11.シスタリナとギャング
ふわあ、眼福です…
なんて聖女らしからぬことを思っていると、目の前で私にわざわざ会いにきた美青年がにこりと微笑んだ。きついウェーブを描く、栗色の天然パーマの長い髪を三つ編みにして背中に垂らした美青年は、私の後ろに控える神官に柔和な笑みのまま言った。
「出てください」
「…は、」
神官が惚けたように声を漏らした。
「聖女と2人きりにしてください。わざわざ僕がここまで来たのですから、そのくらいのことは認めて貰えるでしょう」
「しかし」
「出てください」
にこやかだったが、一切の反論を許さない言葉だった。神官は戸惑ったが、すぐに諦めて私に囁いた。
「いつもの通りにな」
「はい」
小さく返事をすると、神官は満足そうに頷いて出て行く。
信者と2人きりにされるのは、初めてのことだった。神官が一信者の言うことを聞くのを見るのも、初めてだ。
前情報で聞いていた話によると、彼はこのあたり一帯を取り仕切る、大きなギャング一団のボスだ。歳も、かなり若い。コルトロメイくらい。なのに巨大な一団を率いるボス。…つまり、とても危険な人物だ。背後に連れていた護衛の人間離れした色味を見るに、卓越した能力者ばかりを集めているようだった。まさかギャングのボスが私に会いに来るなんて…
「さて、シスタリナさん」
完全にペースを持っていかれた。私が慌てて背筋を伸ばすと、彼は綺麗な顔で微笑んだ。
「貴女の事は知っています」
「聖女ですから」
「…ではなく、貴女の反抗心を、です。これから何をするつもりなのかも、存じています」
「な、」
涼しい顔をして受け流すのが正解だったと気付いたのは、思わず驚愕の表情を浮かべてからのことだった。
おそらく私の洗脳が解けた信者から漏れたのだろう。…ということは、近々教皇たちにもバレる。
「僕は貴女の手伝いがしたい」
「手伝い、といいますと」
彼は指を組んで、私にこれまた優しくふわりと微笑んだ。
「平たくいうと、僕は貴女のスカウトに来たのです。教団を捨てて、うちにお入りなさい」
「…ギャングに、私が?」
「ええ。僕の庇護下に入っていただきたい」
ギャングのボスの庇護下なんて良い印象が全くないのだけれど…今と状況が変わるとも思えない。でも、私のやりたいことを知っているというならば、…これは脅しだ。
「勿論必要な時はお力をお借りしますが、それ以外は平穏に生きてもらうだけですよ」
「へ」
「捕らえたり、監禁したり、無理強いするつもりは毛頭ありません」
彼はそう言って、また微笑む。
「我々はあくまで対等な関係です。貴女が嫌だと言えば、ここで引き下がります。決して教団にはこの話を漏らしたりしません」
脅しでもないらしい。…よく、分からない。
「僕は貴女とコルトロメイの力を買っています。そして、貴方達が教団にいることがどれほど我々にとって脅威であるかも」
「では暗殺なされば宜しいのです」
「勿論それも考えました、が…無くすにはあまりに惜しいと思ったのです。いずれ教団は潰してやろうと思っていたことですし、内部に協力者がいた方がやりやすいでしょう?利害は一致していると思いますが」
取り込み損ねたら教団を潰すのと一緒に殺す、ということか。笑顔が怖い。教皇と似ている…
「貴女に信用していただけるまで、何度でも説得に来ましょう。今日のところは…我々は貴女と同じように、教団を憎み、破滅させたいと思っていると、理解しておいてください」
ちらり、と彼は時計を見た。普段の面会の時間が終わる程度の時間が経っていた。
「名乗っていませんでしたね。僕はジョエルです。ジョエルとお呼びください、シスタリナさん」
「ジョエル、さま」
「ジョエルです」
「…ジョエル」
「さて、貴女の洗脳を受けた場合、寄付はいくらするのが普通ですか?」
ジョエルは首をこてんと傾げて私に訊ねた。
出て行くジョエルを見送り、私は見張りの神官と少し話をした。神官達も、ギャングのボスがここへわざわざ来るとは思っていなかったようだ。訝しんでいるのが手に取るようにわかる。
「何を悩んでいた?」
そしてジョエルの弱みを握ることに熱心だった。こうなることはあらかじめ分かっていたので、ジョエルと軽い打ち合わせは終えてある。
「縄張りであるズートタウンの災害は神の怒りかと、聞かれました」
「…先月コルトロメイが凍らせた街か」
「左様でしたか。神に祈ればよろしいとお伝えしております」
教団は、ギャング潰しに本腰を入れている。神の怒りを理由にギャングに金銭的な貢献を…それも莫大なものを、要求している。全面戦争になればこれ幸いと騎士団が乱入し、騎士団と教団の圧倒的な力を持ってギャングを制圧するつもりだ。だからギャングのほうも、教団潰しに躍起になっている。だからこそ私が欲しい。…ここまでは理解した。
