14.村民シスタリナ
「お疲れ様でした」
とある地域の森の中。
周りの景色からすると不自然なくらいに立派なお屋敷の中に、ジョエルはいた。転移能力者によって直接ここに送られた私とコルトロメイとフリオは、汚れた顔と草臥れた体を引きずってジョエルの執務室まで歩いた。ジョエルに掛けるように言われ、私たちは座り心地の良いソファに座り込んだ。
座った瞬間に疲労が襲い来て、私は思わずコルトロメイに倒れかかった。
「失礼」
ジョエルが私の手に触れる。触れた瞬間に、先ほどまでの気怠さが嘘のように消えた。同じようにコルトロメイの手にも触れ、コルトロメイも驚いたように背筋を伸ばした。
「2人が無事で何より。これからのことを話しましょう…お2人が思い描いていた未来だと良いのですが」
ジョエルは私とコルトロメイに条件の話をした。私もコルトロメイも、2人ともギャングの仕事に貢献するように求められた。私は…抵抗が全くないとは言わないが、それでも教団で生活するよりずっと良かった。コルトロメイも頷いた。コルトロメイは…計らずとも人を殺したことで、かなり荒んでいた。アンゼリカを失ったことにも。言葉少なく会話を終えた私たちは、麓の村へ案内された。こじんまりした、小さな村だった。その中の家に私とコルトロメイは迎え入れられた。
お互いに汚れた体を洗い、村人らしい服を身に纏って居間で落ち合う。コルトロメイの顔を見ると、ほっとした。今日の喧騒が嘘のようだった。あまりにも穏やかで、あんなに走り回ったのに、まだ外が明るくて。もしかして夢だったのではないだろうか。私は教皇に捕まって、そのまま死ぬ瞬間に幸せな夢を見ているだけではないのだろうか、と。
「シスタリナ」
コルトロメイは呆然と私を見ていた。
「不思議。体はちっとも疲れていないの。ジョエルのおかげね。なのに、心が…とても、擦り切れたようだわ」
「俺も」
コルトロメイは椅子に座って項垂れる。
「こわ、かった、」
何か話そうと思ったけれど、うまく言葉が出なくて。代わりに素直な心境が零れ落ちた。
あの廊下で教皇を見た瞬間、また失敗したと思った。もう駄目だと思った。殺されるしかないと、そう思った。
逃げ出す算段よりも、恐怖が勝っていた。パニック状態に陥っていた。あれだけ何年も逃げ出すチャンスを伺っていたのに、あのざま。なんて情けない。なんて、無様な。
コルトロメイのほうが余程落ち着いていた。昔は私がコルトロメイを落ち着かせていたのに、今回は全く違った。
「もう、死ぬと思った」
蔦が絡んだ瞬間。教皇がナイフを振り上げた瞬間。
どの瞬間も恐怖でいっぱいだった。動けなかった。何年も、どんなことがあっても大丈夫なように想像して、練習してきたのに。
フリオが来てくれなかったら、きっと私はあのまま恐怖で意識を失っていただろう。コルトロメイが守ってくれなかったら、逃げ出すことは叶わなかっただろう。
私は、何もできない。
私は自分で思っていたよりただの凡人だった。聖女と言われていい気になっていただけの、弱い人間だった。
「シスタリナが落ち着き払ってたら、多分俺は良いとこ全く見せれなくて、凹んでたよ」
「そう、かな」
「もう足手まといにはならないって決めてたから。ちょっとは格好良いところ見せられて良かった」
コルトロメイはぽんぽんと私の頭を軽く叩いて言った。
「思い出したの?」
「うん。俺に暗示をかけるときに『いつか私のことを思い出してね』って、追加でかけただろ」
「…かけてないよ?」
「じゃあそう願ったんだ。逃げている最中にフラッシュバックして…自分がどうして能力開発をしたり、ひたすら冷静でいられたのか、やっと理解したよ」
「そ、っか」
嬉しいのか、そうでないのか、自分でも分からない。
「俺は、洗脳だけじゃなくて、自分の意思で変わりたい、強くなりたいと望んだ。だから性格は元には…戻らないと思う。貴女が好きだった俺じゃないかもしれないけれど、側にいても良い?」
コルトロメイは不安そうに私にそう問うた。コルトロメイが言葉少なかったのは、そういうことらしい。
