界一ですね!」

「ははっ、世界ときたか。簡単に言うが、なってやるよ……お前のために。だから、これからも頼むぞ」

「はい!」


 決して、自分のためではない。世界中の人間から認められても、きっと満たされない。

 愛する人ひとりのために努力を続け、愛する人ひとりに認めて欲しかった。

 それらが絶対に叶わなくなった現在、続ける理由が見出だせなかった。


 そう。もしも、天羽晶の中に誇りというものがあるのなら――それは、特定の個人だった。


 確かに仕事では頼りない部分はあるが、それでも晶にとってはとても頼りになった。誰よりも自分のことを理解し、誰よりも応援してくれた。

 九年間、共に支え合ってきた仲だった。

 胸を張って特別だと言える存在だった。

 ――しかし、それを失くした。もう二度と会える日は訪れなかった。


 病院のベッドで目が覚めた時、晶は視界に違和感を覚えた。

 折れた右腕は固定されていたが、左腕は動いた。左手で顔に触れてみると、右目を隠すように頭に包帯が巻かれていたのだと分かった。

 それでも、どこか変だった。いくら目隠しをされているとはいえ、右目に僅かな光すら入る気配が無かった。

 試しに左目を瞑ってみると――真っ暗な闇の中、左目のみぼんやりと光を認知した。

 そして、右目から涙が流れていないことに気づいた。

 それからすぐに、麗美と医者から右目のことを聞かされた。しばらくして頭の包帯が解かれても、右目で光を視ることはもう二度と無かった。


 どうして、私だけが生かされたのだろう。

 晶は、最愛の人と右目の視界を失くした現実を恨んだ。一緒に死ねなかった現実を恨んだ。

 しかし、現実はどうにもならなかった。最愛の人の後を追うことは、周りが許さなかった。


「私はあの時、きっと死んだんだ……。お願いだ。私はもう、死んだ事にしてくれ」


 だからせめて、世間(げんじつ)では死んだことにしたかった。

 最愛の人と誇りを失った現在、晶にとってこれが折り合いだった。


 こうしてアイドル業から退いたが、決して気持ちは晴れなかった。

 陰鬱な気分を薬で誤魔化している内に、時間と共に身体は歩けるほどに回復した。

 その頃には、左目のみの視界に慣れていた。

 いや――かつて両目で見ていた広い視界(せかい)を忘れていた。もう思い出すことも無かった。


「この傷跡は、残してくれ……」


 右胸、右腕、右股の三箇所に事故の大きな傷跡があった。

 現代の医療技術では限りなく目立たなくすることが可能だったが、晶はそれを拒んだ。

 気持ちの問題であった。この傷跡を敢えて残すことで、晶なりに擬似的な死を体現した。

 それに――よほど肌を露出しなければ傷跡は見えないので、それを見る人物が二度と現れないことを悟った。


 顔は不幸にも完治した。傷ひとつ無く、かつての美しさを取り戻した。

 失くなった右目の眼球の代わりには、義眼が埋め込まれた。まるで本物のように精巧なもので、外観では、左右の目に違和感は無かった。

 しかし、右目の虚無感が埋まらない感覚に、晶は嘔吐した。

 そう。いくら紛い物を埋めたところで、結局は何も変わらないのだ。

 右目がぽっかりと空いたように、誇りを失くした自分もまた空っぽなのだと感じさせた。

 それを他者に見せたくないから、悟られたくないから――晶は、医療用眼帯で右目を隠した。


 心に負った傷の精神療養には、およそ一年を要した。

 まだ薬を手放せない状態だったが、ひとまず『一般人』としての生活を送れるまでには回復した。


「なあ。どこか人目のつかないところで、小さなテナントを借りてくれないか? 最後にカフェをやって終わりたい」


 晶は麗美にそう頼んだ。

 ひとりになってしまったが――かつての自分の夢を叶えたかった。期間は、約一年のみ。その後は実家に帰り、隠居生活に入るつもりだった。


「店の名前はどうする?」

「そうだな……EPITAPHがいい。確か、墓標という意味だ」


 晶はたとえ一部だけでも、ファンと別れを告げられる場所が欲しかった。その目的としても、丁度いいと思った。

 麗美から、彼女の住んでいたタワーマンションの一室と、近くのテナントを宛てられた。RAY解散後、麗美が結月と同棲を始めたと聞いた。以前からそういう関係の予感はあったので、特に驚かなかった。