「疲れた顔してるな」
部屋に戻ると、コルトロメイが当たり前のように私の部屋で寛いでいた。
「…色々と」
まだコルトロメイには言えない。私の中で抱え込んでおきたい。
「ギャングのボスってどんな人だった?」
「ものすごいイケメンだったよ」
「そうなのか?」
「付き添いの護衛…か側近もすごく綺麗な顔をしてたな。…どこかで見たことある顔なんだけど、思い出せないな」
もやもやする。あの側近、絶対どこかで会ったことがあるのに。
「シスタリナ。俺のこと無視で他の男のことを考えてるのか?」
「そういうのじゃないけど」
コルトロメイが拗ねて頬を膨らませた。可愛い。私が否定すると、ぎゅっと抱きしめてくる。…不安、なのかな。でもコルトロメイには私じゃなくても、アンゼリカがいるし…今日もわざわざ私の面会室の前で抱き合ってるの見たし。あれのせいでなんだか能力が不安定になって困った、というのに。
なんていうか…私とコルトロメイの関係って不健康、だなあって。友達以上恋人未満なのは間違いないけど、コルトロメイにはアンゼリカという恋人がいる、のに…恐らく昔の記憶に惑わされて、どちらとも選べないような状態なのだろうけれど。
「俺といる時は、俺のことで頭一杯にしていて」
コルトロメイのことを考えても、アンゼリカがちらつく。思わず寂しそうな表情になってしまったのが自分でも分かって、コルトロメイに申し訳なくなった。
「やっぱり今の俺じゃ、役不足?」
「違うの」
コルトロメイが思っていることは根本的に間違いで、でも説明してもコルトロメイは記憶がないことを気に病み続けるだろう。だから敢えて説明する気にはならなかった。
コルトロメイは、私が昔のコルトロメイと今のコルトロメイは別人と見ていると、そう思っている。私は…全く同じだとは思っていないけれど、1人の人間と思っているのに。コルトロメイは私がアンゼリカとコルトロメイの関係を気にしていることに全く気付かない。
「それじゃ、ギャングのボスなんかの方がよっぽど好みだった?」
「その言い方はジョエルに失礼だわ」
ジョエルは『ギャングのボスなんか』と蔑まれるような人間ではないことは私でもわかる。あの鬱陶しい神官に反論を許さない威圧感を出せる、若いのに強い人だ。あの年でギャングのボスになれるなら、相当の実力を持っているとしか思えない。
私はむっとして言い返したけれど、これが悪手だったのは、言ってから気付いた。コルトロメイはただ不安だったのだろう。なのに不安を後押しするような言葉を吐き出してしまった。
「あっそ」
コルトロメイは子供っぽい。洗脳前のやけに大人びた、物わかりの良すぎる状態を捻じ曲げたから、その反動で自分の感情に素直になりすぎたのだと、私は思っている。
私のことが好きなのは嫌という程に伝わる。離れたくないことも、私に嫌われるのが嫌だということも。
拗ねてしまったコルトロメイは、私に背を向けた。
「コルトロメイ」
「…なに」
「ジョエルは立派な人に見えたわ。彼が信用できるなら、このまま取引をするつもり」
「取引?」
「今は言えないわ」
でも、取引が成立すれば、コルトロメイには言わなきゃいけない。逃げ出す準備をしてもらわないといけない。
「私、もう失敗しないわ」
「シスタリナ、危ないことなら、」
「危ないわよ。とても、危ないわ。だからって辞めるわけにはいかないの。コルトロメイ、手伝ってほしくないけれど、理解はしてほしいの」
私のエゴで始めたこと。私のせいで加速した歪み。どんな深みに嵌まろうと、このまま終わらせるわけにはいかない。
拗ねて、それから心配して項垂れるコルトロメイの背中にそっと触れる。頭をコルトロメイの背中につけて、祈るように言った。
「キツいことを言うけれど、貴方は足手まといなの。…でも、私のことを信じて待っていてくれたら、それで私は、勇気が湧くの。これでいいって、思えるの」
コルトロメイが何かすれば、目立つ。だから私が全部終わらせる。ただ待っていてほしい。きっと今のコルトロメイには歯痒くて、認められないことだろう。案の定コルトロメイはぎり、と歯軋りした。そして、血反吐を吐くように苦しげに零す。
「貴女が、そう、望むなら」
「…ありがとう」
「でも、わた、…俺が…貴女のことを何よりも想っていて、心配しているってことは…覚えておいて」
今、私、って言おうとした?それに、『あんた』の代わりに『貴女』って。
コルトロメイは、確実に…思い出してきている。それはもう止められない。人格が混ざってきている。完全に思い出したら今のコルトロメイはどこへ行ってしまうのだろう。どちらのコルトロメイが残るのだろう。どう、混ざり合うのだろう。
