13.コルトロメイの3年間
さらっと流していますがややグロなところ、人死要素があります
「行こう、コルトロメイ。フリオを探さないと」
アンゼリカと別れて、シスタリナが強くそう言った。シスタリナの小さな手を握ると、強く握り返してくれた。
「当てはあるのか?」
「正直に言えば、ないの」
シスタリナは頭を振った。
「いやぁーーーーーッ!」
その時、背後の廊下から甲高い声が聞こえた。アンゼリカの叫びに聞こえた。シスタリナがはっと背後を見つめ、俺に問う。
「も、戻る…?」
「アンゼリカは自分で残ることを選んだ。どうなるかは…分かるだろう」
曲がりなりにもアンゼリカは腐敗の恩恵を受け、信者を洗脳し続けていた。暴徒に捕まればどうなるかは明白だった。あれが暴徒ではないことを祈るしかない。
「シスタリナぁぁぁぁぁあ!!!」
びくり、とシスタリナの肩が跳ねた。背後から、教皇の声が聞こえたからだった。怒鳴っていた。シスタリナが恐怖で顔を歪める。
かつかつと革靴の音がいくつも響いて、俺とシスタリナは2人で逃げようと視線を合わせた。しかしシスタリナは、珍しく恐怖で足を動かせなかった。なんとか一歩を踏み出した瞬間に、シスタリナは転んだ。絶望の顔を浮かべるシスタリナを抱き上げた瞬間に、教皇の声がまた刺さった。
「コルトロメイ!シスタリナ!そこかぁ!!」
教皇が廊下の端から現れた。シスタリナが半狂乱に泣き叫ぶ。狂ったように叫び声を上げて、シスタリナは蹲った。とにかく逃れねば、と足を進めると、足首に蔦が絡みついて地面に引き倒された。ぎり、と蔦が足を強く締め付けた。地面に倒れ伏したシスタリナは身体中蔦でぐるぐる巻きにされていた。シスタリナの蔦を手で引きちぎろうと掴むと、蔦が逆に俺の手を拘束した。シスタリナは半狂乱に暴れた。いつもの落ち着いたシスタリナとは思えなかった。
この能力はまず間違いなく、父と思っていた神官のものだ。ぎり、と教皇の側に控える男を睨む。
「シスタリナ、落ち着いて、」
とにかくシスタリナの興奮を沈めねば。冷静さを欠いたシスタリナはひっ、ひっ、と浅い呼吸を吐き出して締め付ける蔦を見つめていた。
教皇は桃色の糸を掴んでいるように見えた。よくよく見ればそれは、アンゼリカの髪だった。アンゼリカは髪を掴まれて、頭を低くして泣きながら教皇に引き摺られていた。手酷く殴られたのか、可憐な顔の左頬が真っ赤に腫れ上がって口元からは血が出ていた。シスタリナはその姿にさらに動転した。
「…あ、アンゼリカに、何を…っ」
俺は努めて冷静に問うた。
「信者を騙していたのは洗脳能力を持つ悪女2人だと説明し、2人を生贄にする」
教皇はそう言って、アンゼリカを引っ張った。アンゼリカは悲鳴を上げて同じように倒れた。教皇の手から、引き千切られたアンゼリカの桃色の髪がぱらぱらと散る。
「そんなことで信者が納得すると!」
「信者はバカだ。怒りの矛先を教えてやればそれで納得する。私は、神なのだ!お前たちの代わり等探せば沢山いる!今までそうしなかったが、それは間違いだった!シスタリナ、お前だけは生贄にする前に直々に殺してくれる!」
シスタリナと俺に絡みつく蔦の締め付けが強くなった。腹部まで巻かれているシスタリナは苦しそうに息を詰まらせる。
「な、んでぇ、こん、な…ごんな事にぃ…っ、痛いよぉ…」
アンゼリカは涙を流しながら床の上に頭を擦り付けていた。
「コルトロメイ、貴様も悪魔の代行者として断罪してくれるわ。お前とシスタリナだけは絶対に許さん」
教皇は隣の神官から鋭いナイフを受け取る。コツコツと靴音を響かせて、神官たちとともに俺たち3人に近付く。