 晶はテナントを希望通りの内装にし、自身も髪をばっさりと切った。さらに髪を明るい色に染め、医療用眼帯を着けると――近寄り難い雰囲気であると自覚した。変装として、効果は充分だった。


 四月になり、晶は店を開けた。

 思っていた通り、客は滅多に来なかった。時々、かつてのファンが訪れ、店本来の機能は果たしていた。

 インスタントのエスプレッソマシーンを使用していることもあり――自身が思い描いていた夢の景色とは何かが違い、一寸たりとも満たされることは無かった。


 暖かな季節であるが、決して浮かばれなかった。退屈というより、生きた心地がしなかった。

 だから、晶は擬似的な自傷として煙草に手を出した。自分の身体を害したかった。


 その日の帰り道、いつものように煙草を一本吸おうと立ち寄った橙色の広場で――少女と出会った。

 他に誰も居ない広場でひとり、まだ真新しい学生服に身を包んだ少女が膝を抱えて座っていた。ぼさぼさの長い髪と哀愁漂う背中が、晶の目を引いた。


「おい」


 ある予感がして、思わず声をかけた。


「失恋でもしたか?」


 正面に回ってその顔を見た時、予感は確信へと変わった。

 顔が似ているわけではなかった。雰囲気が似ていたのだ――もうこの世には居ない、最愛だった人に。


「お前はこれからどうしたいんだよ?」

「分かりません……」


 晶は、表情には出さなかったが、嬉しさに似た感情が込み上げた。久々の明るい気持ちだった。


「ついてこいよ。オシャレな店に連れて行ってやる」


 この出会いが、始まりだった。


「好きな芸能人は?」

「すいません。テレビ全然観ないんで分からないです」


 少女は芸能事情に疎く、結果的にRAY三人を知らなかったのは偶然であった。

 晶は正体を隠し、一般人として接した。

 そして、少女がアルバイトとして働きたいと申し出たのを受け入れた。


 それからは、少女は晶の事情も店の事情も知ることなく、カフェとして機能させようと努力をした。

 晶は最早面倒だと思っていたものの、少女のひたむきな姿に心を動かされた。かつてのあの存在を彷彿させていた。


 しばらくして、少女に正体を知られると共に、身体の傷跡も見られた。それでもなお、晶は一般人として受け入れられた。

 この頃は――晶はまだ、少女にあの人物の影を重ねていた。

 それは次第に大きくなり、やがて恋愛感情へとなった。かつてあの人物に抱いていた感情の延長だと思っていた。


 だが、それは明確に違った。そのことに気づいたのは、初めて意見が衝突した時だった。

 そう。最愛だった人とは、こういう場面は絶対に無かったのだ。

 あくまでも別人だと理解したうえで、それでもなお少女を必要とした。

 EPITAPHと名付けたカフェは、最早本来の存在意義を失っていた。晶がかつて夢見たものとは少し違うが、忙しく働けることが、店が成長していくことが嬉しかった。大きい店への移転を考えるほどであった。

 ふたりで過ごした日々を、ふたりで築き上げたものを――これからも大切にしたいと思った。

 晶は少女への気持ちを橙色のハーバリウムと橙色のペアリングで示し、受け入れられた。


 少女のことを愛した。

 大切な人が側に居て、かつて夢見ていた仕事も順調で――晶は幸せだった。

 自分の中は空っぽだったが、いつの間にか満たされていた。


 季節は巡り、再び春がやって来た。

 しかし、暖かな季節に胸を膨らませていた時、それは唐突に訪れた。


 少女と出会って一年後――天羽晶は、一年前の気持ちを思い出した。

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