26 レモーネ、悩む
この話史上最もおバカな会話が繰り広げられることをここに記します。
ロバートのせいで女が相手にしてくれないことに加え、変な噂が街に流れているおかげで男レモーネは部屋から脱走することがなくなった。
だらだらとソファに寝転がっては絵本ばかり読んでいるので、俺の仕事を手伝って俺に暇な時間ができたらナンパに付き合ってやると言うと、簡単な書類整理を引き受けるようになった。
残念だったな、俺の仕事に終わる仕事はないんだ!
ゆえに俺が暇になることはない。
しかし驚いたことに、男レモーネは意外と仕事ができた。
なぜかを聞いてみると、遠い目をして、必要だと思ったから権力者の仕事に役立つことは以前から身に着けていた、という謎の答えが返って来た。
時々意味深なことを言うやつだ。
今やつは、俺の机から簡単な儀礼的な断りの返事をする予定の手紙の束を抱えてソファへと歩いて行っていた。
「ふぐぅあああっ!」
急によろりとよろめくと、膝から崩れ落ちた。
「おい、どうした!」
俺は思わず反射的にやつのもとへかけ付けた。
こいつのことなどどうでもいいのだが、こういう時、ふとこいつが子供の姿だったときのことや、貧血で倒れていたことを思い出してしまい、つい構ってしまうのだ。
よしておけばいいのに。
膝をついて様子を覗き込むと、男レモーネはうずくまりながら返事をした。
「オレも、貢ぎてぇっ!あんたみたいにがっぽり稼いで女の子に何でも買ってあげたい!でも、体が!体がこれ以上働くことを拒否するんだ!」
そう悲痛な叫び声を上げた。
俺は淡々と答えた。
「言っとくが、俺は最低限の金しか使ってないから貢げるほど稼いでないし、お前に給金を払うつもりはないぞ。あとお前はまだ仕事をしだして半刻しか経っていない。」
男レモーネはすっと立ち上がった。
「っつーわけで、一旦休憩しまーす。」
「勝手にしろ、もとよりお前にそんなに期待はしていない。」
時間の無駄だったな。
俺はさっさと机に戻った。
やつはソファに座ると、靴を脱いで右足のかかとを、痛ぇ、と言いながらさすりだした。
「そのケガは一体何なんだ。」
俺はなんとなく聞いてみた。
「自分で切った。斧でえいっと。」
自分のことだろうにまるで他人事のような返事だった。
「なぜそんなことを……。」
妙な切り口の傷だとは思っていたが、まさか自分で切っていたとは。
「靴が入らなかったんだよ。」
「いや、普通靴が合わなかったら靴の方を替えるだろう!馬鹿か!」
「ばかなんだよ~女のオレは。こんなことしたってオレが選ばれるわけがないってわかってたのにな~。まあ、最後の悪あがきだったし、足なんかどうなってもいいという覚悟の意思表示でもあったな。動けなくても仕事はできると思って。我ながら怖い。」
「なにを言っている?どういうことだ?」
「あんたには関係ねえよ。もう終わったことだしな。今では逆に良かったと思ってるぜ。型にはまった、いや、無理やり自分を型にはめようとしていた息苦しい人生とおさらばできたんだしな。」
「だからなにを言って……。」
「あ~寝よ寝よ。おやすみ~。」
「おいっ!」
俺の問いかけに答えることもなく、やつはあっという間に寝息を立て始めた。
不思議なことに、こいつが男の時のほうが、本来の女の姿のあいつのことを強く意識させられる時がある。
あいつは、なにかを隠している。
そしてそれは、あいつの人生に暗い影を落としていることのような気がする。
そういうことが幾度かあったため、俺はこいつの様子には敏感になってしまった。
最初からこいつは奇妙だった。
その言動の奇抜さだけではなく、何か常人とは違う、強いエネルギーを発しているような気がするのだ。
そしてそれは軍人の自分にはなじみ深いものでもあった。
戦場での命のやり取りの場面にそれはある。
死と隣り合わせにある者こそが発する生命力。
なぜかそれをあのライム色の瞳から感じる。
なぜ王都の裕福だと思われる娘から戦場にいる兵士のような気迫を感じるのか?
やはり、姫の指令を受けたというのは嘘で、暗殺者か間者なのだろうか?
