12.シスタリナの逃走
「来週の今日がその日です。準備を」
「はい」
その日、私に会いに来たジョエルはそう言った。ジョエルは教団に来るなりいつものように多額の寄付をして神官を追い払い、私と例の側近を引き合わせた。フリオという、銀色に青が混じった髪をした、冷たい印象の男だった。
「彼がフリオ。彼に付いてくるように。燃える男なので、無駄な接触は控えることをお勧めします」
「燃える男…?」
「発火能力者です。能力が強大すぎて制御しきれないので、触れれば危ない」
フリオは小さく一礼した。接触はやめておけ、ってことは…握手も禁止かな。
「握手は」
「まあ、その程度なら大丈夫でしょう。今日は機嫌が良いようですし」
機嫌が良いなら発火しないの…?
フリオはそっと手を差し出した。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします…」
触れた手は温かかった。でも怖くなってすぐに放すとフリオは苦笑した。
「どこかで見たことが…あるのだけど」
「フリオの実家は貴族で、父親は貴女に会いに来たことがありますよ」
「…ああ!」
私が最初に祝福を拒否した、あの貴族だ。見たことがあると思った。顔立ちがよく似ている。あれが若ければこんな感じだったのだろう。
「父が世話になりました」
「あ、いえ…」
フリオとぎこちない会話を終わらせ、その日は解散した。
夜になってコルトロメイが部屋にやってきた。コルトロメイの法衣からはアンゼリカの香のむせ返るような甘い香りがしていた。先程までアンゼリカと居たのだろう。
「ああ、これ?本当に臭いよな。アンゼリカは気に入ってるみたいなんだけど」
「そうなんだ」
「そっちはあのギャングの匂いがする」
「ジョエルの?…そうかな」
自分では案外分からないものらしい。私からそんな匂い、するかな…
「もし、ここから逃れるとすれば…アンゼリカを連れて行きたい?」
「アンゼリカ?…ああ、そうだなあ。できれば、だけど」
「そっか。それじゃ、来週はアンゼリカから離れないでね」
「来週何かあるのか」
ずきり、と胸が痛んだけれど、平気な顔で答えた。
「来週…信者が暴動を起こす、予定なの。それに乗じて逃げたいと、そう思っているわ。コルトロメイ、一緒に来てくれる?」
「嫌だって言われても付いていく」
ほっとした。アンゼリカを守って残るとか言われたら、本当に凹んでた。来てくれると信じていたけれど、実際言葉にしてもらうと、心強い。
「アンゼリカには…直前まで言わないでね」
「言わない」
コルトロメイと私は指切りをした。コルトロメイは嬉しそうに笑って、またぎゅっと抱き着く。
「これで堂々と2人で生きていけるのか?」
「そう」
「やった!」
「うわぁっ」
コルトロメイは私を持ち上げて、ぐるぐる部屋の中で回した。混乱して思わず大きな声を出してしまってすぐに口を閉じる。コルトロメイが私をやっと下ろして、2人顔を見合わせて笑った。コルトロメイが、嬉しそうで、私も…胸がいっぱいになる。
「どうしたの?」
「シスタリナが俺と一緒に生きたいっておもってくれたのは、本気だったんだって」
「疑うところあった?」
「シスタリナが俺のこと好きかまだ分からないからな」
…そうか、私はまだ彼にちゃんと伝えていなかったらしい。でもアンゼリカのこともあるし、そう簡単に言いたくも…
「無理しなくて良い。俺の洗脳解いて、昔に戻してからでも良いから。俺は…待つから」
「コルトロメイ」
本当なら今すぐ洗脳を解きたい。だけど、今解いてしまって、自信のない弱いコルトロメイに戻ってしまえばまた企みは失敗する。今回はもう失敗できない。もう、間違えることは許されない。
約束の一週間が過ぎた。
その日はいつものように禊を終えると、面会の前に教皇が現れた。何かバレたかと、内心びくびくしながら話をしたけれど、特に何も言われなかった。本当に気付いていないようだ。安心した。
コルトロメイは言われた通り、アンゼリカから離れなかった。2人で部屋に入っていくのを見届けて、私も面会に臨む。…が、その前にやることがあった。
「神官さま」
「どうした」
「お耳に入れておきたいことが…信者には聞かせられぬことです」
そう言って耳に口を寄せて、私に疑いを持たない神官に囁いた。
「…私の言うことを聞くように」
そのまま口付けて、洗脳した。
心を捻じ曲げるほどの強さで洗脳すると、意識を持っていかれそうになる。神官の方は意識を失って、どさりと石の床に崩れ落ちた。
「…っ、はあ…」
呼吸が苦しい。頭がいたい…
なんとか呼吸をして、ゆっくり頭をあげる。気絶したままの神官を面会室に引きずり込む。動機が激しい。頭が割れそう。どのくらいの時間で起きるのか、精神が壊れていないかが気になる。かなりキツくかけたから、もしかしたら人格崩壊しているかもしれない。廃人になっていなければ良いが…この危険性があるから、今日までこんな大それたことはできなかった。でも今日は…
ぜーぜーと荒い息を吐き出していると、俄かに外が騒がしくなった。微かに「火だ」と聞こえる。水を持ってこい、とも。
これはもしかしなくても、もう暴動が始まっている。
