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33 辺境伯は、ネズミが逃げたので、正直それどころではない 

 

 ジン・フロストは、いくつかの書類を、ネズミの私が入っているのとは反対側の上着の内ポケットにしまい込むと、部屋を出て出口へと向かった。

 ブラック・ランプ商会の社員たちは、それをただおびえながら見ているだけだった。

 ジン・フロストはさっさと建物を出ると、城へ向かって馬を走らせ始めた。

 さすがは元軍人貴族の扱う駿馬である。

 あっという間に城門についてしまった。

 アイルビーバックとは言ったものの、まさかこんなに早くここへ戻ってくることになろうとは……。

 ジン・フロストは馬を降りるとそれを兵士に預け、ずんずんと屋敷に向かって歩き出す。

 中庭を抜けて、屋敷の入り口の前に立つと、そこにはブラック・ランプ商会のラウラ、デバラン、そしてロバートとバーン、それから両腕を兵士に拘束されているナハシュがいた。

 これはこれは、皆さんお揃いで。

「閣下!」

 悲壮なナハシュの叫び声がひびいた。

 それをさえぎるようにラウラがジン・フロストにぴったりと身を寄せて来た。

「一体どちらへ行かれていたのです?ジン。」

 それにジン・フロストは冷え冷えとした態度で答えた。

「お前のことを全て知りたくて、調べ物をしてきたんだよ、ラウラ。」

 そして皮肉気にニヤリと笑って見せた。

 まるで離婚寸前の熟年夫婦の会話のような雰囲気だ。

 おかしい。

 ジン・フロストは、デバランの魔法にかけられてラウラにメロメロになっていたではないか。

 様子が変なことに気が付いたのはラウラも同じだったようで、彼女はイライラとしながらデバランを叱った。

「一体どういうこと!魔法が効いていないんじゃないの?何をやっているのよデバラン!」

「申し訳ございません!」

 慌ててデバランが駆け寄ろうとするが、それよりも先にいつの間にかそばまでやって来ていたバーンが、ラウラの首に剣の刃をかけていた。

「おやかたの様子がおかしかったんで迷っちまったけど、あんたらは方法はどうであれ、やっぱりおやかたを利用しようってみてえだから命令通りに排除させてもらうぜ?おしいおっぱいを無くすことになって、おっちゃんは悲しいけどな!」

「お前!何をするのよ!私は辺境伯の恋人よ!昨日の様子を見たでしょう!」

「それなんだよな~。一回や二回会ったぐれえの女に篭絡されることがあったらそれはクグロフの第一級危機だから、その女を殺せっておやかたに命令されてんだよ。残念だ。おっきいおっぱい……。」

 本当に悔しそうにバーンは言った。

「そんな!ジン、私たちは熱烈な愛を誓ったわよね?この部下に馬鹿な真似はやめるように言ってちょうだい!」

 ラウラは必死になって訴えているが、ジン・フロストはただ無言で見下ろしているだけだった。

「くっ!デバラン!早くどうにかしなさい!」

「はい!ジン・フロスト!ラウラ様の虜となりその言うことを全て聞け!」

 再びデバランが魔法をかけようとする。

 その後ろでロバートが剣を抜いてデバランに切りかかろうとしている。

 ロバートは、バーンの行動とそれを容認するジン・フロストの態度に、デバランを敵とみなしたようだ。

「キューーーー!!!」

 ジン・フロストが魔法にかかるのが先か、デバランが倒されるのが先か。

 私は叫びながら、思わず目を両手で覆った。

 しかし悲しいかな、ネズミの手は細かったのでその間からばっちり見えてしまった。

 突然若い男が現れて、デバランをランプの中にしゅるっと閉じ込めてしまうのが。

 一体何が起こったのかわからなかった。

 その場にいた全員が目を疑った。

 その若い男は、青ストライプの寝間着に、趣味が悪いカーテンみたいなガウンを羽織り、ビロードのスリッパをはいていた。

 薄茶色の髪はボサボサだが、優しい顔立ちのお坊ちゃまタイプの男だった。

「魔法使い監視法第三十一条二項、魔法使いはその魔法により、心理操作による恋愛の成就をしてはならない、に違反の罪で、ランプの中で二百五十六年過ごす、の刑に処す。」

 そう告げると、デバランを閉じ込めたランプをぎゅっと手の中に消してしまった。

 突然の出来事に茫然としていると、今度はその若い男のそばに、空からあの趣味の悪い馬車が隕石のように落ちて来た。

 そして、慌てた様子で、眼鏡を持ち上げながらポムピンが馬車から出て来た。

「あ、あなたはもしかして、全魔連の会長様ですか!会長自らお越しいただけるなんて!チクった甲斐がありました!あのむかつくデバランをさっそく捕まえてくださったんですね!仕事が早い!」

 会長と呼ばれた若い男は、眠そうに頭をかきながらポムピンを見ると、どうでもよさそうに口を開いた。

「ああ、炎のポムピンか。久しいね。」

「いえ、今初めてお会いしましたけど。」

「今はね。」

「え?意味が分かりませんけど……。」

 彼はポムピンの問いかけを無視してあくびをすると、ブツブツと独り言を言いだした。

「親指姫に振られて百年間ふて寝していたというのに、三十一条違反なんてバカな奴のために叩き起こされてしまったじゃないか。僕はまだあと五十年はうじうじしないと心の傷は癒されないぞ!まったく……。だいたいなんで三十一条違反は会長自ら罰を与えるようになってるんだよ、迷惑だなあ。」

