スイート・ナイトメア
後日談的エピローグです。
トライフル王国では連日晩餐会が開かれていた。
王子の花嫁を探すための盛大な晩餐会だ。
国中の、王子の妃にふさわしいと思われる上流階級の妙齢の女性たちが、我こそは自身を飾り立てて、意気揚々と会場へやって来ている。
そしてここにいる女性たちは、皆自分こそが王子からダンスの申し込みを受けるにふさわしい女性だと、自信満々だ。
私ももちろんその一人だ。
子供のころから、王子の妃となるためだけに生きていきたのだ。
はっきりいって、会場にひしめき合っている、今回初めて声がかかった「新参者」とは入っている年季も違うし、王国の国母たる知識や経験は比べ物にならないという自負がある。
広く豪華な装飾がある会場に、色とりどりの美しいドレスを着た女性たち。
それから、王子が誰を選ぶのか見届けようとする貴族たちで、眩しいほどの華やかな空間がここにはあった。
浮足立つ人々とは反対に、私の心は冷え冷えとしていた。
なぜならば、私はこの後に起こることを知っているのだ。
この足元から世界が壊れていく感じ、それから、自分の今までの人生が否定される絶望感。
なぜだかわからないけれど、この場面は何度も目にしたような気がする。
今すぐこの場から逃げ出したいのに、足が動かない。
王子が立つ広場の中央を私はじっと見ていることしかできなかった。
そこへ、人々が自然と道を開けたところを通って、まるで朝露に濡れたつぼみを感じせるような若い女性がやって来た。
義妹のシエラだ。
それを見て、王子が目を見開く。
そう、その後もよく知っている。
王子は彼女にひざまずいて、ダンスに誘うのだ。
血の気が引いて、心臓が苦しくなった。
これ以上、ここにはいたくない。
こんな光景、見たくもない。
そう思った時、私の視界が真っ暗になった。
いや、良く見ると、それは黒い軍服をかっちりと着て、重たそうなマントを羽織った大きな人物だった。
「初めましてレディ・レモーネ。」
頭の上から、ぞっとするほど鋭い声がした。
見上げると、その声とは正反対の、嬉しくてたまらないとでもいうように目を細めて微笑んでいる顔が見えた。
見事な銀髪が、綺麗に短く切りそろえられ、それはきっちりと後ろに流されている。
王都の社交界にいる貴族や有力者の顔と名前はすべて知っているけれど、こんな男性見たこともない。
こんなに存在感があって、堂々としていて、その場にいるだけで周囲を圧倒するような雰囲気を持つ男なんて。
いつもの私ならば、初めて会った社交界に出入りするような人物とは欠かさず挨拶を交わしておくけれど、なぜか逃げたくなった。
私は男性を無視してきびすを返した。
しかし、男性は素早く私の前に立ちふさがって来た。
そして、にっこりと微笑んできた。
私は腹が立ったので、扇をぱしぱしと叩きながらできるだけ冷たくなるように言った。
「邪魔なのですけれど?」
これでだいたいどんな男性も裸足で逃げ出す。
「邪魔をしに来たのでね。」
男性は急にラフな口調でそう言うと、私の右手をつかんだ。
「何をするのよ!」
「レモーネ、お前を奪いに来た。」
「っ!な、なんですって!ちょっと!離しなさいよ!なんて失礼な男性なの!誰か!助けてちょうだい!」
周りに助けを求めるけれど、誰も私の助けに答えてくれる人はいない。
まるで私が見えていないようだった。
そして気が付けば、私はいつの間にか男性に抱き込まれていた。
「美しい装いだな。このような姿は見たことがなかったから新鮮だ。髪の色に良く似合うドレスだな。シャンパンか、いや、レモネードの妖精のようだ。」
無遠慮にもこの男性は私のアゴをつかんで目線を合わせてそう言った。
たしかに今着ているドレスは薄い黄色のスパンコールをびっしりと縫い付けて、同色のオーガンジーが裾に向かって広がっているデザインのものだけれど。
レモネードの妖精いいいいい???
この男性は何を寝ぼけたようなことを言ってるんだろうか?
おもわず顔を引きつらせていると、男性はうっとりとしていた表情を急にしかめた。
「しかし、このように肩や胸元をさらけ出すことは感心しないな。不埒な輩が邪念を抱きかねん。」
私は思いっきり男性の足を踏んでやった。
ハイヒールのかかとで。
「あ~ら、ごめんなさい。足が勝手に動いてしまったわ。」
ぐりぐりぐりぐりと力いっぱい踏みつける。
が、飛びのくかと思われた男性は、私から離れるどころかさらに体を密着させてきた。
「お前から触れてくれるとは、嬉しいことだ。」
踏まれて、喜んでいる!
変態だ!近年まれに見る変態だ!
かなりあぶないタイプのやつだ!