「うそ、コルトロメイ、やだあ、」
「ひ、あ…っ、た、すけ、」
アンゼリカが咽び、シスタリナが蒼白の顔で俺を見る。状況を何とかしようと蔦の拘束を能力で凍らせると、蔦の生命力が朽ちてもろりと崩れた。手と足、それからシスタリナの蔦を凍らせようとするが、気が動転して上手くいかない。そうしている間に目の前に教皇が迫る。
「まずはお前だ、コルトロメイ!」
「嫌、やめてぇ…ッ!」
真っ直ぐ振り下ろされた刃は、俺を庇ったアンゼリカの背中に吸い込まれた。
どす、と鈍い衝撃が走り、アンゼリカが「あ」と小さな声を上げた。
「アンゼリカ!」
やっと手を戒めていた蔦が朽ち、崩れ落ちたアンゼリカを抱きとめる。アンゼリカの背中から教皇の刃が引き抜かれ、アンゼリカの赤い血が石の床に流れる。
「は…ぅ、こると、ろ、」
「アンゼリカ!目を閉じるな、アンゼリカ!」
背中に手を当てて、止血を試みるが、そんなことでアンゼリカの血は止まらない。
「ごめ、ね」
「アンゼリカ…アンゼリカ…ッ!」
アンゼリカが儚く微笑って目を閉じた。そのままくたりと力が抜けて、動かなくなる。腕の中で温度が無くなっていくのを感じる。
教皇がにやりと笑って、アンゼリカの血がついたナイフを、今度は俺ではなく動けないシスタリナに向かって振り上げた。その瞬間に目の前が真っ白になるような感覚がした。
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
泣き声とも咆哮ともつかぬ音が喉を引き裂かんばかりに響き、体の内から力が暴走する。それはまずシスタリナの目の前で巨大な氷の壁を作り上げ、そして父と思っていた神官に床を伝って襲いかかった。
神官が慌てて凍った床から離れようとしたが、足が凍りついて動かずバランスを崩した。そのまま凍りついた床に頭から落ち、脳から凍りついていく。恐怖に歪んだ顔のまま、神官が凍りついて絶命した。
また1人、1人と順番に床を伝って凍りついていく。立ったまま足からゆっくり凍らされた者。逃れようと動いて足が千切れたもの。
教皇を残して、神官は1人もいなくなった。教皇は驚いてナイフを取り落とし、ナイフは床と共に凍りつく。教皇は白い息を吐き出しながら、注意深く床を見て逃げ道を探していた。
人に能力を使ったのは、初めてだった。どれほど腐ろうと、最後の一線だけは越えないと、決めていた。今日この日までは、人を殺そうなどと思ったことすらなかった。
だけど、アンゼリカの死が壊した。完璧にその自制心を破壊していった。
教皇を殺す。ただしこんなに早くは殺してやらない。このまま信者に突き出して嬲り殺されるのがお似合いだ。
(神様、この一瞬だけは、俺を赦してください)
聖女に相応しくない、汚れた存在に成り下がる。でもそれで聖女を救えるなら、俺は満足だ。シスタリナを救うために力を付けてきた。シスタリナと生きるために変わった。神に止められたとしても、俺は禁を犯していただろう。
「コルトロメイ、取引をしようか」
こんな状況なのに、教皇は俺に対して余裕の笑みを浮かべた。白い息を吐き出しながら、教皇は注意深く俺を見ていた。
「…この状況で?」
「アンゼリカとこの神官たちの死体を暴徒に与えれば騒動は鎮火する。そうすれば、私はお前達を見逃してやろう」
「見逃す、だと?」
「これ以上人殺しの罪を作らずに済むと思うがね」
人殺しの罪は、他の罪とは違い、決して償えぬものだ。この罪を犯せば、死後安息の地へ逝くことはできない。しかし教皇が目を瞑れば、赦される場合もある。
「殺すのは俺じゃない」