そうか、私は、またコルトロメイに伝えていなかった。好きだときちんと言っていなかった。アンゼリカに向けて凶悪な言葉を吐き出した中にはコルトロメイへの好意を吐露する部分もあったけれど、コルトロメイはあれを信用したりはしないだろう。アンゼリカに操られたと、そう思っているはずだ。
「ごめんね、コルトロメイ」
「……そっか」
コルトロメイは儚く微笑った。
「ちがう!」
会話の順序を間違えていた。私が慌てて否定すると、コルトロメイは紫の瞳から透き通る雫を零した。
「…どんな結果でも、もう、泣いたり、弱音を吐かない、って、決めてたのに」
コルトロメイは目を擦りながらそう言った。
「でも貴女に受け入れられないと思うと、とても、辛い」
「コルトロメイ、その、ちが」
「俺は、何と言われようと、貴女がとても好きだよ」
コルトロメイは後ろを向いて、ぐず、と鼻をすすった。
私はコルトロメイの背中に抱き付いて、必死になって言った。
「す、…す、好き」
「え」
「私、コルトロメイのこと、好き。…やだもう、恥ずかしい…」
恥ずかしがっている場合じゃないんだけど、自分の心の内を打ち明けるなんて、私には正気じゃできない。
「恥ずかしくて、うまく言えてなくてごめんね、って言いたかったの」
「シスタリナ…」
「3年間、1日たりとも貴方を想わない日はなかったよ」
「も、もう、良いから」
コルトロメイはこちらを向いて、真っ赤な顔でストップをかけた。
「そんな急に言われたら、嬉しすぎて辛い」
コルトロメイは心臓を押さえながらそう言った。
「い、言わなかったのは恥ずかしかったのもあるのだけど、…アンゼリカがいたから」
「アンゼリカ?なんで?」
「アンゼリカは恋人、でしょ?」
「…アンゼリカが?」
コルトロメイは信じられないものを見る目で私を見つめた。
アンゼリカ、恋人じゃないの?…なら私の葛藤は何だったんだろう。
「教皇や神官たちは、確かに俺とアンゼリカをくっつけようとしていたけど…俺は全くその気がなかった」
「でもアンゼリカとずっと一緒に」
「居たけど、それは俺がアンゼリカの世話役だったから」
コルトロメイはため息まじりに続ける。
「…尤も、アンゼリカをシスタリナの代わりにして俺を教団に縛り付けようとしていたのだと思うけど」
私を教団に縛り付けるためにコルトロメイを使ったように。
「アンゼリカのこと、ありがとうな」
「…え?」
「アンゼリカのことは、妹みたいだと思っていたんだ。だからシスタリナがちゃんとアンゼリカの最期を尊重してくれて、とても嬉しく思った」
私もアンゼリカのことは本当に嫌いではなかったから。ただ、アンゼリカのことが可哀想だと思っていた。アンゼリカはきっとそれを疎んでいただろう。
---こんな時まで私を憐れむのね、馬鹿にするのね!
アンゼリカの言葉は、私を緩く蝕む。アンゼリカが読み取った感情は悲しくなるほど正しかった。教団の腐敗に喜んで貢献するアンゼリカのことを馬鹿にしていた。可哀想とすら思っていた。
それだけではない。
アンゼリカがコルトロメイを想っていることは見れば分かっていた。心の奥底では、記憶を戻しさえすれば私のものになると、アンゼリカを憐れみ、馬鹿にしていた。
つくづく聖女らしくない心を、アンゼリカはよくよく理解していた。
アンゼリカは大した能力者だったと思う。だからこそ生き残れると思ったのだろう。いざとなれば感情の片鱗から教皇すらも操れると。
結局ダメだった、なんて言いたくないけれど…コルトロメイを庇って死んだのはあまりにも可哀想で、報われない結果だと思う。
「シスタリナがフリオに頼まなければ、アンゼリカの骸は今頃…教皇と一緒に蹂躙されていただろうな。そうならなかったことに心底ほっとしているんだ」
アンゼリカをシスタリナのようには愛してはやれなかったけれど、とコルトロメイは続けた。
コルトロメイに寄り添って温かい指に触れた。
冷気のない指先。コルトロメイが能力を完璧に制御している。昔の気弱な彼はもういないのだと思った。寂しくもあるけれど、頼もしくもあった。
「休めたなら村の案内をします」
翌朝、朝早くからフリオが迎えにきた。コルトロメイが目を擦りながらフリオを出迎える。フリオは大人しく家の中に入り、私たちに地図を見せた。