「どういうことなの!なんで痛くないのよ!」
「俺は少々人より頑丈にできているからな。これくらいのこと、子猫にじゃれつかれているようなものだ。」
こういうタイプの人間は、苦痛が喜びに変わるから人類最強だと聞いたことがあったけれど、もしかしたらその説は正しいのかもしれない。
「ちょっと!いいかげん離しなさいよ!いつまで触っているつもり?」
私は必死になって両手をぐるぐるとまわして抜け出そうとするけれど、男性はびくともしなかった。
「お前に嫌がられるというのもなかなかできない体験だ。もう少しこの状況を楽しみたい。」
「いやああああっ!よくわからないけど今なぜか背筋がぞわっとしたわ!離してーーーーーー!!!!」
私はとにかく暴れまくった。
「だいたいあなた、何者なのよ!初対面の女性にこの仕打ち!なんて非常識なの!」
「言っただろう。お前を奪いに来たと。王子からお前を奪いに来た、レディ・レモーネに心を捕らえられ、狂わされた愚かな男だ。」
「……何を言っているの?」
何をバカなことを言うんだろうか。
私に心を捕らえられた?
まさか、そんなこと、ありえない。
甘い言葉で女性をだまそうとする詐欺師かもしれない。
「王子のことなど早く忘れろ。」
忘れることなんかできない。
彼に認められることこそ、私が生きている意味なんだから。
ああ、でももし、忘れられるならば……。
そう思ったとき、視界が開けて、体が軽くなった気がした。
そして、こちらを真剣に見つめている銀髪の男性のことが、急にとても懐かしく感じだした。
「あなたは、誰?」
今度はさっきとは違う意味で聞いた。
真剣に聞いたのに、男性はそれには答えずに、私のほほをするりとなでると耳元でささやいてきた。
「俺のことは忘れたとしてもかまわない。だが、これだけは覚えておけ。お前が何度悪夢にさらわれようとも、俺が必ず救い出してやる。」
知っている。
私は、彼を知っている。
そうだった、彼はいつだって、私のことを助けてくれた。
ゴーン、ゴーン、ゴーン。
重たい鐘の音がひびいた。
「ああ、残念だが、時間切れだ。」
彼が私から体を離した。
「待って!今思い出しそうなの!あなたのこと!」
もう少し、もう少しで!
私は手を伸ばしたけれど、彼はマントをひるがえして人波に消えていった。
その瞬間、床がぐにゃりと崩れた。
体が浮かんでいるような、落ちているような奇妙な感覚。
ああ、思い出した。
彼は私の……。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
フロスト夫妻の寝室のベッドには、妻であるレモーネが眠っていた。
そのベッドのふちには夫であるジン・フロスト辺境伯が、妻の手を握って座っていた。
そして、そのそばでは、彼らの古い友人である魔法使いポムピンが、仁王立ちで鉄鍋をガンガンガンと叩いていた。
「おい、うるさいぞ!もう俺は目覚めただろうが!」
辺境伯はイライラと髪をかき上げた。
「これが鳴ったら夢の中から出て行く合図だって言ってたのに、いつまでもレモーネさんから離れないから強めに叩いてたんですよ!」
「だからって、鉄鍋はないだろう、鉄鍋は!他のもっとソフトなもんはなかったのか?鈴とか。」
「あのですねえ!言わせてもらいますけど、この糸巻きに残ってる、かの有名な眠り姫を眠らせた呪いの残滓に触って眠りこけちゃったレモーネさんの呪いを解くのに、辺境伯がレモーネさんの夢の中に入る必要はなかったんですからね!ごちゃごちゃいわないでください!」
「王子の目の前でレモーネをさらうという俺の長年の夢をこの機会に叶えたかったんだよ!」
「これは辺境伯が魔神の加護を受けているからこそできたことなんですよ!普通の人間は、他人の夢の中になんて入れません!入れたとしても、二度とこちらの世界には戻ってこれなかったりするんですよ!危険な魔法なんです!それを私を脅してまで夢の中で会いたいなんて、どんだけレモーネさんのことが好きなんですか!」
「夢の中でも俺のことを忘れないでほしいと思うくらいだな。」
「リアルにキモイ!完全に常軌を逸した発言!子供が五人もいるのにまだそんなに好きでいられるって逆に尊敬しますよ、ほんと。」
ポムピンは、はあ、とため息をついた。
「もうレモーネさんを眠りにつかせていた悪夢は消えました。夢の中で辺境伯がクサいセリフでレモーネさんを口説いたことで、レモーネさんが辺境伯のことを思い出しましたので。もうそろそろ目が覚めると思いますよ。それじゃあ、私はこれで。」
「待て、せっかく久しぶりにクグロフへ来たんだ。しばらくゆっくりしていくといい。皆喜ぶぞ。」
「お言葉はありがたいのですが、少々立て込んでまして。全魔連の東方地区責任者の『東の魔女』が亡くなられて、今候補者選びで理事会がもめてるんです。おまけに会長があれでしょう?すぐに帰って、会議に引っ張り出さないといけないんです。」
「まだうじうじと落ち込んでいるのか、あの人は。」
「魔法使いとしては、最強にして最高の人物なんですけどね。魔法使いとしては。では、すみませんが失礼します。」
ポムピンがそう言うやいなや、白い巨大な蛇が現れ、彼女を飲みこんだかと思えば、すうっと消えていった。
「いつも思うが、あの移動方法はどうにかならないものか……。」
そして、辺境伯は愛しい妻に向きなおった。
「さて、我が姫君を眠りから目覚めさせるか。」
辺境伯は優しく妻にキスをした。
お読みいただき、ありがとうございました。
これにて完結でございます!