......まさかな。
レモーネ・ヴァンドルディという人物とは一体何者なのか、そんなことが気になりだした頃、やつとソファに向かい合って座り仕事をすることがあった。
俺が昼食を食べながら城壁の修理についての報告書を読んでいると、男レモーネが仕事の手を止めて何やら思い悩んでいることがあった。
どうせ女のことでも考えてるんだろうから声をかけるか悩んだが、ずいぶん長い間そうしているのでたまらずにやつに話しかけてしまった。
「おい、どうした、なにか気になることでもあるのか?」
男レモーネは、のろのろと顔を上げて答えた。
「男の乳首って、いらなくね?」
「……あ゛ぁ?」
「いやだってこんな汚ねぇ男のもんなんてなんの役に立つんだよ!押せば命の泉でもわくのかよ!女の時は意識したことなかったから何とも思わなかったけど、男になって鏡で自分の体を見たとき思わず笑ったからな。いやいや、これいらねぇだろ、ウケる、って。」
笑いながら話す奴を見て、俺はこいつを心配した自分を叱咤した。
「お前に話しかけるのではなかった。」
「それとさぁ、あといらねぇのは、わき毛!なんでわざわざ見えねぇところに生えてるんだよお前は何者なんだよ。時々会うんだよなぁ、あ、いたの?みたいな。」
俺はこいつを無視することに決めた。
「しかもこいつのすごいところは、女の子にもいるってところだ!いや、それはそれで良いんだけど!なんなんだ!なんなんだよわき毛!何のためにいるんだ!いらねぇ!」
やつは頭を抱えて悩みだした。
「体温調節でもしてるんだろ。」
無視しておくつもりがつい声に出してしまった。
「あんた、物知りだな!じゃあ、乳首は?乳首をなぜ神様は男にも与えたもうたんだ?」
「知らん。神にでも聞け。」
俺は吐き捨てるように言った。
「あ~~~~マジなんなんだよ!いらねぇ!男の乳首とわき毛!」
「そんなにいらんのなら剃ればいいだろう。」
「乳首を!?」
「わき毛をだよアホか!」
頭ががんがんと痛くなってきた。
「あ~びっくりした~。」
今度こそ何をいっても無視をしようと心に決めて、書類に目を落とした。
「いや、でももしかして男は皆乳首剃ってんのか?成人の儀式的な根性試し的な何かで。女の子に見られて剃ってないの?って笑われたらショックだよな~。どうしよ……。」
やつは一人で真剣に悩み始めた。
これは俺の自分の人生の中で一、二を争うほどの頭が痛くなる会話だった。
悩み続けるやつを完全に無視して、俺は仕事を再開した。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
しばらく大人しくしていた男レモーネがまた脱走した。
完全に油断していた。
しかも夜にというのは初めてだ。
あいつは基本的には乳首とわき毛に悩む馬鹿だが、やはりやつが何者なのかわからない以上放っておいてはいけない。
急いで城下町へやつを探しに行ったのだが、意外に簡単に発見できた。
しかも、女を口説くわけでもなく、あてもなくぶらぶらと道を歩いていただけだった。
病気にでもなったか?
しかも俺が見つけても逃げるわけでもなく、あっさりと捕まえることができた。
「おジンは仕事が早いよな~。」
「誰がオジンだ!俺はまだそんな年じゃない!」
俺はやつの頭を両こぶしでぐりぐりと押した。
「痛ぇ!なんで!名前にそんけー語をつけて呼んだのに!」
気が済んだので手を離し、涙目になっているやつに、出て行って何がしたかったんだと聞くかわりに、
「逃げ出したかったのか?」
と問うてみた。
もちろん、そうだ、という返事があるとは思っていた。
最近は仕事にも飽きてきた様子だったからだ。
やつは一瞬驚いたような顔をした後、何かをごまかすようにへへっと笑った。
「逃げたいけど、逃げられないというか~。逃げるのはオレの、というより女のオレのプライドが許さないというか。まあ、つまりやばいことを思い出してしまって、どうしようかと思ってたんだよ。」
あいかわらずよくわからないことを言うので、ごちゃごちゃ言ってないで戻るぞ、と言おうとして、やめた。
やつが困ったように眉を下げて笑っていたからだ。
「あんたさあ、女のオレのこと嫌がってただろ?だから、誰か他の気に入った女の子とでもさっさと結婚した方がいいぜ?オレが誰か紹介してやるからさ?実は何人かあんたのことが気になるって子が街にいるんだよ。」
「いきなりなにを……。」
レモーネ・ヴァンドルディを受け入れないことと、だから他の女と結婚しろ、のつながりがわからなかった。
「女の子を紹介するから、オレをこっそり他国に逃がしてくんねぇかな?」
思いもしなかった内容に、思わず立ち止まった。
「どういうことだ?逃がせって......お前は王都で何をやらかしたんだ。」
「オレが何者でも、どうでもいいだろ?それよりも、オレがいなくなったとしても、あんたと結婚しようとする女の子をアンバー姫は何度でも送り込んでくるはずだ。オレほど気合が入ってないとはいえ、王都の女の子はハゲタカだから結構きついぜ?可愛い小鳥ちゃんみたいなクグロフの女の子のほうがおススメだなぁオレは。」
俺は自分でもなぜだかわからないが、やつの突然の話に焦りだしてしまった。
「おい、他国に逃がす?お前を?それになぜアンバー姫はそんなに俺を結婚させたがるんだ?」
「それは……。」
ぐううううぅぅぅぅぅ~~~~~~~~。
男レモーネが重い口を開いた瞬間、やつの腹の虫が鳴いた。
「腹へった……。死にそう……。」
それからはやつは腹へった、しか言わなくなったので、仕方なく近くの食堂に入って夕食を取ることにした。
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