ふらつく頭を堪えて、私は面会室からそっと出た。廊下の向こう側に火が見えて、信者だった暴徒が神官を追いかけ回しているのが見える。私が見つかるとまず間違いなく捕らえられるだろう。アンゼリカとコルトロメイを探そうとした部屋を見回したが、2人はここにはいなかった。
廊下に出て、暴徒がいない静かな廊下へ走り出す。聖女の居住区に2人はいるだろうか。あそこは教団の奥の間だから、まだ暴徒の手は及んでいない筈だ。
息を切らして走り、聖女の居住区に着く前に目的の2人を見つけた。2人も走って居住区に戻っている最中だった。
「コルトロメイ!」
「シスタリナ」
お互いに荒い息を吐き出し、無事を喜んで抱き着く。アンゼリカは冷たい目で私とコルトロメイを見つめた。
「アンゼリカも、無事で、」
「どういうことなの」
アンゼリカはコルトロメイに問いかけた。
「話す暇が無かったが…教団は暴徒に押入られている。だから、逃げよう、アンゼリカ」
「どうしてシスタリナがいるの」
「シスタリナが俺たちを逃してくれる」
「私とコルトロメイの2人で逃げるということ、なの?」
「違う、3人で逃げるんだ」
どうにもアンゼリカは要領を得ないようだった。何かがアンゼリカの腑に落ちないらしい。時間がない。はやくフリオを探さないと。
「アンゼリカは…ここに残る。教皇さまがいれば安心よ、暴徒なんてすぐに鎮圧できる」
「教団に居たいのか?」
「コルトロメイは居たくないの?教団はアンゼリカになんでもくれる、アンゼリカはとても居心地が良い。なのに、どうして逃げなきゃならないの?」
アンゼリカにとって教団は、夢の国。何の不満もない場所。わざわざ自分から切り捨てる意味のないところ。
「コルトロメイも行かない!私を置いてどこに行くの!」
「あ、アンゼリカ」
「シスタリナはずるい!アンゼリカが欲しいもの全部奪って行く!せっかく聖女の位を奪えたのに、あんたがずっといるから、認めてもらえない!ずっとコルトロメイのことが好きだったのに、シスタリナに奪われた!」
アンゼリカは必死だった。鬼のような形相で私に詰め寄り、目を爛々と光らせる。能力を行使するつもりだ。
「こんな時まで私を憐れむのね、馬鹿にするのね!」
アンゼリカは私にそう吐き捨てた。…アンゼリカが読み取った私の感情は、アンゼリカへの憐憫だった。
「貴女は教団に騙されているのよ」
「違うわ、私が教団を騙して、利用しているの!なのに、どうしてそれを奪おうとするの!」
「アンゼリカ、わたしは」
「コルトロメイに触れないで、それは私のものよ!教団から出て行くなら1人で行って、私たちには関係がないわ!」
「アンゼリカ!」
取り付く島があまりにもなくて、つい私は苛立ちを覚えた。その瞬間にアンゼリカがにやりと笑う。これは、まずい。分かっているのに止められない。アンゼリカの能力で怒りを増幅させられて、抑えが効かなくなる。
「どうしてそんなわがままを言うの!私は、アンゼリカがコルトロメイにとって大切だと思ったから連れて行ってあげると言ったのよ!」
「私が邪魔で嫌いなのね?」
「邪魔よ、消えて欲しいくらいに、邪魔だわ!コルトロメイが好きなのに、アンゼリカの影がちらついて苦しむのはもう嫌!でも置いて行ってコルトロメイに後悔が残るのも、嫌!貴女が邪魔で仕方ない。こんなの苦しいわ!」
こんなことが言いたいわけじゃなかったのに。コルトロメイが目を見開いて私とアンゼリカを交互に見ている。
「コルトロメイ、シスタリナは聖女じゃないわ。普通の人間よ。俗世の人と、何ら変わりない。それでもシスタリナと一緒に行きたいの?コルトロメイが求めているのは、聖女、でしょ?」
「アンゼリカ」
「私はコルトロメイのことがずっと、ずーっと好きだった。シスタリナとコルトロメイが出会う前からよ。ここ数年はずっと一緒にいた。ずっと側にいたわ。なのに、私じゃだめなの?」
「…アンゼリカ」
「望むなら、シスタリナよりずっと聖女らしく振る舞うわ。貴方が欲しいものはなんでもあげる。どんなことでもしてあげる。…それでも、私と一緒に教団に残ってくれないの」
アンゼリカは苦しげだった。コルトロメイはアンゼリカに近付いて、アンゼリカの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「ごめんな、アンゼリカ。俺はシスタリナが聖女だから、聖女らしいから好きなんじゃないんだ。寧ろ今の素直な心境を聞いて惚れ直したくらい。俺はシスタリナがシスタリナだから好きなんだ。だから、アンゼリカじゃ、駄目なんだ」
それを聞いたアンゼリカは、ゆっくり瞬きした。瞬きをした瞬間に涙が頬を伝って落ちて行く。アンゼリカは聖女らしい、清らかな笑顔を浮かべた。
「分かってた」
アンゼリカはそう言うと、今度は顔をぐしゃぐしゃに歪めて、ぼろぼろと涙を零し始める。
「分かってたよ、コルトロメイの心を見れば、それくらい、…分かってた。揺さぶりをかければ、私にもチャンスが生まれるかと、思ったの。でも、駄目だったね。私の負け」
アンゼリカはそのまま私を見て、頭を下げる。
「絶対にコルトロメイを幸せにしてください」
「アンゼリカ…一緒には、行かないのね」
「行かない。アンゼリカはここに残る」
アンゼリカは毅然とそう言って、頭を上げた。
「気を付けてね」
アンゼリカは私とコルトロメイに手を振った。
コルトロメイと私は、2人手を取り合ってアンゼリカに背を向けて、走り始めた。