「言ってしまえば、ここは訳ありの人間しか住んでいません。僕たちが保護している人たちの住処です。…なので、余計な詮索をされる必要はないでしょう。この村から一時的にでるときは申請をお願いします。誰かが警護に付きますので」
「分かりました」
「…ただ、その髪型は目立つでしょうから、切ることをお勧めします。床屋はあっちです」
フリオはコルトロメイの髪をちらりと見て言った。コルトロメイは髪をいつものように垂らしているが、やはり神官然としたその髪型はこの村でも奇異に映ることだろう。
「昨日も話をされたと思いますが、シスタリナさんとコルトロメイさんには、保護の見返りとして組織への貢献を要求します。…勿論、保護が不要と思えば、別の手段で契約するなり、消えるなりしてもらって構いません」
「あくまで対等だと言いたいのですね」
「あくまで、ではなく、間違いなく対等です。ジョエル様はボスであり、統括者です。…が、ただそれだけで、組織があるのは支える者がいてこそだと分かっています。そちらが組織へ何か被害を与えるような行為がない限りは、逃げようが消えようが、僕たちは関知しません」
ギャングは教団よりずっと、まともな組織だった。恐怖で縛りつけることも、金をせびることもしなかった。
「ああ、完璧にまともな組織とは思わないでくださいね。勿論国が禁じていることにも手を染めていますし」
「た、例えば?」
「人身売買、ですね」
それは所謂奴隷商売だ。
騎士団と教団が強く禁じている行為である。売ることも買うことも…殺人に次ぐ禁忌とされる。
なら能力者を金銭で親から奪い取るのは奴隷売買ではないのか、と、私は疑問に思う。特に教団は能力者を引き取ることに熱心だ。
「期待はしすぎないように。我々は暴力的な組織です」
「…分かりました」
こくりと頷くと、フリオはゆっくり瞬きをした。
「それと…名前は変えたほうが良いかもしれませんがね」
「…名前、ですか?」
「あなたは聖女として有名ですし、コルトロメイも神官として…少しは名も通っているでしょうから。それに家名も持っていないでしょう?」
教団出身らしい仰々しい名前ですしね、とフリオが続ける。
そう言われて私は唐突に思い出した。
「…私、教団で名前を変えられていたんだったわ」
5歳で取り込まれて、すぐのことだった。名前が俗っぽいから、神に仕えるに相応しくないと。
幼い頃だったから忘れていた。そう、私の名前は。
「リィナ」
もう顔を覚えていない両親から貰った名前は、リィナだった。
「可愛らしい名前だ」
コルトロメイは小さく笑った。
「コルトロメイは…コリンはどう?」
「コリンか。…うん、気に入った」
コルトロメイは何度か口の中でコリン、コリンと呟いて納得したように頷く。フリオは私たちの話を聞いて、さらさらと手帳にメモを残した。
「それで登録しておきましょう。家名は…クラークでよろしいですか」
「ええ」
「ではよろしくお願いしますね、クラーク夫妻」
「夫妻…っ!」
コルトロメイ…ではなくコリンが顔を真っ赤にした。フリオは冷静にコリンを見据えながら訊ねる。
「違うのですか?」
「ち、ちがっ」
コリンが否定したので私はびっくりして見上げた。
「ま、まだプロポーズもしてないし…っ」
「…はあ」
「養っていけるだけの力があるかも分からないし…、未だに頼りないし…っ」
「左様ですか…夫妻で登録しますね」
フリオは興味がないようだった。コリンのほうは未練タラタラに赤い顔のままフリオを睨む。
「…私と結婚するのは、嫌?」
コリンをそっと見上げると、コリンはさらに顔を赤くしてあわあわと視線をあちらこちらに投げかけ逃げ場を探し始めた。
「そんなわけない!…けど、順序というものが…」
「結論、結婚するようですから夫妻で登録します。修正する手間が省けて良いでしょう」
フリオがぱたんと手帳を閉じてポケットに仕舞い込む。
「気持ちは分かりますがね」
一応のフォローをフリオがして、落ち込むコリンの肩を叩いた。
それから、村の人と顔合わせをした。