「頭、痛い…」
コルトロメイは頭を抱えた。ショック症状のようなものだろう。洗脳の解ける前兆だ。今はまずい。今は、まだ…
「コルトロメイ」
「なに?…っ」
振り向いたコルトロメイの唇に、自分の唇をくっ付けた。コルトロメイは目を見開いてそれを受け止めて、私が洗脳しようとしていることに気付かずに何度も口付けを繰り返した。
(今はまだ思い出さないで)
そう暗示を掛ける。これで頭痛は消えるし、まだ思い出さずにいてくれるはずだ。
「ん…っ、」
…とここまで来てやっと事態の深刻さに気が付いた。コルトロメイからすれば、急に私がキスを仕掛けに行ったようにしか見えない。
「ふ、あ、」
息継ぎの合間に鼻から吐息が抜ける。コルトロメイは口付けをやめるつもりがないらしい。より深く、息継ぎの暇すら与えないほどに激しく求められると、頭がくらくらした。
コルトロメイの厚くなった胸を押すと、やっとコルトロメイはキスをやめた。目を開けて、見つめ合う。
「その、ごめん…」
なんか、仕掛けちゃって…と、謝ってみせると、コルトロメイは照れたように笑った。
「嬉しかったよ」
「そ、そっか」
「でもまた何か掛けただろ。…まあいいけど」
何故気付くのだろう。気付かないようにしているのに。
「あんたが俺のこと好きだって思ってくれるなら、もうなんでもいいや」
なんだか達観した様子のコルトロメイが満足そうだったので、細かいことはもういいかと、そう思った。
ジョエルはまたやって来た。約束通り、私が信用できると思うまで、説得するつもりらしい。
前回と同じように神官に席を外させて、2人きりになる。ジョエルはいつものように余裕を持った微笑みで言った。
「考えはまとまりましたか」
「答えは最初から決まっておりますが、貴方のことを良く知りませんから」
「そうですね」
ジョエルは柔和な微笑みを浮かべて、指を組んだ。
「では今日は僕の家族たち…ギャングについてお話しをしましょう」
こくん、と頷くとジョエルは話し始めた。
「まず、貴女はギャングにどんなイメージを?危険で暴力的で無秩序?」
「そのように考えています」
「では騎士団なら清廉潔白で何もかも正しい?」
「…そのように、思っています」
少なくともこの教団ではそのように、教えられた。外に出たことのない私にはそれが本当かどうか知る術はなかったけれど。
「大間違いです。ギャングと騎士団はお互い国を守る組織です。騎士団は王族を守り、我々ギャングは縄張りの民を守ります」
やや苛烈な守り方や、守りの代わりにみかじめ料を搾取するのは、認めるけれど。とジョエルは続ける。
「僕たちギャングは騎士団の同調圧力や異常な抑圧、民を蔑ろにしている態度を嫌い、生まれました。騎士団が絶対的な正義だとは思えません。騎士団は王族さえ良ければ民のことなど気にかけませんしね」
それは、知らなかった…私がぽかんとしているとジョエルは微笑んだ。
「そしてこの2つの仲立ちをするのが教団。だけど教団が役目以上に腐敗してしまったので、ギャング的には面白くないしここらで潰すのが得策かと。だからあなたを引き込みにきました」
話が、思っていたよりずっと壮大だ。ずっと腐ってるな、とは思っていたけれど…
「つまるところ、権力争い…なのですね」
「はいそうです」
ふふ、とジョエルは笑った。
「それでどうです?僕と一緒に権力争いに参加してみませんか」
「断れば教団と一緒に沈むのみ、でしょう」
「いえ?僕たちが沈めている間に勝手に逃げれば良いのです。そこに僕たちが関知しないだけの話。決して僕たちが進んで貴女を殺そうとしたりはしません」
「…左様ですか」
庇護から外れるから意図的に助けたりもしない。ただ、それだけ。
「さて、いかがですか」
ジョエルの笑みに、私は居住まいを正す。背筋を伸ばして、ごくりと唾を飲み込む。
…言いなりには、ならない。
だけど助けは…必要。
「お受けいたします」
「ありがとう、シスタリナさん」
「ただし、私とコルトロメイの無事は確実に約束を」
「勿論そのつもりですよ」
こほん、とジョエルは咳払いをした。
「来月に暴動を起こします。既に貴女が洗脳を解いた信者たちが集い、用意をしています。僕の配下がそれに乗じてここに乗り込み、教皇と幾人かの神官を始末する予定です」
「私はどうすれば良いでしょう」
「フリオを遣わせますので、コルトロメイとともに合流してください。後はフリオがなんとかしてくれます」
「フリオ?」
「僕の側近です」
「ああ…」
あの顔が綺麗な側近か。あれだけ人間離れした色味なら見つけやすいだろう。
「その日が近付いて来ましたら、また貴女に会いに来ます」
「よろしくお願いします」
頭を下げると、ジョエルは不敵に笑った。