教皇に赦されたいわけではない。神に、聖女に救われたい。散々俺を騙してきた教皇への忠誠心は、一切ない。
髪につけていた神官の証の飾りと胸元のバッジを乱暴に外して教皇の足元に投げつけ、能力を発動する。足元から分厚い氷が石畳の床を這っていく。教皇の足元が凍りつき、氷が教皇の足を覆っていく。教皇自身を凍らさないように細心の注意を払いながら、膝まで氷漬けにして動けないようにした。この神殿の気温なら、氷はそう簡単には溶けないだろう。暴徒の到着を戦々恐々と待つがよい。
「コルトロメイィィーーー!」
教皇が吼え、必死で手で氷を殴った。そんなことで氷は砕けず、教皇は悪鬼の表情で俺を睨んだ。教皇の手は打撃で見る見るうちに紫色に変色していく。俺はまた強く能力を使って、氷を殴る教皇の手を氷漬けにした。
「コルトロメイ」
温い水が足元に流れる。そして、教皇の隣で分厚い氷の壁の向こうにいたはずのシスタリナが、水を踏んで俺の隣に立った。シスタリナがいた所には青みがかった銀髪の男が立っている。男の足の形に氷が綺麗に解けていた。
「取り乱してごめんなさい。後は私がやるわ。守ってくれて、ありがとう」
シスタリナは教皇の一歩前まで進んだ。
「シスタリナ、助けてくれ。お前なら分かるだろう、教皇として生きる私の苦労が」
「わっかんないわよ、そんなの」
シスタリナは嘲笑った。心の底から嘲っていた。
「貴方に祝福を授けるわ」
「し、シスタリナ」
「貴方は信心深くなる。これまでの罪を犯した自分が許せなくなり、信者から罰せられるのを待つようになるわ。自分で大声を張り上げて居場所を知らせるの。私とコルトロメイのことはすっかり忘れるわ。それから、アンゼリカの罪は自分のせいだと認めるのよ。眠ることは許さないわ」
シスタリナは聖女らしい微笑みを浮かべて、恐怖に顔を歪める恐怖に一歩近付く。そのまま教皇の両頬を掴み、禿げ上がった額に口付けた。
「やめろおおおぉぉぉおお!!!!」
教皇の断末魔のような響きが廊下いっぱいに広がり、そして唐突に終息した。シスタリナは膝から崩れ落ち、側にいた男がシスタリナを抱きとめる。教皇は目を見開いて虚空を眺めていた。表情は一切ない。まるで子供のように、初めて見る景色を夢中で見るように、虚空をただ眺めていた。シスタリナの洗脳を処理している最中なのだろう。眠ることを許されず、起きたままの処理はさぞ辛いことだろう。シスタリナは頭を押さえながら立ち上がって、アンゼリカの側に跪いた。
「コルトロメイを守ってくれて、ありがとう。貴女のこと、嫌いじゃなかったよ。どうか安らかにお眠りください」
シスタリナはアンゼリカにそう言って、側の男に頭を下げた。
「アンゼリカを連れて行くことはできますか」
「残念ながら、死体を運ぶほどの余裕はありません。暴動は我々の予想よりも深刻です。もう時期ここも攻め入られるでしょう。シスタリナさん、もう一刻の猶予もありません」
「分かりました。アンゼリカが穢されぬよう、私にできることはありますか」
「…お望みでしたらこの場で荼毘に付します」
「お願いします。コルトロメイ、祈りの言葉を」
シスタリナの声は、震えていた。華奢な肩も、小さな膝もがくがく震えて、とてもまともな状態とは言えなかった。それでもシスタリナはアンゼリカを気遣う。俺が頷くと、男はアンゼリカに手を翳す。
男は発火能力者だった。アンゼリカの髪に火が付き、ゆっくり燃え広がって行く。
決まりきった教団の送りの言葉を滔々と述べると、涙が溢れた。