 びっくりするほどのヘタレ発言にあたり一帯に沈黙が流れた。

 それを破ったのはジン・フロストだった。

「大分予定は狂ったが、当初の目的の一つ目はクリアされたからよしとするか。次は、ブラック・ランプ商会の処遇についてだが。」

「待って!どうして魔法が解けたみたいになっているの!昨日は確かに私の虜になっていたはずなのに」

 ラウラが叫んだ。

 もしかして、私の昨日のキスによって、魔法が解けたのだろうか?

 私にかかった魔法が解けたときのように。

 その疑問に答えたのは、会長と呼ばれた男だった。

「いや、そこのおっかなそうな男には、もとより魔法はかかっていなかったはずだよ。」

「ええっ!」

 皆がジン・フロストを見る。

 私も見た。

 あんなにラウラと熱烈なキスをしてたのに、魔法にかかっていなかった?そういうことなのジン・フロスト!

 好きでもない女性とキスをするなんて、見損なったわよ!

 私は両手でぱしぱし胸を叩いてやった。

 そしたらなだめるようにアゴの下を撫でられた。

 それからただ一人、バーンが

「やっぱりな。メロメロって感じじゃなかったもんなあ……。」

 とつぶやいた。

「彼には魔法はかからないよ。あの程度の魔法使いの魔法なんかね。僕でもせいぜいちょっと転ばせるくらいしかできないかな。」

「どういうことですか?」

 ポムピンが会長と呼ばれた男に聞いた。

「おっかなそうな彼は、魔神イフリートに取りつかれたマジュヌートだよ。生まれたときに祝福を受けている。名前もジンとくればもう間違いないだろう。その証拠に人より勘が鋭かったり、力が強かったりするはずだ。」

「勘は鋭いかどうかは疑問が残りますけど、力は確かに強いですよね、辺境伯は。」

 扉を一叩きで壊し、剣や盾を投げれば壁にめり込ませ、鉄製のポットはちょいと握れば粉々にしている。

 よくわからないが、魔法がかからない人間と言うわけか。

「そうか、知らなかったな。いや、そうするとあの時も……。」

 ジン・フロストもそんなことを言われて驚いているが、思い当たる節もあるようだ。

 そして、ロバートがまた感激して兄を見つめている。

「まあ、そんなこともわからなかった下手な使い手を手下にした君の失敗だね。過剰な魔法の使用は身を滅ぼすよ。皆も気を付けて。それじゃあ、僕はこれで。」

 会長と呼ばれた男は、ラウラにそう言うと、指をぱちんと鳴らして一瞬で姿を消してしまった。

 突然の消失に皆が驚いたが、ジン・フロストは一人、淡々と事を進めた。

「ラウラ・シャウラ。これがなにかわかるか?」

 ジン・フロストは懐から書類の束を取り出した。

 ブラック・ランプ商会からちょっとお借りしてきたやつだ。

「それは……。」

「お前たちの商会の収支決算報告書みたいだが、これをくわしく調べられると、困るだろう?」

 またジン・フロストはニヤリと笑った。

 温度が二十度は下がった。

「なぜそれを!」

「危ない商売で処罰されたくなければ、今後は我々のために働いてもらおうと思っている。」

「権力者のためになど働くものか!」

 追い詰められたラウラは口調が荒々しくなった。

 どうやらこちらのほうが地らしい。

「権力者のためではない。クグロフのため、だ。いまのところ大きな変革はないようだが、この国にもいずれ斜陽の時期が訪れる。その時のために、お前たちの持つコネクションを使って、今まで交流がなかった地域とも独自に対話のルートを作っておきたい。これはこの地域に住む領民の未来を守るものにもなる。まあ、使い方を間違えなければだが。」

「かなりのリスクを伴うことになるけれど?」

「お前たちが変なことを考えなければな。」

「脅すというのか!」

「本来ならば死刑のところを、命は助けてやろうというと言っているのだ。その上今まで通りの商売も続けられる。何も悪いことはない。」

 ラウラはがっくりと肩を落とした。

「あ~、つまりおやかたは罠にかけようとした相手を逆に罠にかけたってわけですかい。人が悪い。」

 バーンが呆れている。

「違う。どうせこの女のことはいずれお前が始末するだろうし、魔法をかけられたはずが、俺自身は全く何も変わっていなかったので、しばらく魔法がかけられたふりをして相手の様子を見るつもりだったんだ。まあ、できればあの半月刀の入手ルートが知りたかったしな。ひと段落するまでは、ナハシュやこいつらに危害が加えられてはいけないと思って古城に隔離しておいたのに、逃げ出しおって、まったく。」

 ジン・フロストは私の頭を撫でた。

「さっきの書類は、こいつを探しに行ったついでに持ってきただけだ。こいつが次に何をやらかすか、だんだん行動パターンがわかってきたからすぐに見つかった。」


お読みいただき、ありがとうございます。


次回で最終話。次々回でエピローグとなります。

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