村の人は、みんなそれぞれ村の中で明確な役割を持っている。役割と組織での仕事はまた別らしい。村の会議で私は看護婦を、コリンは牧師を言い渡された。
「看護婦…?」
「精神に作用する能力をお持ちと伺った。この村には…過去の出来事を忘れ去りたい、思い出したくない、という人が一定数いるからね。是非手を貸して頂きたい」
正直乗り気ではないけれど、頷いた。いつもの洗脳とはまた違うから、正しくはないだろうけれど、良い能力の使い方だと思った。
コリンは今更牧師なんて、と複雑な顔をしたけれど、説教ができるほどに教団で修行を積んだのはこの村ではコリンだけ。葬式や結婚式の時の牧師役を頼まれて、コリンは複雑そうな顔のまま引き受けた。
それから、コリンと床屋に行った。気の良い主人がコリンの髪をばさばさと切っていった。私も隣で切ってもらった。すっきり髪を短くしたコリンと、肩につくかつかないかくらいの長さにした私が鏡の前に並ぶと、なんだか可笑しかった。
フリオに案内されて村中を歩き回り、1日が終わる頃にはくたくたになっていた。心地よい疲労感だった。こんなに心地よい疲労は生まれて初めてだった。能力を使った頭の疲労もなければ、ストレスを溜めただけの休日でもない。これが外か。これが自由か。
この箱庭の中で、私は自由なのか。
「いつか俺と結婚して」
小さな教会の庭で花を見ていると、コリンはそう言った。プロポーズとは程遠い言葉に思えた。
「今する?」
そう返すとコリンは首を振った。
「神父がいないし」
「あら、いるじゃない」
「どこに?」
「ほら」
私がコリンを指差すと、えっ、と声を上げられた。
「自分の式で自分の結婚を自分で承認するのか?」
「だってこの村には他に牧師はいないのよ」
コリンの手を取る。
「汝、この女を妻とすることを誓うか」
私がそういうと、コリンは吹き出した。
「ふっ…!誓います」
「病める時も健やかなる時も…喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しい時も、彼女を愛し、慈しみ、敬い、慰め、助け、その命がある限り真心を尽くすと誓うか」
「誓う。何よりも大切にすると、誓う。一生かけて幸せにすると誓う。貴女を愛する気持ちは一生涯変わらない。貴女は私の喜び。私の誉れ。常に側に寄り添い、どんな貴女も美しいと称え続ける。私を地獄から救ってくれた貴女への感謝も、きっと忘れない。もう貴女を忘れたりしない」
コリンは私の手をぎゅっと握って、目を見つめてそう言った。全力で口説かれて頭が回らず、私が真っ赤になって黙り込んでしまった。
「リィナ、俺を夫とすることを誓いますか」
「ち、誓います」
「…病める時も健やかなる時も…以下略」
以下略ーー??!!
と思わず言いそうになった瞬間にコリンはふっと笑った。
「俺のこと、もう洗脳しないって誓って。それだけで良いや」
「全部誓う!病める時も健やかなる時も…その辺りも全部誓わせて!お願い!」
私だけやけに条件が少ないほうが気になる。
私だってコリンのことが大好きだと誓いたいのに。
「私、リィナは貴方を夫とし、貴方をいつ如何なる時も、生涯変わることなく愛することを誓います」
コリンは心臓を押さえて頷いた。
「…もう本当に辞めて、嬉しすぎて心臓止まりそうだから」
コリンが大真面目にそう言うから、可笑しくて私は笑った。
「ずっとここで生きていくのね」
私がそう言うと、コリンは頷いた。
「穏やかに生きていける」
「2人でずっと、生きていけるのね」
「そのためにここに来たんだろ」
そうだ。
私は教団から逃げたくて逃げたくて堪らなかった。これ以上後ろ暗いことをしたくなくて、コルトロメイを巻き込んだ。そして、恋をした。
コルトロメイと生きていくために逃げたくなった。コルトロメイを失って、心から後悔した。
ようやくコルトロメイを取り戻して---この村まで逃げ切った。
目的は達成された。
心は穏やかで、教団で毎日感じていた張り詰めた緊張は消え去っていた。
やっと普通の人になれる。聖女でも、詐欺師でもない。普通の人間に。5歳の時の私に。
長い長い悪夢は終わった。
次で完結です。