アンゼリカはずっと妹だった。アンゼリカとの思い出は語りつくせないほどに多い。アンゼリカを、家族のように愛していた。確かにシスタリナと天秤にかけると、シスタリナが重くなるけれど、アンゼリカもとても大切にしていた。そのアンゼリカが自分を守って死んだと思うとやりきれない気持ちで胸が苦く痛む。
「コルトロメイ、髪が」
アンゼリカが燃え切って灰になったところで、シスタリナがそう言った。
「髪が、変色したわ」
「能力が変質したのでしょう。さて、行きますよ」
アンゼリカを燃やした男がそう答えた。
確認すると、髪が薄紫から濃い紫に色付いていた。アンゼリカを失った瞬間に爆発的な力を得たからだった。これはきっとアンゼリカからの、贈り物だ。
「ああぁぁあ!!!私はなんということを!!!神に背いた!!!皆の者!私はここだ!!罰してくれ!!!!はやく!!!!誰かいないのかーー!!!」
歩き始めたところで、教皇が我に返ったように叫びだした。涙を滂沱として流し、無我夢中で喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。シスタリナは俺の手を握って、小さく微笑んだ。俺は頷いてシスタリナの手を握り返す。
恐ろしい群衆の声を背景に、俺とシスタリナは無言のまま走り続けた。
(いつか私を思い出してね)
頭にシスタリナの声が響く。頭がちくちくと痛み、走っていることに現実味がなくなる。例えるなら、誰かが走っている頭の中に同居しているような。自分は雲の上にでもいるような。
(私も貴方を愛していたわ)
「コルトロメイ?」
シスタリナが心配そうに俺を見た。シスタリナの薄青い瞳に俺の姿が映った、その瞬間。瞳の中の俺は俺ではないことに気付いた。弱くて、シスタリナに寄りかかってばかりで逃げきれなかったあの日の俺が、こちらを見ていた。
(何があっても貴女を忘れぬように、祝福を)
あれは、いつかシスタリナに洗脳されると思ったからこそ、求めたものだった。シスタリナの事を愛していると教皇や神官に知られれば、忘れさせられただろうと。もしくは殺されて、肉体とともに記憶も滅んでしまうと、恐怖したからだった。シスタリナをどうしても忘れたくなかった。シスタリナだけが、自分の暗い人生の中に射す唯一で、無二の光だった。眩い救いの手だった。愛を知らぬのに愛を説く愚かな神官が、初めて人を慮る愛を見た。だからシスタリナが好きだった。シスタリナしかいなかった。シスタリナにしか、私を救えなかった。
(コルトロメイ、私と一緒に、逃げて。おねがい、一緒に生きて)
シスタリナが私と一緒に生きたいと言ってくれたことがどれほど嬉しく、そして罪深いほどに抗いがたい誘惑だったことか。
どうして忘れていたのだろう。
どうして忘れていられたのだろう。
こんなにもシスタリナを恋しく、愛おしく思っていたのに。シスタリナをすっかり忘れて生きていたなんて、信じられない。
(いつか私を思い出してね)
違う。いつでも、覚えていた。忘れぬように胸の奥底に仕舞っておいた。愛していると、言葉にできなくても、もう触れられなくても。シスタリナを傷つけぬように、守れるようにと。だから自分には変化を望んだ。シスタリナの洗脳は、望み通り変化をもたらした。あの日の、気が動転していたシスタリナにはまともな洗脳はできなかったのだろう。自分が望んだ通り、変わりたいという願いだけが上書きされ、シスタリナのいつか思い出してね、という願いも不器用に残ったままだった。
もう弱い自分ではいたくない。
シスタリナに守られるような弱い男ではいられない。
シスタリナを守りたい。
守るためには強くならねばならない。
そんな、3年間だった。
そんな3年間を歩んでいた。
それをやっと今、思い出した。




